「松本智津夫被告 Tさん殺害事件についての供述調書の要旨」(『オウム法廷』13巻)

松本智津夫被告 Tさん殺害事件についての供述調書の要旨】
●1995年10月4日付 検事調書(M、T事件の概要)
 M事件とT事件について説明します。坂本弁護士一家殺害事件以前に、教団内部で信徒として泊まり込み修行中のM君(匿名にする=筆者注)が死亡し、その事件に関係したT君も後に精神病になって、本人の希望により殺害したことがありました。この件について、説明します。
 M君について、事件のあった一カ月ほど前に修行を始め、修行により精神病を克服したいという希望でしたので、薬をやめて修行していたのですが、一九八八年十月ごろ修行中に病気が再発したようで富士山道場の二階責任者であった佐伯(岡崎被告のこと=同)
 一明からその旨報告があり、修行によりエネルギーが上昇し、熱が頭部へいったためであると考え、水で頭を冷やすように指示し、ドクターである平田雅之(ピアニスト監禁事件で九七年三月二十一日、懲役三年執行猶予五年の判決を受けて確定=同)らをつけて頭を冷やすようにしたのですが、どういうわけかM君が水を飲んで死亡してしまったようでした。私はその報告を受けて、彼の死亡を確認し、村井(秀夫)や佐伯の勧めもあって当時は宗教法人の申請をしようと準備していた時でしたし、平田君に関して家族が政治家を使い取り戻しを工作していた時でしたので、事故を表沙汰に出来ず、死体を焼くなどして死亡した件を表沙汰にならないようにしたのです。
 そんな事故があってしばらくした年末ごろではないかと思いますが、教団内の出家修行者であったT君も精神状態がおかしくなったのです。佐伯からその報告を受けて、私も彼と会い、いったんは佐伯に預け快復を待ったのですが、八九年二月ごろだと思いますが、佐伯からT君の様子がおかしいと聞かされ、直接T君と会いましたが、言ってることがおかしく、私に「ポアをしてほしい」と頼んできたのです。私自身も修行を続けるよう説得をし、早川(紀代秀)、村井、佐伯、新実(智光)、それにもう一人の教団幹部。(ここでは大内利裕被告の名を伏せている=同)に説得をさせたのですが、結局T君の気が変わらず、これ以上精神状態が悪化すればせっかくの修行が無駄になると思い、T君の意思に沿ったポアを承諾し、佐伯、早川、新実、村井などにポアを任せたのです。その亡骸はM君と同様に、佐伯たちが処分していました。
●1995年10月22日付 警察官調書(T君をポアした理由)
 私の知っているT君の件について話をします。
 私がT君を知ったのは、八八年八月ごろからです。このころ、護摩法の供養を富士山総本部道場の隣の農地を使って行っておりました。T君が本部道場の二階で修行している立位礼拝の声が数百メートル離れた護摩壇まで聞こえてきており、私としてはすごい人が出家したものと思っておりました。T君とはこの年の八月、数度修行のアドバイスをしたことがあり、さらに十月ごろT君が第一サティアンの最後の仕上げのワークにCSIの電気班から建築班に出向して電気の配線をしていた時、一、二度修行と功徳の話をしたことがあります。第一サティアンが完成した十一月ごろから、T君は修行に入りました。T君の修行の担当は、大内利裕・大内早苗兄妹の二人がやっておりました。
 十一月か十二月中旬のある日、第一サティアン四階図書室で私と石井久子の二人でシャクティパットの話をしているところに、佐伯一明が部屋に入ってきたのです。佐伯は当時出版の営業部長をしており、先はどから話をしているT修二君をオウム真理教に入信させた者です。佐伯は私に「Tがおかしい。精神が不安定だ。修行が出来ていない。担当の大内兄妹が面倒見ていないのではないか」と言ってきたのです。私としてはT君は心にとめていた弟子の一人なので、T君を修行させるために、T君と関係の深い電気班のリーダー村井秀夫、T君を入信させた佐伯一明、T君を出家させた新実智光、建築班のリーダー早川紀代秀を第一サティアンの図書室に集めました。みんなが集まってから五分もしないうちに石井久子はシャクティパットの課業の修行のため、部屋を出ていきました。佐伯が集まったみんなにT君のことを一応説明しました。前後、T君の修行の状況を聞くため、担当者の大内利裕と大内早苗の二人を呼んでT君のことを聞きました。大内兄妹は、T君は心に悩みがあるみたいだと話しており、私は大内兄妹に「心が落ち込んでいたら、なぜ引き上げないのだ。なぜポアをしないのだ」と言うと、二人は「申し訳ありません」と謝っておりました。私が言ったこの時のポアの意味は、意識を変容させて引き上げる、ということです。この会議の結果、T君については私に一任することになり、散会しました。そこで私は佐伯にT君を面倒見るようにと話をし、佐伯はこれを了解してT君を東京に連れて帰りました。
 十二月の終わりごろ、佐伯が営業報告にきた時、T君の話になり、この時は非常にいい状態で修行もワークもやっているということでした。翌年一月中旬ごろ、佐伯が営業報告にきた時の話では、「T君の様子がおかしい。ワークもしないで寝てばかりいる」と言ってきたので私は「修行者はそういう時もある。プラーナがアナハタチャクラに入った時にそのような状態になる」と佐伯に話しました。佐伯は「M事件と絡んでおり、心に引っかかるものがあるのではないか」と言ってきました。M事件とは、M君が修行中に事故で死亡した事件のことです。私は佐伯に「T君に確認したのか」と尋ねると、「確認はしていないが、状況からそうではないでしょうか」と言っておりました。私は「思い過ごしかもしれない」と言って佐伯を帰しました。今思ってみると、この時佐伯の話をよく聞いて対処していれば、このような事件にはならなかったと反省しております。
 一月末か二月初めころ、私か第一サティアン四階会議室に一人でいるとき、佐伯が入ってきて「T君は修行はしないし、寝てばかりいる。反発もする」と言ってきたので、私はT君と二人で話し合ってみようと思い、会議室でT君と二人で話し合いました。T君は「修行が出来ない。ワークも出来ない。これは佐伯からポアの話を聞いたときからです。ポアをしてもらえれば、高い世界に行ける。積み上げてきた功徳を壊さないためにも、還俗したくない」と言ってきたので、「君は還俗したいのか」と聞くと、「先生、私は東京にいるのです。還俗したければいつでも帰れました。交番に駆け込むことや、電話をすることも出来たのです。功徳を積むワークも修行も出来ない。どうしようもない。ポアしてもらうか、自殺するしかない」と泣きながら訴えてきたのです。私は自殺はカルマになると話をしました。T君は自殺の方法を頸動脈か手首を切る、と話していたので、その理由を聞くと、痛みもなく楽に死ねるという話を三十分から四十分したのです。いくら説明してもT君の考えは変わらないし、この時のT君の目は異常でした。T君は私の縁で出家したのではなく、他の人の縁で出家したものと思い、佐伯を呼んで「T君をどこかで修行させてくれ、危険だから看守を付けておいてくれ」と言って二人を下がらせたのです。私が看守を付けてくれと言ったのは、T君の自殺を防止するためでした。
 その後T君と関係の深い村井、新実、佐伯、早川、大内利裕の五名を呼び集めました。この時早川が新実は遠くにいたために全員が集合するまでにかなりの時間がかかりました。全員が集まったので、「T君はこのような状態でポアを希望している。必ず縁の深い者がいるので、説得してくれ。私は血を見たくない」と話をすると、全員「わかりました」と言って部屋を出ていきました。私かこの時言った「血を見たくない」というのは、T君を自殺させたくないという意味です。全員が部屋を出てから二十分ぐらいして、佐伯が一人で部屋に戻ってきました。佐伯は「T君は、私たちをひどく怒っている」と言うのでその理由を聞くと、「待っている間にひどい扱いをされたので、怒っていると思います」と言っておりました。私は「T君は心が変わらないのか。強く説得してくれ。絶対血を流させるなよ」と言って再度説得に行かせました。
 佐伯が部屋を出てから約二十分ぐらい経った時、再び佐伯が戻ってきて「T君をポアしました」と言ってきたのです。説得の状況を聞くと、早川一人で説得して他の者は少ししかやらなかったということでした。説得に行った五名はT君よりステージが高いので、この五名に生命が砕かれても、五名の経験、意識連続、光の経験、タルトリッジティーからみて、T君がポアされたことは間違いないことです。佐伯がポアしました、という意味がわかりました。俗世では殺したという意味です。佐伯からT君をポアしたという話を聞いた後、佐伯と二人で富士山総本部横の農地に行くと、村井、新実、大内利裕、早川紀代秀の四人がT君用の護摩壇の用意をしておりました。私はなぜ説得しなかったのかと話をすると、全員「申し訳ない」と言っておりました。そして、私は「T君の死体だけを焼くのではなく、供物を一緒に入れてマントラを唱えて修法しなさい」と話をして、第一サティアン四階瞑想室に入り、T君のために瞑想しました。このT君の死体を焼く儀式は、村井秀夫が中心になってやったと思います。これがT君が消えた全貌です。
 この時、本職は供述人と次の問答をした。
 問:石井久子、大内早苗はこの事件に関係ないのか?
 答:今まで話したとおり、十一月の段階で一部会議に加わったことがありますが、T君の殺害の時にはこの二人とも現場にはいないので、この事件には関係ありません。
 問:T君を焼く時も石井久子、大内早苗は現場にいなかったのか?
 答:私はすぐに瞑想のため第一サティアンに戻りましたので、その後のことはわかりません。二人とも関係ないと思います。
 この後、T君の弟が兄を捜しに富士山総本部を尋ねて来たが、うまくごまかして帰したと佐伯から聞いております。その後、M事件に関係した○○、○○(いずれも匿名にする=同)の二人が修行やワークが出来なくなった時、T君の件で弟子達に慈悲がないことがわかったので、私かこの二人の面倒を見ました。二人は最終的には還俗しております。T君が殺されたのは、M事件に関係したため殺されたと言われておりますが、M事件に関係した○○、○○の二人が還俗していることをみても、T君の殺害とM事件は関係ないと思っております。
 T君に対して今の気持ちは、
1、T君が自殺したいとかポアして下さいと言った気持ちは、修行者同士なのでよくわかります。
2、ポアの現場に行っていればこのようなことはなかったので、これは反省の材料です。
 この調書は、自宅に帰っている刑事さんを呼び出してもらい、私の希望で作成してもらったもので、時間が遅くまでになりましたが、私の自由意思で調書作成をお願いしたのです。
●1995年10月22日付 検事調書(T君殺害に至るまでの状況および殺害後)
 八九年二月初めごろ、富士山総本部の施設内で、オウム真理教の出家修行者であったT君が、私の弟子である村井秀夫、佐伯一明、早川紀代秀新実智光らに殺害された件について、私の知っていることを話します。
 私は今まで逮捕起訴された事実についてほとんど黙秘などで通してきましたが、今回のT君殺害事件については主犯者である佐伯一明が真実を話していないように思われ、私も弟子であったT君がなぜ殺されたのかについて話しておかなければ、一部嘘をついている佐伯の言い分だけが真実であると誤解されてしまうと思い、私の記憶している事実を話すべきだと思ったのです。
 では、事件の経緯について話します。七年前のことですので、細部に至るまで正確に記憶しているかは自信がありませんが、記憶のあるところははっきりと申し上げますし、曖昧なところはそのように申し上げます。また、私の記憶が混同などにより誤っている場合も考えられますので、ご了承下さい。
 T君が出家したのは、八八年夏ごろであったと思います。出家当初、彼は大きな声で立位礼拝をするなどして、私も彼の存在には気付いており、一、二度彼と話したことがありました。T君は十一月ごろから極厳修行に入り、彼の指導を大内利裕、大内早苗が担当していました。
 そのT君の様子が変だと知ったのは、二月中旬ごろだったと思います。私が第一サティアン四階図書室で石井久子とシャクティパットの話をしていた際、出版の営業部長をしていた佐伯が入ってきて、営業状況の報告をするかたわら、T君の状況について説明したのです。私の記憶では、T君が入信したのは福岡支部であり、その当時の支部長が佐伯で入信を担当したのが佐伯であったことから、道場でT君の様子がおかしいのに気付き、私に話してきたのだろうと感じました。佐伯は私に「先生、Tの様子がおかしいですよ。彼は道場で座り込んでいるだけで修行が出来ていない。精神状態が不安定のようです。担当の大内はちゃんと指導していないんでしょう」などと言ってきたのです。私は声の大きなT君のことをよく覚えており、佐伯に指摘されて気になり、ちょうど何かの会合があった時で幹部が揃っていたので、T君に縁のある幹部を呼び集めたのです。T君は以前電気班に所属しており、その時のリーダーである村井を呼びました。また彼は建築班にもいたことがあったので、早川も呼んだのです。それにT君を入信させたその場にいる佐伯、それに彼を出家させた新実も呼んでT君の入信から出家までの状況について確認しました。その上で修行状況を聞くために大内兄弟を呼んで話を聞いたのです。ところで、佐伯が来たときに部屋にいた石井は、T君の件とは直接関係がありませんでしたので、大内兄妹が来た頃には席を外していたと思います。大内兄の方から「T君は何か悩みがあるようです。修行する時はしっかりやるのですが、だめな時にはふさぎ込んでいます」と報告したのです。私はそれを聞いて、T君は修行によってアナハタチャクラに気が入ってしまっている状況であると思い、大内兄妹に「なぜ引き上げるように指導しないのか? なぜ意識をポアしてあげないのか?」と注意したのです。この時の「ポア」というのは、意識を変容させて引き上げてあげる意味であり、大内兄妹も指導不足を認めて私に謝罪したのです。T君をどのように指導していくか、各幹部が私に任せるというので。私は入信させた佐伯に指導させようと思い、彼にそのように指示しました。その後佐伯は私に営業報告をする際、時々T君の近況についても報告してくれ、修行もワークも一生懸命やっていると教えてくれました。私はそのような話を聞いて安心していたのですが、年が明けた八九年一月中旬ごろ、佐伯から営業報告を聞いた際、「T君がまたおかしくなり、ワークや修行をしないで寝てばかりいる」と報告されたのです。私はその状況を聞いて、佐伯にT君のプラーナがアナハタチャクラに入ったのだと思うと説明したのですが、それ以外に佐伯からT君が上司に反発するという話を聞き、そろそろプラーナがアナハタからリシユッダチャクラに抜ける際にそのような現象の起こることを説明しました。 しかし、佐伯は「T君はM事件に関係していますし、何か心に引っかかるものがあるようです。本人にそのことは確認していませんが、間違いないと思います」と言うので、私は修行の成果が出てきたのだろうと思いましたが、佐伯によく指導するよう注意しておいたのです。
 そんなことがあった後しばらくしてから、佐伯が第一サテイアン四階会議室にきて私に「T君の様子がおかしいので、連れてきました。修行もしませんし、寝てばかりいてかなり反発もひどいのです」と言うので、私は彼と二人で話をしてみることとし、佐伯に「T君と二人で話をさせてくれ」と言って、佐伯と入れ替えにT君を会議室に入れました。私はT君の肩に手を置いて親しみを込め、「どうしたんだ。修行をしなければだめじゃないか。私は明るい君が好きなんだよ」などと話し始めたのです。申し遅れましたが、佐伯はT君の状況を説明する際、T君がポアをしてほしいと言っている旨聞かされたので、彼と会って詳しく聞くことにしたのです。T君は私に「修行が出来ないんです。ワークも出来ませんし、どうしていいかわかりません」などと泣き始め、「私はこのままでは悪趣に落ちてしまいます。私をポアしてもらえませんか」などと言い始めたのです。私は当時まだ、一般出家信者にポアのことを説明しておらず、T君に「ポアというのは、誰に聞いたのか? 意味はわかっているのか」と聞いたところ、彼は「アングリマーラ大師(岡崎一明)に聞きました。ポアというのは、意識を高い世界に引き上げてもらい死ぬことだと聞きましたが、修行が辛くて出来ないので、ポアをしてもらえば苦しい修行をせずに高い世界へ行ける」などと言っていたのです。私はT君に「還俗したいのか」と尋ねましたが、彼は「還俗するのであれば、私は東京にいたわけですから、いつでも出来ました。還俗する気にはなりません」と言って、「修行も出来ませんし、自分でもどうしていいかわかりません。ポアしてもらえないのならば、頸動脈か手首でも切って自分で死ぬしかありません」と主張したのです。私は何度かそのようなことを考えずに修行に向けて意識を変えられないかと説得しましたが、結局彼は同じ答えをするだけで、目つきも異常でしたし、私一人の手には負えないと思い、T君が私の縁ではなく他の人の縁で出家したのだろうと思い、とりあえずT君を自殺をしないように看守を付けて修行をさせ、彼と縁のありそうな人を集めて説得しようと思い、佐伯にその旨指示をして彼と縁の深いと思われる村井、新実、佐伯、早川、大内利裕を呼び集めました。私の記憶では、佐伯とT君が私のところへ来たのは朝九時ころで、午前十時ころにT君を修行に入らせ、近場にいた幹部はすぐに集められましたが、本部にいなかった新実と早川を呼ぶのに時間がかかり、結局みんなが揃ったのは夕方四時ころであったと記憶しています。
 私は集めた五人の幹部の弟子にT君の状況を説明し、「君たちの中にT君と縁の深い者が必ずいるので、なんとか彼の意識を変えるように説得してくれ。彼自身はこのままだと悪趣に落ちると言ってポアしてくれと言っているが、私は彼の流す血を見たくない」と話したのです。私の意思としては、佐伯たちにT君をポアしたいと言ったのではなく、なんとか説得をして修行を続ける気持ちに変えるように指示したつもりでした。しかし、私自身の言葉が足りなかったのかもしれません。なお、私か佐伯たちに血を見たくないと言ったのは、T君が自分で首や手首を切って自殺しかねない状況でしたので、私は彼に自殺をさせたくないという趣旨でそのように言ったのです。
 私の指示を受けて、佐伯たちはT君のところへ説得に行きました。約二、三十分後ぐらいに佐伯が一人で私のところに報告に来て、「T君は先生のことをひどく怒っている」と言うので、理由を尋ねると佐伯が「どうも待っている間にひどい扱いをされたようで、怒っています」と言うので、私は佐伯になんとか彼を説得するように指示しました。
 ところがそれから二、三十分して佐伯が一人でまた私のところに来て「先生、T君をポアしました」と言ってきたのです。私は佐伯に、あれほど説得するよう強く指示したのに、なぜT君を殺すようなことになったのか、驚いて聞きました。確か佐伯はT君自身がそれを強く希望したような話をして、私もT君の態度からそのことは理解出来ましたし、ポアしたのが成就した弟子の五人でした。ので、T君がより高い世界に意識を移し替えることが出来ただろうと思い、せめてもの救いだと考えることにしました。私は佐伯と第一サティアン裏の農地にいた村井、新実、大内利裕、早川のところへ行き、どのように説得したのか強く尋ねました。しかし、結局殺してしまった後で文句を言っても仕方がないという気持ちがあり、T君の遺体を護摩壇で火葬するように相談して決めました。村井から護摩壇の炉の形を聞かれたので、T君はアミターバを供養する炉の形である半月形にするよう指示し、みんなで炉を組んでいました。私は村井に、T君がバルドーに入ってからひもじくないように遺体と共に供物を一緒に入れ、マントラを唱えるようにと指示し、供物には果物とお菓子を使ったような気がします。その後は村井に任せておきました。
 問:君はその後、長時間の説法をしたことはないか?。
 答:私は数時間、供養の瞑想をしたと思います。説法をしたとすれば、その後で、臭いや護摩壇のことを弟子達に知られないよう気を遣ったのかもしれません。
 はっきりした時間はわかりませんが、T君を佐伯たちが殺害したのは、夕方五時ごろであり、その後護摩壇の準備などで数時間かかりますので、火葬し始めたのは夜遅い時間だと思います。私はT君の遺体は確認していないと思います。なお、私がT君を殺害するよう佐伯や早川たちに指示したのではないかと疑われておりますが、今まで話したように私か佐伯たちにT君の殺害を指示していませんし、T君がM事件に関連していることから脱会されてM事件のことを警察に知られるのが怖くて殺害したのではないかと疑うのもわからないではありませんが、その後、M事件に関係した○○、○○についてはT君と同じような状態になり、私か最終的に還俗させています。また事件後、佐伯からT君の弟が所在の確認に来たことも報告されましたが、佐伯がうまくごまかして帰したと言っていました。
 右のとおり、録取して読み聞かせたところ、次の通り訂正等を申し立てた。
 まず第一点は、私か出家当時のT君と会った回数ですが、一、二度ばかりではなくもっとありましたので数度と言った方が適当だと思いますし、単に話したわけではなく、私か教えを与えたのです。
 二点目は、T君が私に頸動脈か手首を切って死ぬと話した際、何かの本でそのようにすれば楽に死ねると読んだと言っているのを思い出しましたので、付け加えておいて下さい。
 三点目は、私がT君に還俗したいのかと尋ねた状況がありましたが、これは私か佐伯からT君が還俗したい旨言っていると教えられたからであり、実際確認してみると彼にそのような気がないことがわかりました。
 その余はそのとおり間違いありません。
●95年10月23日付 警察官調書(95年10月22日の調書作成の経緯)
 私は十月二十二日朝方にかけて、現在逮捕勾留されているT殺害の件について調書一通を作成し、署名指印しましたが、この調書を作成する経緯について話しておきます。
 十月二十一日に、逮捕されたT殺人事件について取り調べを受けましたが、署名指印を私が拒否したことから、この時は調書を作成しませんでした。取り調べが終わって房に戻った後、事件のことで色々考えました。事件の概要について話しておいた方が、共犯者として逮捕された者や関係者として名前の挙がっている者たちのために心要だと考えがまとまりました。考えあることを承知しながら看守の人に「○○警部に来てくれるよう連絡して下さい」と連絡方を依頼したのです。
 ○○警部が来てくれて房から出た時間は、十月二十二日午前一時十五分と聞かされました。本来ならこんな時間に取り調べを受けることはないのですが、私から希望しお願いして房から出してもらったのです。そしてT事件の概要について話をして調書を作成してもらい、その調書に署名指印しました。その内容は八九年の一月末から二月初めごろ、T君が「修行が出来ない。ワークが出来ない。ポアをしてもらえれば、高い世界に行ける」などと言ったので、T君と関係の深い村井、新実、佐伯、早川、大内利裕の五名を呼び集め、「T君がポアを希望している。説得してくれ」と五名に話をすると、全員「わかりました」と言って部屋を出ていった後佐伯が部屋に戻ってきて、T君を「ポアしました」とT君を殺害したことを知らせに来た、というものです。
 この調書の作成が終わり房に入った時間は、午前五時四十七分であると聞かされました。深夜から明け方にかけて調書を取られたわけですが、これは強制されたり脅されたり誘導されたりしたものではなく、一時間でも早く、一秒でも早くT事件について調書を取ってもらいたいという私の気持ち、希望からこの時間になってしまったのです。念のため申し添えておきたいと思います。
●1995年10月24日付 警察官調書(私の視力について)
 八九年一月末か二月初めごろ、オウム真理教信者であったT君が佐伯一明等の手によってポアされましたが、ポアされたその日にT君と三、四十分話しております。この時、T君の目の異常について気が付いておりますので、そのことについて話をします。
 まず、私の視力について話をします。私は七人兄弟の四男として生まれましたが、私の目は先天性緑内障なのです。左目は物心が付いた頃からものを見た記憶はありませんし、父や兄も左目は生まれたときから見えなかったと話していたのを覚えております。右目は小さい頃は普通に見えておりました。右目の視力がO・3であるということから、一九六一年熊本県立盲学校小学部に入校することになりました。しかし、入校する際の視力検査では右目はO・8ありました。この時の視力検査の方法は、一定の距離から表に書いてある大小の文字を判読する検査です。盲学校高等部一年の時の視力検査では、右目の視力はO・3でした。高等部二年生の時、パラリンピックの全国大会に出場するため熊本市立病院で視力検査してもらったところ、左目視力なし、右目O・3と言われ、この時正式に緑内障と診断され、サンピロとイピスタの点眼薬の治療を始めました。その時までは目の治療は一切やっておりませんでした。盲学校を卒業するまで教科書や雑誌は普通に読むことが出来ました。
 次に視力検査をしたのは、八二年六月、薬事法違反で警視庁に逮捕され、勾留中に警察病院でのことでしたが、この時左目視力なし、右目O・1と言われました。このころから一般生活には特に支障はありませんでしたが、視野が狭くなってきておりました。具体的に言うと、長時間の読書は無理で、読書を一時間も続けると、字がダブつて見えるようになってしまい、その後数時間その状態が続くのです。八八年ごろになると、ものを見るとき薄い磨りガラスを通して見るように、ものが霞んで見えるようになりました。しかし、人と対話をする際には相手の顔色や目の動きはわかり、雑誌を読むこともできました。辞書のような小さな文字は見えないので、ルーペを使って見ておりました。
 私の平温は36・5度ですが、八九年五月インドに行った際、原因不明の熱が40度ぐらいまで上がりました。この時私に同行した医師平田雅之が抗生物質のANPCを間違えて少量注射したため、熱が下がりませんでした。また、この時はカールチェン・リンポチェ師が亡くなった時でしたので、無理な旅行が続き、帰国後も熱が下がらず私は死にかけました。このことがあってから一気に視力が弱まり、九月ごろには対話をしている相手の顔も完全に見えない状態になってきたのです。それ以降は、昼と夜の区別、電気を点けたり消したりする時の光の区別も出来ないほどになりました。しかし宗教的にプラーナが右目に注がれているので、右目は狭い空間でも光っております。
 事件は八九年一月末か二月初めごろの事件ですので、このころは対話する人の顔色や目の動きはわかりました。T君がポアされる前日に彼と対談しております。この時T君の肩に手を添えるなど、間近で話をしました。T君の目は、三白眼で不気味で笑っているような目、目が若干上の方を向きキョロキョロせわしなく動く、私の顔を見て話をしない、でした。M君が事故で死亡する前の目と同じでした。宗教上私は、色々な精神病者と会っていますが、一般的に言うと物思いの激しい精神病者の目でした。
 私は本年五月十六日、地下鉄サリン事件で逮捕されましたが、逮捕直後の視力検査では視力はないと言われ、明暗もわからない状態でした。地下鉄サリン事件で逮捕されて以来、今回のT事件で計八回殺人罪等で逮捕されております。逮捕されるごとに、勾留尋問のため車で東京地方裁判所に護送されております。警視庁から車で出る際、報道関係者が私を撮るためフラッシュをたいているそうですが、私には今までこの光さえ感じませんでした。しかし、坂本弁護士一家殺害の(取り調べの)中で、勾留尋問のため裁判所に車で向かう途中、右目にホタルの光のようなものを感じました。それが刑事さんたちが言っていたフラッシュの光ではないかと思います。左目は完全に視力はありませんが、右目は眼球右下の一部分で、ものの輪郭がちらっと見えることがあります。それは常に見えるということでなく、房の中で修行が出来た時にそのような状態になるのです。
 今現在私の前にある机の縁の一部の輪郭が、ほんのうっすらと見えると言えます。机の色は青緑っぽい色に見えます。(この時、供述人は椅子から立ち上がり、顔を左右に動かし右眼球を動かしながら供述した。ただし、机上の色は茶色である)
 緑内障は悪くなるが、良くはならないと聞いております。仏教の『観音様の瞑想』という本に、手を失った者に再び手が生えてきたということが書いてありますが、視力が回復したということが書いてある本は見たことがありません。普通の人には信じられないことかもしれませんが、修行のおかげで視力が少しずつ回復してきているのではないかと思います。
●95年10月26日付 警察官調書(T君ポアの前にT君と話し合った内容について)
 T君が佐伯一明等にポアされたその日の午前九時ごろ、T君と二人で三、四十分ほど話し合いをしましたので、この時の二人の会話について話をします。
 私がサティアンビル(現在の第一サティアン)四階会議室に一人でいると、佐伯一明が部屋に入ってきました。私は物思いにふける時などよく富士山の見えるこの部屋に一人でいるのです。佐伯は「T君がおかしい。精神が不安定だ」と言ってきたのです。私は佐伯にに「T君はどこにいるのか」と尋ねると、「今一緒に来ています」というので、私は佐伯に「T君と話をしてみるから、お前は下がってT君を入れてくれ」と会議室から佐伯を出して、T君と二人きりになったのです。この時私は白い椅子に腰掛け、T君は私の方に私の前に足を崩した形の座法で座りました。そして、私はT君に「T君、どうしたのだ」と問い掛けたのです。すると、T君はいきなり泣きだし、「先生、ポアして下さい」と話し始めたのです。私はポアという言葉を聞いて、一瞬自分の耳を疑いました。ポアの概念は、密教の儀法としてこの日本では一般に知られていなかった内容だったからです。私は「君はどうしてポアという言葉を知っているんだい」と問い掛けると、T君は不安定な意識状態を表す目の動きをしながら、「『虹の階梯』に書いてあるではないですか」と言ってきたのです。『虹の階梯』とは、日本の偉大な密教修行者中沢新一先生の著した書物のことです。私は「そうか。『虹の階梯』を読んで知ったのだね」と言うと、「いいえ。アングリマーラ大師が私に勧めてくれたのです」と言ってきたのです。私は「そうか。しかし、本を読んでポアという言葉を理解することと、実際ポアして下さいと言うのでは、随分内容に飛躍があるね」と問いただすと、「実はアングリマーラ大師にポアの話をその前に聞いていたのです。そして確認の意味で『虹の階梯』を読んだのです」。私は「そうか。アングリマーラは何と言ったの」と質問すると、「オウム真理教で成就すると、ポアするくらいのステージになるんだ。しかし、私たちがポアする場合と先生がポアするのでは、その容器に入っているエネルギーの量が違うから負担が違うと佐伯から聞いた」と話してくれました。私は「成就した者が相手をポアすることを言っているのだね」と問い掛けると、T君は「そうです」と答えておりました。私は「確かにエネルギーの問題、心の問題等を考えると成就者がポアすることが出来なくはないだろうけれど、グルから借りているエネルギーで成就したわけだからポアしたら一気にステージが落ちるんじゃないかなあ」と言うと、T君は「苦しくて苦しくて仕方がないんです」と訴えてきたのです。私は「どうしてそんなに苦しいのだ」と尋ねると、「教団に入ると禁欲生活をしなければならないわけで、私はまじめに禁欲生活を守ってきたのです。性欲が強くなり、頭の中が女性のことで一杯になっているのです」と言ってきたのです。私は「そうか。それは君がまじめな修行者で、性エネルギーが強いということは、そのエネルギーが昇華すればクンダリニーヨーガが一気にいくわけだから今耐えて修行することは出家した目的のただ一つの道なのではないか」と諭すと、「先生、私は耐えられない。そして、性欲に耐えるとワークも出来ない。修行も出来ない。したがって先生の力でなんとか高い世界にポアして下さい」と私に懇願してきたのです。私は「T君、ポアは非常にエネルギーを使うことなんだよ。君をポアすれば高い世界に行くかも知れないが、来世で同じ点で性欲が強くなった時、また同じ苦しみを味わわなくてはならないんだよ。したがって今ここで踏ん張って乗り越えることが最もいい道になるんじゃないかなあ」と話してやりました。この時私は、自分の左手をT君の右肩にかけて、顔と顔は二〇センチくらいの近さで話をし説得を続けたのです。さらに私は、「君が出家した富士山本部二階道場で修行をしているときの立位礼拝の声が忘れられない。あれほど大きなはっきりした詞章を連続して出せる君なんだから、大きな高い成就が出来ると思う。しっかりがんばりなさごと励ましました。しかしT君は「先生、私の狂うような心の状態をなんとかして下さい。ポアして下さいよ。そうしなければ私は死ぬ増す」というので、「T君、死ぬということは痛いよ、苦しいよ、やめた方がいい」と言うと、「実は先生、私は中学・高校あたりに異常に死を考えたことがあるのです。どのように自殺をしたら楽であるかを考えました。本の中に、手首を切る、頸動脈を切ると死ぬのに一番苦しくないと書いてあったことを知っている。私はそうしたいと考えている」と死を望んでいるので、「T君、しかし、血が出てくるよ。そうすると意識が不鮮明になり、酸欠状態で必ず苦しいはずだよ」と言ったのですが、T君は「今の苦しみよりずーっといいですよ、先生」と言ってきました。私は「そうか」と言ってしばらく考えました。T君は死にたいと言っている。しかし、殺すわけにはいかない。なぜなら、T君は非常に優秀な修行者であるからである。そして私はT君に「君は誰が好きか」と尋ねると、彼は縁の深いその当時の大師、または大師になっていない者もいたかもしれませんが五名の名前を挙げたのです。私か好きという言葉を使うことによって生きるということを強く思い込ませようと思い、「本質的に人間が好きなんだね。性欲に苦しむのは人一倍好きだからだよ。君の気持ちはわかったけど、ポアは考えない方がいい。そしてしっかり修行を行えば、君のプラーナがどんどん上がって人を愛するアナハタチャクラまできているから、もうあと三つじゃないか。三つでクンダリーニヨーガが成就するんじゃないか。がんばれ」と励ましました。クンダリーニヨーガのここで言う三つとは、ビシュダチャクラ、アージナチャクラ、サースラーラチャクラを指すのです。さらに私は「もう三つでクンダリーニヨーガが成就する。今踏ん張らなければいつ踏ん張るんだ」と励ましましたが、T君の返答は「お願いです。ポアして下さい」というポアの懇願だったのです。私はT君のこの態度を見て、これは、私の縁でオウム真理教に入信したのではない。出家、入信、道場で知り合った成就者の縁で来たに違いないと考え、「T君、君は私の縁で出家したのではないかも知れない。君に対してこれほど説得しても君の心は変わらない。きっと君の心を変えてくれる縁の深い人がいる。全員富士山(総本部)にいるなら、すぐにみんなと会わせる。そうでないと、時間がかかるかもしれない。少し待ってちょうだい」と言うと、T君は「もしポアしてくれないのなら、先生を恨みます」と言うので「恨みというのは邪心だから、地獄の道になるんだよ。決してそんな考えをしてはいけない。君はサマナをやめて、還俗生活をする考えはないのか」と尋ねたのです。T君が還俗したがっているということを佐伯から聞いたことがあるからです。T君は「先生、私は東京にいたのですよ。電話一本かければ、また交番に駆け込めば、そんなこと叶えられることです。業財も一応もらっているし、自宅に帰ることくらいなら、いつでも出来たのです。そういうことをしたら私は三悪趣に落ちてしまう。『虹の階梯』に書いてある通り、ティローパが魚をポアしたように、ポアして下さい」とポアを懇願してくるのです。私はこれ以上どうしようもないと考え、「そうか、わかった。とにかくもう少し考えてみなさい。君と縁の深い人を集めるから」と言って、部屋の外に待機していた佐伯を呼んで、「アングリマーラ、T君は危険だから、自殺しようとしている。看守を付けておいて下さい」と話をして二人を部屋から下がらせたのです。その後、名前を覚えておりませんが総本部の事務の者を使って村井、新実、早川、大内利裕を集めたのです。T君との会話の中で忘れているところもあるかも知れませんが、これが大筋の話です。
●1995年10月28日付 警案官調書(富士山総本部のコンテナ瞑想室について)
 T君の殺害現場は、富士山総本山のコンテナ内であることを、私は逮捕されたときに聞きました。富士山総本部にあるコンテナ瞑想室について、私の知っていることについて話をします。
 コンテナを改装して個室瞑想室を作った経過等について話します。一九八八年五月ごろ、私たちはインドに修行に出ております。その時、カール・リンポチェが日本に来て富士山総本部に来るという話を聞いた弟子達がチベット的瞑想室の空間を作る必要があるのではないか、という話になり、個室瞑想室を作ることを私は承諾したのです。当時富士山総本部には本部道場の建物しかなく、個室瞑想室を作る場所的余裕がなかったので、場所をどこにしようかという話になりました。ちょうどその時どこの部で購入していたのか私にはわかりませんが、コンテナが何にも使用されないで放置されていたのでコンテナ内に個室瞑想室を作ることに決まったのです。コンテナを利用した個室瞑想室は、当時建築班のリーダーだった佐伯一明が中心になって作ったのではないかと思いますが、この点ははっきりしません。コンテナは、一〇トントラック用の荷物のコンテナだと思います。
 このコンテナの内部は、五つくらいの個室に区分し、通路は人が一人通ることが出来るくらいの幅で、内鍵付きのドアで仕切られ、外鍵はありません。個室内の広さは三畳間くらいで、個室には長期修行が出来るように毛布やオマルも持ち込むことが出来、電気の設備は覚えておりません。私はこのコンテナの個室瞑想室に二度行っております。一度目は、カール・リンポチェが来日し富士山総本部の瞑想室を見たいというので案内しました。瞑想室の案内は弟子が行い私は外で待っていたので、この時はコンテナ内には入っておりません。二度目は、この年八八年九月か十月ごろ、私の長女が独房修行のため一カ月ぐらいこのコンテナ瞑想室に入って修行したことがあり、この時初めて長女の瞑想状態を見るため、瞑想室に入りました。それで先ほど話をした部屋の状況がわかったのです。
 コンテナの管理というものはなく、修行者の食事やトイレ等の世話は女性の信者がやっておりました。この当時、リトリートがオウム真理教の本(会員誌)で紹介されたことから、個室瞑想室で修行をしたいという信者が多数いて、順番待ちの状態だったと聞いております。リトリートとは、誰にも邪魔されないで離れて一人で修行することです。このコンテナ瞑想室で六カ月くらい修行した信者もいると聞いております。
 個室瞑想室は、懲戒のために作ったものでないということを、最後に話しておきたいと思います。
●1995年10月30日付 警察官調書(T君の修行状況と話したことについて)
 T君について私の知っていることについて、話をします。
 T君は、二十歳前半の青年で福岡支部で入信したと聞いていますので、福岡県出身の人だと思います。また、工業高校の電気科を卒業し、出家する時、赤のプレリュード(ホンダの乗用車)を布施したとも聞いております。オウム真理教内ではいまだ修行中で成就していなかったので、T君のホーリーネームは授けておりません。
 私がT君と初めて顔を合わせたのは一九八八年八月ごろです。T君は出家直後の八月ごろから富士山総本部二階道場で、他の修行者と同じように寝泊まりをして修行しておりました。このころ、数受彼にアドバイスをしたことがあります。一回目は、私か富士山総本部の農地で護摩法の修行を行っていた時、道場の方からT君の声が聞こえてきました。彼の声は非常に澄んだ大きな声でした。私は護摩法を終わり、富士山総本部の二階道場に行きました。このころは二階で修行をしている弟子達のところを回ってアドバイスをするということがよくありました。T君はこの時、ちょうど二階道場の農地寄り、すなわち南側のところで立位礼拝の修行を行っているところでした。T君を見ていると、立位礼拝のフォームが猫背的で頭が少し上を向いて詞章を唱えているやり方だったので、私はT君にまずあごをしめること、立位礼拝の時腰を入れること、背筋を伸ばし肛門をしめること、エネルギーを上昇させることをアドバイスしました。
 二回目は、T君が二階道場で立位礼拝の修行を行っている時、彼の詞章は大きく綺麗な声ですが、詞章の間隔があいており、それだと立位礼拝の間に色々と雑念が生じやすいので「そこはスピーディーに行いなさい。君の声の出し方は非常に素晴らしい。声というのはアストラルに通じている。君はもともとアストラルのエネルギーが強いのだ」と話をしました。アストラルとは簡単に言うと、霊域のことを言います。
 三回目は、T君の立位礼拝は足の幅をかなり広げてがに股というハの字型に立ち、体を投地する、という方法でした。それだと腰がきれいに入らないので、足幅を狭め平行に立つようにと話をしたのです。
 その後、T君と話をしたのは、前年の十月ごろだと思います。このころ富士山総本部のサティアンビルが工事中で、T君は経験を生かして三階の電気工事を他の弟子達と一緒にやっておりました。T君は出家後の課行の後、村井秀夫のもとで電気のワークを行っていたのです。そのころ村井は電気班のリーダーでした。T君はこの電気工事を楽しそうにやっていたので、T君に「どうだい、楽しいか」と声をかけると、T君が「非常に楽しいです。出家して良かったです」と目を輝かせながら話しておりました。この時T君にはワークの意味合い、つまり功徳を積むことが三宝に対してどういうふうな功徳になり、それが修行を行った時のエネルギーの原動力になるという話と、「このワークが終わったら君は成就する可能性があるから極厳修行に入れる。まじめに修行しなさい」という話をしたのです。十一月に入って三階の電気工事が終わり、T君は二階道場で極厳修行に入ったのです。
 その後になりますが、私がサティアンビル四階図書室で、石井久子とシャクティパットの話をしていると、T君の入信担当の佐伯一明が部屋に入ってきました。石井久子が退室した後、佐伯が「T君がおかしい。精神的におかしい」などと言い出したのです。修行担当の大内利裕、早苗兄妹を呼んでT君の様子を聞いてみると、「T君は心に悩みがあるみたいだ」と話してくれました。当時私はこの話を聞いて、「修行者が必ず経験するプロセスだ。なぜなら人は煩悩を持っている。これを乗り越えて初めて解脱が出来るのだ」と思いました。T君が修行を始めてから初めて、修行の成果が出ていると思いました。しかし、一時極厳修行をやめさせた方がいいかもしれないと考え、T君の身柄を佐伯一明に預けたのです。T君は佐伯と一緒に東京に行き、出版関係のワークを手伝うことになったのです。(以下略)