京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

土谷正実・東京地裁判決(要旨・2004年1月30日・服部悟裁判長)

土谷正実被告に対する判決の要旨】
〔弁護人の主張に対する判断等〕一 PCP事件について(略)
二 松本サリン事件について
1 弁護人の主張
 弁護人は、被告人が、サリンを生成して保管していたことがあったこと自体は争わないものの、①実行犯らが噴霧したものが被告人らの生成したサリンであることについては多大な疑問があり、②仮に、実行犯らが噴霧したものが被告人らの生成したサリンであったとしても、右噴霧行為によって多数の者の死傷の結果が発生したとすることについては大いに疑問であり、③仮に、実行犯らの散布したものが被告人らの生成したサリンであり、それによって多数の者を殺傷したのだとしても、被告人には、実行犯らの右犯行の実行を容易にしようとする認識および認容は全くなく、幇助の意思は認められないのであるから、被告人は無罪である旨主張する。
2 因果関係の有無
 そこで、検討すると、中川智正の証言等の関係各証拠によれば、中川が、被告人から、被告人らが生成して保管していたサリンの引き渡しを受け、噴霧車に充填した上、村井秀夫らが、本件現場において右サリンを噴霧したことが認められる。また、右噴霧行為と近接する日時および場所において、多数の住民がサリン中毒により死亡し、または負傷したことは明らかである。さらに、村井らが右噴霧行為を行ったのと全く同じ時間帯に、かつ、極めて近接した場所において、偶然にも別の者がサリンを噴霧したなどとは到底考え難く、また、そのようなことを窺わせる事情は一切存在しない。これらの事情に照らせば、村井らが噴霧したものが被告人らの生成したサリンであり、それによって多数の住民を殺傷したことは、優に認めることが出来る。
 この点について、弁護人は、種々の化学的な疑問点を指摘するが、それらは、いずれも右認定に合理的な疑いを抱かせるものではない。
3 幇助意思の有無
 被告人の幇助意思の有無について検討すると、中川の捜査段階における供述等の関係各証拠によれば、①サリンは、人の殺傷以外には用途のない致死的効果の極めて高い毒物であるところ、被告人は、本件に至るまでに、数回にわたり、その都度、分量を増やしながらサリンを生成し、最終的には約三〇キログラムのサリンを生成しているほか、これを使用した噴霧実験にも参加していること、被告人は、中川から、あらかじめサリンの移し替えを行うことを聞かされており、本件当日にはクシティガルバ棟と称する教団施設内に入ってきた噴霧車を見ていること、③被告人は、本件当日、クシティガルバ棟内において、約三〇キログラムの右サリンを中川に引き渡すとともに、他の信者らが同棟に立ち入ることを禁止した上、噴霧車にサリンを充填する場所として中川に同棟を提供するなどしていること、④被告人は、松本(智津夫)から、「サリンに花の香りは付けられないか」「花の香りはいいにおいだから、みんなが吸い込むだろう」などと言われていること、⑤被告人は、サリンを生成する際に、他の教団信者に対し、「動物実験はしない。動物を殺すと悪業になる。今の人間は、動物よりも悪業を積んでいる。だから、効果は本番で試す」などと言っていること、⑥被告人は、教団信者らが、被告人らの生成したサリンを使用して宗教団体代表者に対する暗殺計画を実行し、失敗に終わったが、その際、新実智光サリンを吸って重症に陥ったことを聞いていることなどが認められる。
 これらの事情に照らすと、中川らが噴霧車で被告人から交付された右サリンを噴霧して不特定多数の者を殺害しようとしていることを被告人も認識していた旨の被告人の捜査段階における供述は、十分に信用することが出来、これを否定する被告人の公判段階における供述は、不自然かつ不合理であって信用することが出来ない。
 したがって、被告人に中川らの右犯行を幇助する意思があったことは、十分に認めることが出来る。
三 VX三事件について
1 弁護人の主張
 弁護人は、VX三事件について、被告人が、その当時、VXを生成したこと自体は争わないものの、①被告人が生成したVXと右各事件で使用された液体の同一性には、多大な疑問があり、②被告人は、VXが殺人に用いられるとの認識がなく、VXを共犯者らに交付したこともないので、殺意および共謀が認められず、被告人は無罪である旨主張する。
2 ○○VX事件について
(一)VXの同一性の有無
 そこで、検討すると、関係各証拠によれば、○○VX事件で使用された液体が、被告人が生成したVXであることは明らかであり、VX溶液の色等についての被告人の疑問点の指摘は、中川智正の証言の一部のみをとらえた一面的なものであって、失当である。
(二)VXの交付の有無
 被告人は、公判段階において、遠藤誠一にVXを交付したことを否認する供述をしているが、その供述は信用出来ず、関係各証拠によれば、被告人は、本件犯行前に、遠藤に対し、自分が生成したVXを交付したと認めることが出来る。
(三)殺意および共謀の有無
 殺意および共謀の有無について検討すると、関係各証拠によれば、①被告人は、VXの毒性や、毒物を使用したそれまでの教団の殺傷行為を認識していること、②被告人は、自らが生成したVX塩酸塩を使用した○○に対する襲撃が失敗した後、松本から、その効果がなかった理由を問い質された上、純粋なVXを至急に製造するように指示され、VXをつくり直して遠藤に交付していること、③被告人は、つくり直したVXを使用した襲撃により○○重症に陥った後に、VXの効果があった旨聞かされていることなどが認められる。これらの事情に照らすと、被告人には、VX塩酸塩を使用した襲撃が失敗に終わった相手に対して再度VXを使用して襲撃することについて、未必の殺意および共謀があったことは、十分に認めることが出来る。
3 ○○VX事件について
(一)VXの交付の有無
 被告人は、公判段階において、中川智正にVXを交付したことは全くない旨供述しているが、その供述は信用出来ず、関係各証拠によれば、被告人は、本件犯行前に、中川に対し、VXを交付したと認めることが出来る。
(二)VXの同一性の有無
 関係各証拠によれば、被告人が中川に交付したVXは、被告人が生成したVXであると認められ、○○の血清の鑑定結果について被告人が指摘する疑問点は、右認定に合理的な疑いを生じさせるものではない。
(三)殺意および共謀の有無
 被告人は、○○VX事件の経験から、VXを中川に交付すれば、必ず誰かへの攻撃に使用され、死傷の結果が生じることを認識しながら、中川に対し、その犯行の手段となるVXを交付しているのであるから、初めてVXを使用した○○VX事件とは異なり、本件では、被告人には、未必的殺意にとどまらず、不特定の者に対する確定的殺意および共謀が認められる。
4 ○○VX事件について
(一)VXの交付の有無
 中川にVXを交付していない旨の被告人の公判段階における供述は信用出来ず、関係各証拠によれば、被告人は、本件犯行前に、中川に対し、VXを交付したと認めることが出来る。
(二)VXの同一性の有無
 関係各証拠によれば、被告人が中川に交付したVXは、被告人が生成したVXであると認められ、○○のジャンパーの付着物の鑑定結果について被告人が指摘する疑問点は、右認定に合理的な疑いを抱かせるものではない。
(三)殺意および共謀の有無
 被告人は、本件においても、VXを中川に交付すれば、必ず誰かへの攻撃に使用され、死傷の結果が生じることを十分に認識していたにもかかわらず、中川にVXを交付しているのであるから、被告人には、不特定の者に対する確定的殺意および共謀があったことは、優に認められる。
四 地下鉄サリン事件について
1 弁護人の主張
 弁護人は、①被告人らか生成し、実行犯らが地下鉄の車両内等に発散させたサリンと本件の死傷結果の原因となったサリンの同一性には、多大な疑問があり、②被告人には、本件の結果に対する認識および認容がないので、殺意がなく、③被告人には、松本や教団信者らとの間に共謀がなく、共同正犯はもとより、幇助犯も成立しないのであるから、被告人は無罪である旨主張する。
2 因果関係の有無
 そこで、検討すると、実行犯らは、被告人らが生成したサリンをビニール袋一袋に約五〇〇ないし六〇〇グラムずつ詰めた上で、これを地下鉄の五つの電車内に発散させたことが認められる。また、右発散行為と近接する日時および場所において、多数の乗客等がサリン中毒により死亡し、または負傷したことは明らかである。さらに、実行犯らが右発散行為を行ったのと全く同じ時間帯に、かつ、全く同じ電車内において、偶然にも別の者がサリンを散布したなどとは到底考え難く、また、そのようなことを窺わせる事情は全く存在しない。これらの事情に照らせば、実行犯らが発散させたものが被告人らの生成したサリンであり、それによって多数の乗客等を殺傷したことは、優に認めることが出来る。
 この点について、弁護人は、種々の化学的な疑問点を指摘するが、それらは、いずれも右認定に合理的な疑いを抱かせるものではない。
3 殺意および共謀の有無
(一)被告人の殺意および共謀の有無について検討すると、①被告人は、サリンが極めて高い致死的効果を有することを十分に認識していたこと、②被告人は、本件に至るまでに、自分が生成したサリンやVXを始めとする化学兵器が教団外部の者を殺傷するために多数回にわたって実際に使用されており、とりわけ、松本サリン事件においては、自らが生成したサリンが大量に噴霧されたことにより、多数の死傷者が発生したことも十分に認識していたこと、③被告人は、本件当時、遠藤誠一が、教団施設に対する警察の強制捜査が切迫していると予想される状況下において、サリンを早急に生成しようとしていることを認識していたことが認められる。
(二)ところで、被告人は、捜査段階においては、前記(一)の各事情を認識していたことを述べるほか、サリンを生成している際に、遠藤から、今日中にサリンを生成しなければならないことを告げられるとともに、サリンの使用の具体的な場所や相手等は聞かされなかったものの、「東京に行かないように第二厚生省のメンバーに伝えてくれ」「国会図書館とか、地下鉄を使うような所とかね……」などと言われた旨述べて、自分が生成しているサリンが、これまでと同様に、近い将来、教団外の誰かを標的にして使われ、人の死傷の結果が生じることを予測していたことを認める内容の供述をしている。
 これに対し、被告人は、公判段階においては、捜査段階の右供述を変更し、当初は、遠藤が保管目的でサリンを合成するのかと考えていたが、その後の遠藤の言動等から、遠藤がこれからサリンを捨てるのかなと思うようになったのであって、サリンが人に対して使われるとは全く思っていなかった旨供述している。
(三)そこで、被告人の前記(二)の各供述のいずれが信用出来るのかについて検討すると、まず、被告人の捜査段階における右自白供述は、前記(一)で認定した各事実とも符合し、事態の自然な流れに沿うものである。さらに、遠藤は、捜査段階において、「私は、サリンの袋詰め作業をする前ごろに、被告人がどこかに出掛けるということを聞き、被告人に対し、東京の方へは行かない方がいいと言ってやった」などと述べ、被告人の右自白供述を裏付ける供述をしているのである。これらの事情に照らすと、被告人の右自白供述は、十分に信用することが出来る。
 これに対し、被告人の公判段階における右否認供述は、人の殺傷以外に用途がない毒物であるサリンを緊急に生成しようとしている遠藤らの言動等にそぐわず、不自然さや不合理さが目立つものであって、信用することは困難である。
(四)したがって、遠藤らがサリンを地下鉄の電車内等に散布することまで被告人が認識していたとは認められないとしても、遠藤らが地下鉄を含む東京都内においてサリンを散布して不特定多数の者を殺害しようとしていることを被告人が認識しており、被告人に殺意があったことは十分に認めることが出来る。そして、被告人は、そのような認識がありながら、遠藤らにサリンの生成方式の変更を助言するなど、短時間のうちに殺傷能力の高いサリンを生成するために重要かつ必要不可欠な行為を行っているのであるから、サリンで初めて人を殺傷した松本サリン事件とは異なり、本件の殺人および殺人未遂については、共同正犯の責任を負うものといわざるを得ない。

〔量刑の理由〕
一 はじめに
 本件は、オウム真理教の第二厚生省大臣という幹部の地位にあった被告人が、教団代表者である松本あるいは他の教団幹部らと共謀するなどして、PCP事件(判示第二、VX三事件(判示第三の一から三まで)および地下鉄サリン事件(判示第四)に共犯者として関与し、また、松本および他の教団幹部らが共謀して敢行した松本サリン事件(判示第二)において、その犯行を幇助したという事案である。以下、本件各犯行のうち最も犯情の重い地下鉄サリン事件から、量刑の理由を示すこととする。
二 地下鉄サリン事件(判示第四)
 地下鉄サリン事件は、被告人が関与した一連の犯行の中で、最も重大かつ悲惨な被害を発生させた事件である。右犯行は、松本サリン事件や目黒公証役場事務長に対する逮捕監禁事件についての教団の関与が疑われ、教団に対する強制捜査が必至の状況となる中で、首都の中心部に大混乱を起こして警察の目をそらし、教団施設に対する強制捜査を阻止する目的で、平日の朝の通勤時間帯に、多数の乗客で混雑している五つの地下鉄車両内において、一斉にサリンを散布して発散させ、多数の乗客等を殺傷したというものである。
 サリンは、人の殺傷のためのみに開発された化学兵器ともいうべき殺傷力の極めて高い神経ガスの毒物であるところ、右犯行は、そのようなサリンを逃げ場のない閉鎖空間である地下鉄車両内で発散させた無差別の同時多発テロ事件であり、我が国はもとより諸外国をも震撼させた犯罪史上例を見ない極めて残虐な犯行である。被告人らは、松本による犯行の指示から短期間のうちに、多量のサリン溶液を生成し、実行役や運転手役等に役割を分担し、重大な結果の発生する通勤時間帯を犯行時刻に選んでサリンの散布方法を検討し、地下鉄への乗車時刻や乗車場所等を綿密に打ち合わせ、予行演習や現場の下見を行うなど、周到に準備をした上で、同時刻に多数の地下鉄車両内で犯行に及んでいるのであって、右犯行は、極めて計画的かつ大規模な組織的犯行である。しかも、被告人らは、教祖である松本の指示があれば、殺人さえも、悪業を積み重ねる現代人の魂の救済として正当化されるなどという自分たちのはなはだ独善的かつ反社会的な教義に基づき、ただ単に教団に対する警察の強制捜査を阻止するという極めて自己中心的で身勝手な目的のために、他者の人権を踏みにじり、多数の尊い人命を奪うという人間性を欠如した無差別殺戮の行為に出ているのであって、被告人らの犯行は、現代社会で認められた宗教の自由を履き違えた暴挙というほかなく、宗教の名に値しない許し難い重大犯罪というべきである。
 右犯行により、被害現場となった駅構内やその周辺では、多くの者が、意識を失って倒れ、口から血の混じった泡を吹き、吐き気を訴え、縮瞳や痙攣を起こすなど、正に一瞬のうちに平穏な朝が阿鼻叫喚の巷と化したのである。そして、乗客や地下鉄の職員ら十二名が死亡し、訴因に掲げられた者だけでも十四名が重傷を負っているのであって、被害はこの上なく重大である。殺害された被害者らは、いつもと同じように出勤のために地下鉄を利用していた乗客や駅構内で勤務していた職員らであり、このような理不尽な被害を受けるいわれもないのに、その場の空気を吸っただけで、訳も分からないままに意識を失い、激しい苦悶のうちに死亡するに至ったのであり、その無念さは察するに余りある。被害者らは、まだ二十一歳の年若い女性から九十二歳の高齢の男性まで様々であるが、臨月の妻を遺して逝った者、自らの職責を全うするために危険を顧みずにサリンの液が落ちた新聞紙等を処理したがために被害に遭った駅の職員、一年以上の闘病生活を経て意識の戻らないまま死亡した者など、その死は、いずれも悲惨極まりないものである。また、突然の惨事により愛する家族を失った遺族らは、その衝撃や悲しみで心身の健康を害した者も少なくなく、事件の知らせを聞いて収容先の病院に駆けつける間に、夫の無事を祈りながら手帳が真っ黒になるまで何回も何回もその名前を書き続けていた妻の行動など、遺族らの心情に触れるときには胸が締め付けられるような思いがするのであって、その悲嘆の念は筆舌に尽くし難いものがあるといわなければならない。遺族らの多くが、右犯行に関与した者、中でも愛する家族の命を奪ったサリンを製造した者を許すことは出来ない旨証言し、被告人らに対して極刑を強く望んでいるのも、当然のこととして理解出来るところである。さらに、重傷を負った十四名の被害者らが受けた精神的、肉体的な苦痛にも大きなものがある。とりわけ、二名の被害者は、瀕死の状態に陥っているところを救助され、幸いにも一命は取りとめたものの、意識障害や記銘障害等の重篤な後遺症を負い、今なお悲惨な闘病生活を強いられているのであって、その無念さや苦しみは、死亡した被害者らにも決して劣るものではない。また、変わり果てた姿となった被害者らの介護を続ける家族らも、共に苦しみ続けているのであって、妹が記憶を喪失して箸を持つことすら出来ない四肢機能障害等に陥っていることを証言した兄が、被告人らに対する峻烈な処罰感情を吐露しているのも、これまた当然というべきである。そして、右犯行は、首都の中心部において、市民が日常的に利用している地下鉄内で敢行されたものであるだけに、これが社会全体に与えた不安感や恐怖感は誠に大きく、我が訶の治安に対する内外の信頼を膜本から揺るがすことにもなったのであって、その社会的影響も計り知れないものがある。。
 被告人は、右犯行において、大量殺戮の凶器として用いられたサリンの生成に当たり、重要かつ必要不可欠な役割を果たしているのであって、その責任は誠に重大である。確かに、右サリンの生成は、それまでとは異なり、松本から直接に指示を受けた遠藤誠一らが関与して、ジーヴァカ棟で行われたものである。しかしながら、被告人は、ジフロからサリンをつくる方法を遠藤から尋ねられるや、それまでサリンの合成実験を重ねてきたことにより得た知識や経験に基づき、直ちに適切な生成方法を考案してこれを遠藤に教示し、右生成方法や使用する薬品の重量割合等を記載したメモを遠藤らに交付したほか、遠藤らが組み立てた実験器具の設置状況等を点検し、その後も、ジーヴァカ棟に度々赴いては、サリンの生成状況を確認し、反応を進めるために、生成方式を加熱方式に変更するように指示して、遠藤らに作業を行わせるなどしているのである。このように、右サリンは、被告人が、自らの豊富なサリン生成の知識や経験に基づき、生成過程の全体にわたって、遠藤らを指導することによって生成することが出来たのであり、被告人の関与なくしては、教団が、あれほど短期間のうちに、右犯行に使用された殺傷能力の高いサリンを多量に生成することは困難であったというべきであり、被告人は、右サリンの生成に重要かつ必要不可欠な役割を果たしているのであって、被告人自らも、遠藤らとともに、右サリンを生成したと評価することが出来るのである。
 そして、被告人は、同じくサリンを使用した無差別殺戮事件である松本サリン事件においても、自分が生成したサリンを中川に引き渡すなどして関与しており、その結果、甚大な被害が発生したことを他の誰よりも強く認識したはずであるのに、引き続き教団にとどまり、教団が再びサリンを使用して無差別の大量殺害を行うことを十分に認識しながら、自らサリンの生成行為に主体的に関与しているのであって、その責任が極めて重大であることは論を俟たない。サリンが、それを発散させさえすれば、直接に手を下さずとも大を殺傷出来る極めて致死的効果の高い毒物であることをも考慮すると、無差別の大量殺戮テロに使用されることを認識しながら、あえてサリンの生成に不可欠な行為を行ってサリンを生成させた被告人の刑事責任は、実際にサリンを発散させた実行犯らの刑事責任と比べ、これに勝るとも劣らないといわざるを得ない。
三 松本サリン事件(判示第二)
 松本サリン事件は、被告人らか生成したサリンが大量殺害の実践に役立つかどうかを試すとともに、教団が当事者となっている民事訴訟で教団に不利益な判断を下すことが予想された裁判官を殺害して裁判を妨害する目的で、深夜に大量のサリンを噴霧して発散させ、多数の住民を殺傷したというものである。
 右犯行は、深夜、裁判官宿舎付近の平穏な住宅街において、噴霧車を利用し、極めて致死的効果の高い毒物であるサリンを約一二リットルもの多量にわたって噴霧するという極めて大規模なものであり、我が国で最初となるサリンを使用した無差別の大量殺戮テロ事件である。実行犯らは、アルミコンテナ付き二トントラックを改造し、加熱式噴霧装置を搭載した噴霧車を製作し、松本市内を幾度も下見し、噴霧役のほか警備役や医療役等に役割を分担し、サリン中毒の予防薬や治療薬、注射器、酸素マスク等を準備した上で右犯行に及んでいるのであり、周到に準備された極めて大掛かりな組織的犯行である。しかも、松本や実行犯らは、サリンの殺傷能力を試すとともに、民事訴訟で敗訴判決が出るのを危惧して裁判を妨害するというはなはだ身勝手かつ反社会的な目的のために、人の生命の尊厳を一顧だにせず、このような残虐な犯行を敢行しているのである。右犯行は、無関係な多数の住民の生命を奪い、裁判制度をも根底から否定しようとする誠に凶悪な犯罪というほかない。そして、サリンを使用した大量殺害は、これまで例を見なかったものであり、サリンによる犯行であることが早期に判明しなかったことも相俟って、相当長期間にわたり、重大な社会不安を引き起こしたのであって、その点も看過することは出来ない。
 右犯行により、被害現場となった住宅街では、多くの者が、吐き気を訴え、縮瞳や痙攣を起こし、意識を失ってばたばたと倒れるなどしており、周辺住民をして恐怖と不安に陥れたのである。そして、犯行現場近くの七名の住民が死亡し、訴因に掲げられた者だけでも四名の住民が重傷を負っているのであって、その結果は誠に悲惨かつ重大である。殺害された被害者らは、春秋に富む十九歳の学生から働き盛りの五十三歳の会社員まで様々であるが、最も安心出来るはずの自宅において、恋人と電話をしたり、入浴したりしながら、一日の疲れを癒してくつろいでいた最中に、突然、猛毒のサリンに見舞われ、原因も分からず、助けを求める暇もないままに意識を失い、激しい苦悶のうちに非業の死を遂げなければならなかったのであり、その無念さは想像を絶するものがある。また、理不尽にも愛する家族を奪われた遺族らは、その精神的衝撃や悲しみも誠に大きく、殺害された息子が最後に着ていた衣服を風呂敷に包んで抱いて寝ることを続けた母親の悲痛な思いなど、遺族らの心中は察するに余りあるのであって、遺族らの多くが、右犯行に関与した者らに対して極刑を強く望んでいるのも、当然というべきである。さらに、重傷を負った四名の被害者も、長期間にわたる加療を余儀なくされ、その精神的、肉体的な苦痛は甚大であり、うち一名については、一命こそ取りとめたものの、重篤な後遺症によって、現在に至るまで意識が戻らない状態が続いているのであって、その状況は悲惨というほかなく、自らもサリン中毒の被害に遭いながら、介護を続けている夫ら家族の苦しみには大きなものがある。
 被告人は、松本の意を受けた村井秀夫からサリンの製造を指示されるや、サリンがそもそも人の殺傷以外には用途のないものであり、自分の生成するサリンが人の殺傷のために使用されることを認識しながら、化学的知識や経験を駆使して、分量を増やしながら次々とサリンを生成し、最終的には、約三〇キログラムものサリン溶液を生成しており、このサリン溶液が右犯行において使用されるに至ったものである。そして、被告人は、右犯行当日、クシティガルバ棟内に入ってきた噴霧車を目にして、実行犯らがサリンを噴霧して不特定多数の者を殺害する計画を実行に移そうとしていることを認識したにもかかわらず、何ら躊躇することなく、自分が保管していた右サリン溶液を中川に引き渡し、サリンを移し替えるための器具や防毒マスク等が備えられたクシティガルバ棟を立ち入り禁止にした上、中川に対し、サリンを秘密裏に噴霧車に充填する場所としてクシティガルバ棟を提供しているのであって、その果たした役割は極めて重要なものである。してみると、被告人は、実行犯らが松本市内でサリンを撒くことまで認識していたとは認められず、右犯行の幇助犯が成立するにとどまることを考慮に入れても、被告人の刑事責任が極めて重大であることは多言を要しないというべきである。
四 VX三事件(判示第三の一から三まで)
 VX三事件は、教団に敵対するとみなされた三名の者に対し、殺意をもって、極めて殺傷力の高い毒物であるVXをその身体に掛けて体内に浸透させ、うち一名を殺害し、二名に重傷を負わせたというものである。
 VXは、軍事的目的から開発された神経剤で、サリンの約一〇〇倍の殺傷能力を有する致死性の高い毒物であるところ、被告人らは、このようなVXを生成して保管する一方で、被害者らの住所や行動等を調査し、犯行方法や犯行場所等を綿密に検討し、VXを被害者らに掛ける実行役のほか、その補助役や見張り役等に役割を分担し、VX中毒の予防薬や治療薬、手術用のゴム手袋等を準備し、予行演習を行うなど、周到に準備をした上で、わずか一カ月余りの間に次々と犯行に及んでいるのであり、その犯行の計画性や組織性は顕著である。また、各犯行の態様も、実行役らがジョギングを装って被害者に接近し、補助役が被害者の気をそらしている間に、実行役が注射器に入ったVXを気付かれないように被害者の後頸部に掛けて逃走するという巧妙なものである。VXは、ごく少量を皮膚に付着させるだけで人を殺傷することが可能であり、痕跡もほとんど残らない上ノ右各犯行当時は、その存在が一般には知られておらず、医師が受傷の原因を確定して適切な治療を講じることが困難であったのであり、その意味でも、悪質極まりない犯行といわなければならない。しかも、被告人らは、○○VX事件においては、当初、VX塩酸塩を使用して襲撃に失敗したものの、その後も、殺傷能力の高いVXをつくり直して犯行に及んでいるのであり、強固な犯意に基づく執拗な犯行というほかない。
 右各犯行により、一名の被害者が尊い命を奪われたほか、二名の被害者も、幸いにして一命は取りとめたものの、それぞれ約二カ月間の加療を要する重傷を負い、一時は生命の危険が切迫するほどの症状に陥っているのであって、右各犯行の結果は、誠に重大である。とりわけ、殺害された被害者は、二十八歳という若さで人生もこれからという時に、何ら確たる根拠もないのに、教団から公安警察のスパイと決め付けられて標的とされ、出勤途中を突然に襲われて路上に昏倒し、意識が回復しないまま、無惨にもその生涯を閉じるに至ったものであり、その無念さや死に至るまでの苦痛はいかばかりであったかと察せられる。残された遺族の悲嘆や憤りの念も大きく、その母親は、将来を楽しみにしていた最愛の息子をいわれもなく奪われた悲しみを語り、被告人には死をもって罪を償ってほしいと証言して、峻烈な処罰感情を吐露しているところである。さらに、一命を取りとめた被害者らも、長期間にわたる入院加療を余儀なくされ、その精神的、肉体的な苦痛は甚大である。
 被告人は、○○VX事件において、教団がVXを特定の人に対して使用することを認識したにもかかわらず、松本から命じられるや、直ちに殺傷能力の高いVXを新たに製造して遠藤に交付し、その後、右VXが実際に使用されて重大な結果を生じさせたことを聞き、その致死的効果を確信した後も、右VXの保管を続け、○○VX事件および○○VX事件においても、教団が人の殺害の用に供することを知りながら、中川に対し、求められるままに右VXを交付しているのであって、その果たした役割は極めて重大である。VXは、サリン以上に生成が困難であり、被告人は、海外の文献に記載された方法では生成することが出来なかったため、自らの合成実験の経験を踏まえながら、独力でVXの生成方法を考案し、また、VX生成の最終工程については、VXの危険性の高さを考慮して、他の者を関与させずに一人で行っているのであり、右各犯行において、凶器として用いられたVXの生成という正に必要不可欠な役割を担っているのである。そして、右各犯行が、ごく少量でも皮膚に付着させさえすれば、相手を死に至らしめるというVXの性質を利用して行われていることに照らすと、人に対する殺傷行為に使用されることを十分に認識しながら、あえてVXを生成し、これを実行犯らに交付した被告人の刑事責任は、実際にVXを被害者らに付着させた実行犯らの刑事責任と比較しても、いささかも遜色がなく、極めて重大であるといわなければならない。
五 PCP事件(判示第一)
 PCP事件は、クシティガルバ棟において、麻薬であるPCP七・八グラム余りを製造したというものである。
 PCPは、極度の精神異常や凶暴化をもたらす幻覚剤であり、現在知られている乱用薬物の中でも最も危険な薬物であるところ、被告人は、このようなPCPの性質を十二分に知りながら、村井から指示されるや、何ら躊躇することなく、安易にかなりの分量のPCPを製造しているのであって、被告人の規範意識の欠如は顕著であるというはかない。
六 本件全体における被告人固有の情状
 これまで見てきたように、本件のうち、地下鉄サリン事件、松本サリン事件およびVX三事件は、極めて特異かつ独善的な教義を標榜する閉鎖的な宗教団体である教団が、その内部でサリンやVXという化学兵器を生成した上、悪業を積み重ねる人々の魂の救済などと称して、一般市民に対し、これらを殺害の凶器として使用し、無差別の大量殺戮事件を含む殺傷事件を次次と敢行したところに、最大の特徴があるということが出来る。そして、被告人は、教祖である松本や教団幹部の村井から指示されるままに、教団随一の豊富な化学知識や経験を駆使して、各犯行に使用された化学兵器のすべてを自ら開発して生成しているのであって、被告人の存在なくしては、化学兵器を使用した教団の犯罪は起こり得なかったと言っても過言ではなく、その意味において、被告人は、これらの教団の一連の犯罪の中核を担っていたと評価することが出来るのである。
 そもそも、化学は、物質の構造や性質、物質相互間の化学反応等の研究を通じて、科学的真理を明らかにする学問であり、その研究成果は、人類全体の福祉や幸福の実現のために用いることが出来るものであるが、同時に、その成果を化学兵器として使用した場合には、一瞬にして多数の人々の生命を奪い、あるいはその心身に重大な傷害をもたらす手段にも転化し得るものである。被告人は、大学院において化学の研究に携わった者として、そのような人類のために果たすことが出来る化学の役割とその本質的な危険性を他の誰よりも理解していたはずであるのに、教団に出家した後は、教祖である松本からの高い評価や精神的、宗教的な充足感を得たいとの思いに加え、自らの化学的興味を満足させたいとの思いもあって、次第に人間としての良心や倫理観を鈍麻させ、松本らから指示されるままに、その化学に関する知識や能力をもっぱら殺人用の化学兵器の開発および生成に傾注し、その結果、前記のような重大かつ悲惨な被害を発生させるに至っているのである。このように、化学を悪用して教団による無差別の大量殺戮等を可能にした被告人が、実行犯らにも増して、厳しい非難を受けるのは当然であるといわなければならない。
 ところで、被告人は、九五年の第一回公判期日以降、二度にわたって私選弁護人を解任するなどして、本件審理を長期化させている上、その審理期間中、遺族らの悲痛な証言や、松本の説く反社会的な教義と決別した共犯者らの証言を幾度も耳にしたにもかかわらず、自分は尊師の直弟子であると述べて、松本をことさらに庇う供述をするなど、飽くまでも松本に対する帰依を貫く姿勢を示している。
 そして、被告人は、地下鉄サリン事件や松本サリン事件等の真犯人が教団ではないなどといった不自然、不合理な弁解を繰り返し、現在に至るまで、被害者や遺族らに対し、何ら慰謝の措置を講じていないのはもとより、真摯な謝罪の弁を述べることすらしていないのである。しかも、被告人は、時には訴訟関係人等に対する誹謗的言辞さえ弄しているのであって、このような被告人の公判廷における数々の身勝手な態度が、今なお重大な被害に苦しむ被害者や遺族らの心情を更に傷つけ、その悲しみや怒りを増大させるものであることは、多言を要しないところである。これらの事情に照らすと、被告人には、自己の行為に対する真摯な反省や悔悟の念を窺うことは出来ないというはかない。
七 被告人に有利な事情
 他方、被告人のために有利に斟酌することが出来る事情も存在する。すなわち、被告人は、地下鉄サリン事件、松本サリン事件およびVX三事件のいずれにおいても、直接の実行行為を行っていないのみならず、事前の謀議にも参加しておらず、犯行計画の詳細を知り得る立場にはなかったものと認められる。そして、被告人がサリンやVXの生成に従事することになったのも、松本やその意を受けた村井から指示されたことを契機とするものであって、被告人自らが、当初から無差別の大量殺戮を企図してサリン等の生成を発案し、これを積極的に進めた様子は窺うことが出来ない。
 また、被告人は、勉学に励んで大学院に進学し、有機物理化学研究室において、化学実験に取り組むなど、教団に入信する以前には、真面目な社会生活を送っていたものである。さらに、被告人が教団に入信して出家したのは、純粋な宗教的興味や入信に反対する両親との確執が切っ掛けとなっているのであって、当初から教団で犯罪行為を行うことを意図していたわけではない。被告人は、生来、犯罪的傾向を有していた者ではなく、教団に入っていなければ、本件のような残虐な事件に関与することはなかったであろうということが出来る。
 以上のような被告人のために有利な事情が認められる。
 しかしながら、被告人は、教団に出家した後、被告人の化学的能力を見込んだ松本らから、サリン等の化学兵器を製造するように指示され、教団がこれらの化学兵器を人に対する殺傷行為に使用することを知りながら、松本らから指示されるままに化学兵器の製造に没頭し、とりわけ、自らが製造したサリンにより、松本サリン事件において重大な被害を発生させた後も、そのことと真摯に向き合おうとせずに、教団内にとどまって化学兵器の製造を続け、遂には地下鉄サリン事件を発生させるに至らしめたのであり、前記の被告人のために有利な事情を斟酌出来る程度には、おのずから限度がある。
八 結論
 被告人の関与した本件各犯行、特に地下鉄サリン事件および松本サリン事件は、その犯罪の罪質、動機、態様および結果のいずれをとっても、犯罪史上稀に見る悪質かつ残虐な犯行であり、被告人は、多数の住民を無差別に殺傷した松本サリン事件に関与した者として、同事件であれほど悲惨な結果が発生したことを十二分に認識していたにもかかわらず、再び自らサリンの生成に不可欠な行為を行ってサリンを生成させ、多数の乗客等を無差別に殺傷した重大かつ悲惨な地下鉄サリン事件を引き起こしているのであって、その一点に限ってみても、その刑事責任は、この上なく重大であるといわなければならない。
 そうすると、死刑が、人の生命を奪い去る究極の刑罰であり、真にやむを得ないと認められる場合にのみ選択が許されるものであることや、共犯者らとの刑の均衡等を考慮しても、結果の重大性や被告人の関与の程度等を考慮するとき、被告人に対しては、死刑をもって臨むほかはない。
 よって、被告人を死刑に処することとする。
〔主文〕
 被告人を死刑に処する。
 警視庁辰巳倉庫で保管中のPCP二瓶を没収する。
 本件公訴事実中、九五年五月十七日付起訴に係る犯人蔵匿の点については、被告人は無罪。

底本:『オウム法廷13』(2004年、降幡賢一朝日新聞社