京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『ドストエーフスキイ全集6 罪と罰』(1969年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP026~P037

にとってはそんなうち打擲《ちょうちゃく》なんか、痛いどころかうれしいくらいだ……だって、そうでもしなけりゃ、わし自身やりきれんのだからな。かえってそのほうがましだ。少しぶって腹の虫をおさめるがいい……そのほうがいい……ああ、もう家だ、コーセルの持ち冢だ。金持のドイツ人の家だ、錠前屋の……案内をたのむよ!」
 彼らは裏庭からはいって四階へ上った。階段は先へ行けば行くほど、だんだん暗くなった。もう十一時近かった。ペテルブルグではこの季節にほんとうの夜はないのだが、階段の上はことに暗かった。
 一ばん上の階段のはずれに、小さなすすけたドアがあけっ放しになっていた。ろうそくの燃えさしが、奥行き十歩ばかりの貧しい部屋《へや》を照らしている。部屋は入口から一目で見わたされた。何から何まで乱雑に取り散らされている中に、さまざまな子供のぼろぎれがことに目だった。奥のほうの片すみに、穴だらけのシーツが幕のように引かれていたが、そのかげにベッドがすえてあるらしかった。部屋のほうにはただ二脚のいすと、ぼろぼろに裂けた模造皮張りの長いすと、その前になんのおおいもない台所用らしい白木の松の古いテーブルがすえられているばかりだった。テーブルの端には鉄の燭台《しょくだい》にさした燃え残りのろうそくが立っていた。それで見ると、マルメラードフはよその部屋の片すみでなく、別室を借りて住まっているわけだが、しかしその部屋は通り道になっていた。アマリヤ・リッペヴェフゼルの住まいを細かく割っているいくつかの奥の小部屋、というより鳥かごへ通ずるドアは、あけっ放しになっていた。そこはがやがやと騒々しくて、人のわめき声や高笑いが聞こえた。どうやらカルタをしながら、お茶でも飲んでいるらしかった。ときおり聞くにたえぬ言葉がもれてきた。
 ラスコーリニコフは、すぐカチェリーナ・イヴァーノヴナを見わけた。それはかなり背の高い、すらりとかっこうのととのった、まだつややかな暗色《あんしょく》の髪をした、おそろしくやせ細った女で、なるほどしみに見えるほど真赤なほおをしていた。彼女は胸に両手をおしあてたまま、干からびたくちびるをして、神経質らしくとぎれとぎれに息をしながら、大きくもない部屋の中をあちこち歩きまわっていた。目は熱病やみのように輝いていたが、そのまなざしはするどく、じっとすわってうごかなかった。この興奮した結核性の顔は、消えなんとするろうそくのちらちらふるえる光を受けて、病的な印象を与えるのであった。ラスコーリニコフの見たところでは、彼女は三十そこそこらしかった。そして、じっさいマルメラードフには過ぎたものだった……彼女は人のはいって来た物音を耳にもしなければ、その姿も目にはいらなかった。彼女はいま一種の放心状態に落ちていて、何ひとつ見も聞きもしないらしいふうであった。部屋の中は息ぐるしかったけれど、彼女は窓をあけていなかった。階段のほうからは臭気が漂ってくるのに、階段へ向いたドアはしめてなかった。奥の部屋からは、あけさしの戸口をくぐって、たばこの煙が波のように流れてくるので、しきりにせきが出るにもかかわらず、彼女はドアをぴっしゃりたてようともしなかった。六つばかりの末の娘は、妙にちぢこまってすわりながら、長いすに頭を押しつけ、床の上に眠っていた。一つ年上の男の子は、片すみでぶるぶるふるえながら泣いている。おそらくたった今ぶたれたばかりなのだろう。九つくらいらしい、マッチのように細くて背の高い上の娘は、ほうぼう破れたそまつなシャツを一枚着て、古ぼけたドラデダームのマントをあらわな肩にひっかけていたが、ひざまで届かないところから見ると、たぶん二年も前に仕立てたものらしい。彼女は片すみにたたずみ、マッチのようにやせた細長い手で弟の首を抱いていた。彼女は弟をすかしてでもいるらしく、何やらひそひそささやいていた。どうかして弟がまたしくしく泣きださないようにと一生けんめいにおさえつけていたが、それと同時に、大きな大きな暗い目に恐怖の色を浮かべながら、母を見まもっていた。その目はおびえたようなやせた顔つきのせいで、いっそう大きく思われるのであった。
 マルメラードフは部屋へはいらないで、いきなり戸口にひざを突き、ラスコーリニコフを前のほうへ押し出した。女は見知らぬ人を見て、ぼんやりその前に立ちどまったが、とっさの間にわれにかえり、なんのためにこんな男がはいって来たのかと、思いめぐらすふうであった。けれどすぐさま、自分たちの部屋は通り抜けになっているから、ほかの部屋へ行く人なのだとでも考えたのであろう、彼女は青年に注意を向けないで、出入り口をしめに戸口のほうへ歩いて行った。と、しきいの上にひざまずいている夫を見つけて、いきなり声を上げた。
「ああ!」と彼女はわれを忘れてどなった。「帰って来た! このごくどう[#「ごくどう」に傍点]め! 畜生! お金はどこにあるの? ポケットに何があるか出して見せなさい! それに服を変わっている! あんたの服はどこにあるんです? 金はどこ? おっしゃい!………」
 彼女はこういいながら、飛びかかって調べはじめた。マルメラードフは、身体検査に骨が折れないようにと、すなおにおとなしく両手をひろげた。金は一コペイカもなかった。
「いったい金はどこにあるの?」と彼女は叫んだ。「ああ、みんな飲んでしまったのかねえ? トランクの中には十二ルーブリも残っていたのに!………」
 こういうと、やにわに狂気のようになって、彼女は夫の髪をひっつかみ、部屋の中へ引きずりこんだ。マルメラードフはおとなしくあとからひざでいざりながら、自分で妻の骨折りを軽くしてやった。
「これもわしにとっては快楽だ! 苦痛じゃない、快……楽だよ。きみ」彼は髪をとって引きずられながら、一度は床に額さえ打ちつけて、こんなに叫ぶのであった。
 床の上に寝ていた女の子は、目をさまして泣きだした。片すみにいた男の子は、たまらなくなったようにふるえだし、わっとばかり声を上げると、ほとんど発作《ほっさ》ともいうべき極度の恐怖に襲われ、思わず姉にしがみついた。上の娘はなかば夢ごこちで、木の葉のようにふるえた。
「飲んじまった! すっかり飲んじまった!」と不幸な女は絶望したようにわめいた。「それに、服も変わっている! みなが飢《かつ》えてるのに、みなが飢《かつ》えてるのに!(こういって、彼女は両手をもみしだきながら、子供たちを指さした。)ああ、なんというあさましい暮らしだ! それにお前さんも、お前さんも恥ずかしくはないのかえ!」とふいに彼女はラスコーリニコフに食ってかかった。「酒場から来たんだろう!お前さんもあの人と飲んだろう? いっしょに飲んだんだ!出て行っとくれ!」
 青年はひと言も口をきかず、急いでそこを立ち去った。そのうえ、奥の間へ通ずる戸口がいっぱいにあけ放されて、物見だかい人たちの顔がいくつかのぞいていた。巻きたばこだのパイプだのをくわえたのや、頭巾《ずきん》をかぶったのや、無作法な嘲笑《ちょうしょう》を浮かべた頭が、そこからにょきにょき突き出された。寝間着姿のもの、ボタンを全部はずしているもの、はしたないほどの夏ごしらえをしたもの、中には手にカルタを持った姿さえ見えた。マルメラードフが髪を引きずられながら、快楽だと叫んだとき、みんなは特別おもしろそうに高笑いした。彼らは部屋の中まで押しこんできた。やがて不吉なかなきり声がおこった――それはアマリヤ・リッペヴェフゼルが、自己流に処置をつけるために、これまでもう幾十ぺんとなくくりかえした命令――明日にもすぐ立ちのけという、あくたいまじりの命令で、この不幸な婦人をおどそうと、一同を押し分けながら前へ出て来たのだった。ラスコーリニコフは帰りがけに、大急ぎでポケットヘ手を入れ、酒場でくずした一ルーブリの残りの銅貨を、手にあっただけつかみ出すと、そっと小窓の上へのせた。そのあとで、もう階段へ出てから、考え直して引っ返そうかと思った。
『なんておれはばかなまねをしたもんだ』と彼は考えた。『彼らにはソーニャというものがいる。ところが、おれ自身困っているのじゃないか』けれど、今さら取り返すわけにもゆかないし、またそんなことはともかくとして、けっきょく取り返しなどしやしないのだ――こう思って、彼はどうだっていいというように手をひと振りし、自分の住まいへ足を向けた。『ソーニャだって口紅がいるっていうんだからな』彼は通りを歩きながら、毒々しい微笑を浮かべて考えつづけた。『このさっぱりした身なりというやつには金がいるんだとさ……ふん……しかし、ソーネチカだって、今日が今日にも破産するかもしれやしない。なにぶんあいつはいい毛皮の猛獣狩り……金鉱さがしなどと同じ冒険なんだからな……すると、あの一家はみんなおれの金がなかったら、明日にもあがきがつかなくなるわけだ……ああえらいぞ、ソーニャ! だが、なんといういい井戸を掘りあてたものだ! しかも、ぬくぬくとそれを利用している! 平気で利用してるんだからな! そして、ちょっとばかり涙をこぼしただけで、すっかりなれてしまったんだ。人間て卑劣なもので、なんにでもなれてしまうものだ』
 彼は考えこんだ。
「だが待てよ、もしおれがまちがっているとしたら」彼はわれともなくふいにこう叫んだ。「もしほんとうに人間が、人間が全体に、つまり一般人類が卑劣漢[#「卑劣漢」に傍点]でないとしたら、ほかのことはすべて偏見だ。つけ焼き刃の恐怖だ。そして、もういかなる障害もない。それは当然そうあるべきはずだ!……」

[#6字下げ]3

 彼は翌日、不安な眠りののちに、遅くなってから目をさました。しかし、眠りも彼に力をつけなかった。彼はむしゃくしゃといらだたしい、いじわるな気持ちで目をさますと、さもにくにくしそうに自分の小部屋を見まわした。それは奥行き六歩ばかりの小っぽけな檻《おり》で、ほうぼう壁から離れてぶらさがっているほこりまみれの、黄いろい壁紙のために、いかにもみすぼらしく見えた。その低いことといったら、少し背の高い人なら息がつまりそうな気がして、しじゅう今にも天井へ頭をぶっつけそうに思われるほどだった。家具も部屋に相応していた。あまりきちんとしていない三脚の古いすと、幾冊かのノートや本をのせて片すみにおかれているペンキ塗りのテーブル。すべてがほこりまみれになっているのから見ても、もう長いこと人の手が触れないことがわかった。それから最後にもう一つ、ほとんど壁面ぜんたいと部屋をなかば占領しているそまつな大形の不かっこうな長いす、かつてはさらさ[#「さらさ」に傍点]ばかりだったのが、今はすっかりぼろぼろになって、ラスコーリニコフのためにべッドの役を勤めていた。彼はいつも服さえ脱がず、着のみ着のままでその上へ横になった。シーツもなしで、古色|蒼然《そうぜん》とした学生|外套《がいとう》にくるまり、頭には小さいまくらがたった一つ、そのまくらを高くするために、持っているだけの肌着を、きれいなのも着よごしたのも、残らずその下へ突っこんだ。長いすの前には小さいテーブルが置いてある。
 これ以上に身を落としてだらしなく暮らすのは、いささか難儀なくらいだった。けれど、ラスコーリニコフにとっては――彼の今の心もちからいえば、それがかえって痛快に思われた。彼はかめ[#「かめ」に傍点]が甲羅《こうら》へひっこむように、徹頭徹尾すべての人から身をかくしていたので、彼の用を足すのが務めになっていて、ときどき彼の部屋をのぞく女中の顔すら、彼にはかんしゃくと痙攣《けいれん》の種であった。それは、あまりものに凝《こ》りすぎたある種のモノマニア(偏執狂)によくあることなのである。下宿の主婦が食事をよこさなくなって、もう二週間からにもなるのに、彼はこうしてものを食わずにいながら、まだいまだに掛け合いに行くことさえも考えていない。主婦の置いているたったひとりの女中であり料理女であるナスターシヤは、下宿人のそうした気分を多少よろこんでいる気味で、部屋の片づけも掃除も、てんでしなくなってしまった。ただ週に一度くらい、どうかすると思い出したように、ほうきを手に持つくらいのものだった。そのナスターシヤが、いま彼を呼びおこしたのである。
「起きなさいよ、いつまで寝坊してるのさ!」と彼女は下宿人の頭のま上でどなりつけた。「もう九時過ぎよ。お茶を持って来てあげたよ。お茶いらないの? さぞお腹が細ったろうに?」
 下宿人は目をあけて身ぶるいすると、ナスターシャに気がついた。
「お茶は主婦《かみ》さんがよこしたのかい、え?」と彼は病的な表情で長いすの上に起き直りながら、のろのろとたずねた。
「なんのお主婦《かみ》さんがよこすものかね!」
 彼女は下宿人の前に、出がらしのお茶を入れた、ひびのいった自《じ》まえの茶わんをおき、黄いろい砂糖のかたまりを二つのせた。
「ねえ、ナスターシヤ、すまないけれどこれ持って」と彼はポケットをさぐって(彼は服を着たまま眠ったので)、銅貨をひとつかみ取り出しながらいった。「ひと走り行ってパンを買って来てくれ。それから腸詰屋でソーセージを少し、安いところをな」
「パンはすぐ持って来てあげるけれど、腸詰の代りにキャベツじるはどう? いいおつゆだよ、昨日の残り。わたし昨日から取っといてあげたんだけど、あんたの帰りが遅いもんだから。そりゃあいいおつゆだよ」
 キャベツじるが来て、彼がそれに手をつけると、ナスターシヤは傍の長いすに腰をおろして、おしゃべりをはじめた。田舎出の女で、いたって口まめなたちだった。
「かみさんがあんたのことを警察に願うっていっていたよ」と彼女はいった。
 彼はきっと眉をひそめた。
「警察へ? なんのために?」
「お金も払わないし、越しても行かないからさ。なんのためって。わかりきってるでないか」
「ちぇっ、まだこの上に」と彼は歯がみをしながらつぶやいた。「いや、これは今おれにとって……少々都合がわるいて……ばかだな。あいつは!」と彼は大きな声でいいたした。「今日かみさんのところへ行って、談じなくちゃ」
「かみさんもばかはばかだよ。わしとおんなじにばかだけれど、いったいあんたはどうしたのさ、それでも利口者のすることなの? 毎日、袋みたいにごろごろして、仕事してるとこなんて、見たくも見られやしない。先《せん》にゃ子供を教えに行くって出かけたけれど、この節どうしてなんにもしないのさ?
「おれはしているよ!………」ラスコーリニコフはいやいやそうにきびしい調子で答えた。
「なら何してるんだね?」
「仕事をさ……」
「どんな仕事を?」
「考えてるのよ!」やや無言の後、彼はまじめに答えた。
 ナスターシヤはいきなり笑いこけてしまった。笑い上戸《じょうご》なので、人に笑わされると、声も立てないで、からだじゅうゆすぶりながら、気分が悪くなるまで笑いつづけるのだ。
「考えてどっさりお金でもこさえたの?」と彼女はやっとこれだけいった。
「くつなしじゃ子供を教えにも行かれない。それに、あんな仕事なんかぺっぺっだ」
「あんたわが身を養う井戸につばを吐くようなこというもんでないよ」
「子供を教えたって、どうせお礼は目くされ金さ。そんなはした銭で何ができる?」まるで自分自身の想念に答えるように、彼はいやいや言葉をつづけた。
「じゃ、あんたは一度にひと身上《しんしょう》こさえてしまわなくちゃ承知できないの?」
 彼は妙な目つきで彼女を見やった。
「そうだ、一度にひと身上いるんだ」しばらく無言ののち、彼はしっかりした調子で答えた。
「あれ、もっと静かにいいなさいよ。びっくりするでないかね。とっても恐ろしい目をしてさ。いったい、パンはとって来るのかね。それとももういいの?」
「どうでも」
「あっ、忘れてたっけ! 昨日あんたんとこへ留守《るす》の間に手紙が来たよ」
「手紙! おれに! どこから?」
「どこからだが知らない。わたし郵便配達に三コペイカ自腹きっておいたよ。返してくれるかね、え?」
「じゃ持って来てくれよ。お願いだから持って来てくれ!」急にそわそわしながら、ラスコーリニコフは叫んだ。「ああ、それは!」
 しばらくして手紙が来た。はたせるかな、R県の母から来たものであった。彼はそれを受け取りながら、さっと顔いろを変えたほどである。彼はもう久しく手紙というものを受け取らなかった。しかし、今はそれ以上に何かある別なものが、急に彼の心臓をしめつけたのである。
「ナスターシヤ、行ってくれ、お願いだから、さあ、これが切りたくなかった――この手紙をもって、早くひとり[#「ひとり」に傍点]になりたかったのである。ナスターシヤが出て行くと、彼はすばやく手紙をくちびるに押しあてて接吻《せっぷん》した。それからなおしばらくあて名の筆跡――彼にとって親しくなつかしい、こまかい斜めな文字に見いった。それは以前彼に読み書きを教えた母の手跡である。彼はちゅうちょした。彼は何かを恐れさえもするようなふうであった。やがてついに封を切った――手紙は三十グラム近くもある、長い、こまごまとしたものだった。大きな書簡せん二枚にびっしりと一面に細かく書いてある。

『なつかしいわたしのロージャ(ロジオンの愛称)』と、母は書いていた、『お前と手紙でお話をしなくなってから、もうかれこれふた月の余になります。それを思うと、わたしも心が苦しくて、時には気がかりのあまり夜もおちおち眠れないほどです。けれども、この心にもないわたしのごぶさたを、お前はきっと責めはなさらぬことと思います。わたしがどのようにお前を愛しているかは、お前もご承知のはずです。お前はうちのひとりむすこ、わたしにとってもドゥーニャにとっても、お前はこの世のすべてです。杖《つえ》とも柱とも頼む望みです。お前が学資をつづける方法がないために、もういく月も大学をやめてしまい、家庭教師その他の口もなくなったと知ったとき、わたしの気持ちはどんなだったでしょう! 年百二十ルーブリやそこいらの扶助料で、どうしてお前を助けてあげることができましょう? 四か月前、お前に送った十五ルーブリも、ご承知のとおりこの年金を抵当《かた》にして、当地の商人ヴァシーリイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシンから借りたものです。あのかたは親切な人で、父上ご存命時代のお友だちでしたが、あのかたに年金を受け取る権利をゆずったので、わたしはその借金がすんでしまうまで待たなければならなかったのです。それがやっといまもどったばかりなので、この間じゅうはどうしてもお前に送金ができなかったしだいです。けれど今こそはありがたいことに、少々ぐらいは送れそうです。それにぜんたいからいっても、わたしたちは自分の運勢を吹聴《ふいちょう》してもよさそうですから、それを早くお前に知らせたく思います。第一には、お察しでもあろうけれど、お前の妹はもうひと月半ばかり、わたしといっしょに暮らしております。そしてわたしたちはもうこの先わかれないですむのです。おかげで、あの子の苦労もおしまいになりました。けれど万事がどんなふうであったか、今までわたしたちが何をお前にかくしていたか、はじめからすっかりわかるように、何もかも順序を立ててお話しましょう。お前はふた月前に、ドゥーニャがスヴィドリガイロフ家で無作法な仕うちを受けて、いろいろ憂《う》い目を見ているという話を聞いて、くわしいことを問い合わせておよこしだったが――わたしはその時なんと返事を書いてあげたらよかったのでしょう! もしわたしが様子を残らず書いてあげたら、お前はきっと何もかもうち捨てて、たとい歩いてでも帰っておいでだったにちがいない。わたしはお前の気性も心もよく知り抜いています。お前は自分の妹に恥をかかせて、黙っているはずがありません。なにしろ、わたしでも気が狂いそうだったんですもの。それかといって、なにぶんにもしかたがありませんでした。だいいち、その時はわたし自身も、事の真相を十分知らなかったのです。何よりも一ばん困ったのは、ドゥーネチカが昨年あの家へ住込みの家庭教師にはいるとき、俸給《ほうきゅう》から月月差し引いて返すとの約束で、百ルーブリ前借をしたことです。この借金が抜けてしまわないうちは勤めをやめるわけにゆきません。このお金をドゥーネチカが借りたのは(今こそ何もかも残らずうち明けて話しますが)、ちょうどその時お前がどうしても入用と申し越されたので、昨年わたしたちの手から間に合わせてあげた六十ルーブリ、あれをお前に送りたいのが、おもなのでした。あのときわたしたちはお前をだまして、ドゥーニャの以前の貯金から出した、と申しておきましたが、その実そうではありません。じつはこんど神さまのお慈悲《じひ》で、万事が急によいほうへ向いてきたので、ドゥーニャがどれほどお前を思い、どれほどりっぱな美しい心を持っているかを、ぜひお前に知ってもらいたいと考えて、今こそお前に事情をすっかりうち明けることにします。まったくスヴィドリガイロフ氏は、はじめあの娘《こ》に無作法を働きまして、食事の時にもいろいろ失礼なことをいったり、からかったりされたのです……けれど、もはや何もかも過ぎ去った今となって、お前の心を騒がすのも無益のわざゆえ、こんな聞き苦しい話をくだくだしく書くのはよしましょう。で、かいつまんで申せば、スヴィドリガイロフ氏の奥さま、マルファ・ペトローヴナはじめ家のかたがたは、みんな親切によくしてくだすったけれど、ドゥーネチカはどうも居づらかったらしゅうございます。とりわけスヴィドリガイロフ氏が、むかし軍隊にいたころの癖でバッカスの魔法にかかっているおりなどは、わけてもつらかったと申します。けれどあとでわかってみると、どうでしょう、あきれるではありませんか、この半気ちがいのわからずやは、ずっと前からドゥーニャに思いをかけていたのですが、それを乱暴な仕うちや、ばかにしたようなそぶりでかくしていたのです。ひょっとしたらあの人も、自分が相当の年ぱいでもあり、一家の父でもありながら、そうした軽はずみな望みをおこしたのを、われながら恥ずかしく恐ろしいことに思って、それがためについ心ならずも、ドゥーニャにむかっ腹を立てたのかもしれません。またもう一つことによったら、あの娘《こ》に無作法をしたり、からかったりして、他人の目から真相をかくそうとしたのかもしれません。けれども、いよいよしんぼうがしきれなくなり、あからさまにドゥーニャに向かって、いやらしいことを言いかけたのです。いろいろな報酬を約束したうえ、何もかも捨てて、あの子とふたりでほかの村へ移るか、それとも外国へ行ってしまってもかまわない、などと申しましたとのこと、あの子の苦しみがどんなであったか、よろしくお察しを願います! すぐ暇をとるということも、惜金があるためばかりでなく、マルファ・ペトローヴナをかばう気持ちもあって、そうたやすくはできかねたのです。そうすれば奥さまは急に不審をおこし、したがって家内に不和の種をまく道理です。それにドゥーネチカにしても、まことに世間体のわるい話で、けっして無傷ですむわけがありません。そのほか、まだいろいろな事情があって、ドゥーニャはまる六週間というもの、この恐ろしい家から逃げ出す見こみなど、まるでなかったのです。いうまでもなく、お前はドゥーニャをよく知っておいでのはず、あの子がどんなに利口者で、どんなに気性がしっかりしているか、ちゃんとご承知でしょう。ドゥーネチカはたいていのことならしんぼうします。そしてよくよくの時にでも、落ちつきをなくさないだけの腹があります。あの子はわたしにさえもよけいな心配をさせまいと思って、しじゅう手紙のやりとりをしていながら、何ひとつ書いてよこさなかったくらいです。そのうちに、思いがけなく大団円がやってきました。というのは、マルファ・ペトローヴナがはからずも、庭でドゥーネチカを口説《くど》いている夫の言葉を立ち聞きしてしまったのです。そして何もかも反対にとって、何もかもあの子のせいとばかり思いこみ、一も二もなくあの子を科人《とがにん》にしてしまったのです。すぐにその庭先で恐ろしい騒ぎがもちあがりました――マルファ・ペトローヴナはドゥーニャをうち打擲《ちょうちゃく》までして、何ひとつ耳をかそうとしません。まる一時間もわめき通したあげく、あの子の持ち物や肌着や衣類を手あたりしだい、畳みもせねば荷造りもしないで、百姓馬車の中へたたきこみ、それにすぐドゥーニャを乗せて、わたしの手もとへ送りつけてしまえと言いつけたのです。その時おりあしく、抜けるような大雨が降りだしたので、さんざん恥ずかしめられたドゥーニャは、すごすご百姓男といっしょに雨のなかを、屋根のない荷馬車で十七露里(一露里は約一キロ)からの道を乗ってこなければならなかったのです。かようなわけゆえ、まあ察してもみてください。ふた月前におくれだった手紙の返事に、なんとお前に書いてあげられよう? どんなことを書けばよかったと思います? わたし自身がもう情けなくてたまらないでいたのに、ありのままをお前に書いてあげることなど、しょせん思いきってできるものではありません。なぜといって、お前がこのうえなく不仕合わせな気持ちになって、嘆いたり立腹したりしたあげく、何をしでかすかしれないと心配したればこそです。ひょっとしたら身の破滅になるようなことをするかもしれないし、それにドゥーネチカも止めるのです。といって、あれほどの悲しみを胸にいだいているときに、つまらないよそ事やいいかげんな事で手紙をうずめるのも、とてもできないことでした。ところが、それからまる一か月、当地ではこの事件であられもないうわさが町じゅうにひろがり、はては皆がさげすむような目つきで人を見たり、ひそひそ耳こすりをしたりするので、わたしやドゥーニャは教会へも行けなくなったくらい、中にはわたしたちを目の前にすえて、聞こえよがしに話し合う人もあるのです。知った人たちも皆わたしたちから遠のいて、あいさつもしなくなってしまいました。わたしはたしかに突き止めましたが、商家の手代《てだい》や役所の書記などが、家の門にコールタアルを塗って、わたしたちに外聞《がいぶん》のわるい恥をかかせようとしました。そんなこんなで、家主はわたしたちに立ちのきを迫ってくるしまつ。これというのもみんな、一軒一軒歩きまわって、ドゥーニャの悪口を言いふらしたマルファ・ペトローヴナのおかげなのです。この町の人をたいてい軒別に知っているので、今月はひっきりなしにここへ通ったものですが、少少おしゃべりのほうでして、自分のうちわ話をするのはまだしも、どうも困ったことには、夫のぐちを相手かまわず洗いたてることが好きなので、またたくうちにその出来事が町ばかりか、郡一円にすっかり知れわたってしまったのです。わたしはとうとう病気になってしまいましたが、ドゥーネチカのほうはわたしよりしっかりしていました。あの子が何事もじっとがまんして、わたしを慰めたり、励ましたりしてくれたのを、ちょっとお前に見せたいような気がします! あの子はまったく天使です! けれども神さまのお慈悲で、わたしたちはこの苦しみをちぢめていただきました。ほかでもない、スヴィドリガイロフ氏が考え直して懺悔《ざんげ》してくれたのです。たぶん、ドゥーニャをかわいそうに思ったのでしょう。マルファ・ペトローヴナの前にドゥーネチカの身の潔白を明かすいやおうのない確かな証拠を出して見せたのです。それはまだマルファ・ペトローヴナがふたりを庭で見つけない先に、ドゥーニャがあの人のしいるあいびきや密談を断わるために、やむなく書いてあの人にわたした手紙で、それがドゥーネチカの出発後、スヴィドリガイロフ氏の手もとに残っていたのです。この手紙は、マルファ・ペトローヴナにたいするあの人の道にはずれた行ないを責め、人の子の父親であり一家の主人《あるじ》でありながら、それでなくても不仕合わせなたよりない娘を繰り閉めたり、不幸にしたりするのは、どれだけ見下げはてたふるまいかということを、はっきり指摘したもので、憤りの情にみちた激越な文章でした。つづめていえば、その手紙の書き方はいかにもけなげな、いじらしいもので、わたしは読みながら、しゃくりあげて泣いてしまいました。今でも涙をこぼさないでは読むことができないくらいです。そればかりでなく、しまいには、こういう場合いつもよくあることで、ドゥーニャの弁解《あかし》に召使たちが証言をしてくれました。この人たちはスヴィドリガイロフ氏が思ったよりずっとよく、何もかも知っていたのです。マルファ・ペトローヴナはすっかりどぎもを抜かれてしまいました。あの人が自分でもわたしたちに白状したように『二度がんとやられた』わけなのです。でもそのかわりに、ドゥーネチカの無実を心底から信じきって、さっそくあくる日ちょうど日曜だったので、いきなり町の中央会堂へ乗りつけると、ぱったり床にひざをつき、どうかこの新しい試みにたえて、自分の務めをはたすことのできますよう、力を与えてくださいましと、涙ながらに聖母マリヤさまに祈りました。それがすむと、会堂からどこへも寄らずまっすぐに家へやって来て、わたしたちにいちぶしじゅうの話をしたうえ、よよとばかり泣きだすではありませんか。そして、心から後悔してドゥーニャを抱きしめながら、ゆるしてくれと一生けんめいに頼むのでした。それから、明日ともいわず、さっそくその朝、一分の猶予もなく、うちを出るとすぐその足で、町じゅうの家を一軒一軒まわり歩いて、涙を流しながらあの娘の無実を証明したうえ、ドゥーニャのためにこの上もないりっぱな言葉で、あの娘《こ》の潔白な心と気高い行ないをほめそやしました。そればかり、ドゥーネチカからスヴィドリガイロフ氏に送うたの手紙まで人に見せて、声をあげて読んで聞かせ、はては手紙の写しまで取らせたくらいです(これはわたしにいわせれば、ちとよけいなことのように思われますが)。そんなわけで、あの女は五、六日ぶっつづけに、町じゅうの知り人をまわって歩かなければなりませんでした。中にはどこそこを先にしたなどと、気を悪くする人ができたので、とうとう順をきめることにしたのです。かようなしだいで、いついつにはマルファ・ペトローヴナが、どこそこでその手紙を読むということが、どこの家でも知れわたって、心待ちにするようになりました。その朗読会のたびに、もう幾度も自分の宅やら知り合いの家やらで順番に読んで聞かされた人までが、またぞろ集まって来るほどでした。わたしの考えでは、あんまりいろいろとやりすぎたように思いますけれど、それがどうもマルファ・ペトローヴナの気性なのです。何はともあれ、ドゥーネチカの名誉だけは申しぶんなく回復してくれました。そしてこの事件のいまわしいところは、ほんとうに事をひきおこしたあの女《ひと》の夫の上にぬぐうことのできない汚辱《おじょく》となって落ちかかったので、わたしはかえってお気の毒になったくらいです。気ちがいじみた人間とは言いじょう、あまりきびしくさばきすぎたような気がします。ドゥーニャにはすぐ五、六軒の家から、家庭教師に来てくれと申し込まれましたが、あの子は断わりました。ぜんたいにみんなが急にあの子に特別尊敬をはらうようになりました。けれど何よりも肝要なのは、こうしたいろいろな事のおかげで思いがけない話がもちあがり、わたしたちの運がひらけることになったしだいです。たいせつなわたしのロージャ、それはほかでもありません。ある人がドゥーニャに結婚を申し込んで、ドゥーニャももう承諾の返事をしてしまったので、それをお前にも取り急ぎお知らせするわけです。このお話はお前に相談もなくできてしまったことながら、たぶんお前はわたしにたいしても、ドゥーニャにたいしても、不服はないことと思います。それというのは、右に述べた事情で推察してもおくれだろうけれど、お前の返事が来るまでべんべんと待ったり、延引したりするわけにゆかなかったのです。それにお前にしても自分の目で見ないでは、万事をまちがいなく判断することはできますまいからね。事情はこういうしだいなのです。その相手というのは、ピョートル・ペトローヴィチ・ルージンという文官七等からの身分の人で、マルファ・ペトローヴナの遠縁にあたるのです。ですから、マルファさまもこの話についてはいろいろ尽力してくださいました。ご当人はマルファさまを通して、わたしどもと近づきになりたいというのがはじめで、わたしたちもちゃんと恥ずかしくないだけの招待をして、コーヒーなどふるまいましたところ、翌日さっそく手紙をよこして、ごく丁重な言葉づかいで結婚の申し込みを述べ、はやくはっきりとした答えをしてほしいと申し越されたのです。そのかたは実務の人で忙しいからだですから、今もげんにペテルブルグへ急いでおられます。かようなわけで一刻の時もあだやおろそかになりません。はじめはこちらもあまり思いがけない急なことなので、もうびっくりしてしまいました。わたしたちふたりはその日一日、いろいろと頭をひねって考えました。その人はりっぱに頼りになる確かな人で、ふたところに勤めも持っておられ、もはや相当の財産もできているとのことです。もっとも年はもう四十五ですけれど、かなり男まえもよく、まだまだ女に好かれるだろうと思います。それに全体、たいへんどっしりしたりっぱな人物です。ただ少し気むずかしく、高慢らしいところはありますけれど、これはちょっと見にそう思われただけかもしれません。で、お前にも前もって注意しておきますが、ペテルブルグでその人とお会いの節(それはごくごく近いうちのことと思います)、ひとめ見てなにか変に思われるふしがあったにもせよ、お前のいつもの流儀であまり性急に気短かな判断をなさらぬようにねがいます。あのかたならお前にもたしかよい印象を与えることと信じていますけれど、ついでにちょっと申し添えておきます。そればかりではありません。だれによらず人を知ろうというには、あとでなかなか容易に直せない考えちがいや早合点《はやがてん》の毛ぎらいをしないように、長い目で気をつけて見ねばなりません。何はともあれ、ピョートル・ペトローヴィチは、いろいろな点から見て、ごくごくりっぱな紳士です。はじめてたずねて見えたとき、あの人はわたしたちに向かって、自分は実証的な人間だが、しかし多くの点において(あの人の言葉でいうと)「わが国の新しき世代の確信」をわかつもので、あらゆる偏見の敵だと申されました。そのほか、まだまだいろんなことを申されました。というのは、がんらい虚栄心の強いかたらしく、人に話を聞いてもらうのがひどく好きらしい様子です。でもお前、これくらいのことは大して欠点というほどでもありませんからね。わたしはむろんよくわからなかったけれど、ドゥーニャがわたしにいって聞かせてくれたところだと、この人はあまり教育の高いほうではないが、しかし利口で善良な人らしいとのことです。ロージャ、お前は妹の性質を知っておいででしょうが、あの子はなかなかしっかりもので、分別もあり、しんぼうづよくもあり、はげしい性質でありながら、度量のひろい娘です。それはわたしがよく見ぬいています。もちろん、この縁談には、あの子のほうからいっても、またあの人のほうからいっても、特別な愛情というものはありません。けれどもドゥーニャは利口な娘というほかに――天使のように高潔な娘ゆえ、夫を幸福にすることを自分の義務と心得ているにちがいありません。そうすれば夫のほうでも自然の道理として、あの子の幸福を心配してくれるはずです。このドゥーニャの幸福ということについては、正直あんまり急にまとまった話だけれど、わたしたちとしてさほど気にかける理由もありませんからね。それにあの人はたいへんさきざきの見通しのきく人ですから、自分の夫としての幸福は、ドゥーネチカが幸福になればなるほど、いっそうたしかになるということくらい、もちろん自分でも心得ることと思います。もっとも、性質が少しくらい違っていることや、古い習慣や、意見の違いや、そういうことは多少ありましょうが(こういう例は、ずいぶんむつまじい夫婦の間にも避けることのできないものです)、それについては、ドゥーネチカが自信を持っていると、自分でわたしに申しました。そして何も心配することはない。これから先の関係が潔白に公平につづいていきさえすれば、あの子はたいていの事はしんぼうできると申しています。人間の見かけはまことにあてにならないもので、例えばあの人はわたしなどにも、最初はなんとなくとげとげしい感じがしました。けれどそれはつまり、あの人があまり生《き》一本すぎるからでしょう。いえ、きっとそうに違いありません。早い話が、二度目にたずねて来たときに、もう承知の返事を受け取ってから、よもやまの話の間にその人の申しますには、まだドゥーニャを知らない前から、潔白だということは必要だけれど、しかし持参金などもっていない、そして一度は必ず苦しい境涯《きょうがい》をくぐったことのある娘を、めとりたいと思っていたとのことです。それはつまり、ご当人の説明するところによると、夫が女房に少しも恩を着ることがなく、妻のほうだけが夫を恩人と思うようにしたいからだ、とこういうのです。断わっておきますが、その人はわたしが書いているよりか、もう少し柔らかい優しい言いまわしを使ったのです。わたしはほんとうの言い方を忘れてしまって、ただ意味だけを覚えているのですから。それに、けっして前から用意していったのではなく、つい話に実《み》がはいって、うっかり口をすべらしたにちがいありません。だから、あとでいい直したり、言葉を濁そうとしたくらいです。けれども、それでもわたしにはやはり言葉がすぎるような気がしたので、あとでドゥーニャにそういったら、ドゥー