京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P088-093   (『ドストエーフスキイ全集』第13巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))

ものでした。」
 検事と予審判事の顔は長く延びた。彼らもこういうことはまったく予期しなかったのである。
「どういうわけであなたのです[#「どういうわけであなたのです」はママ]」とニコライは呟いた。「まだその日の五時には、あなた自身の申し立てによると……」
「ええっ、その日の五時も、私自身の申し立ても、くそをくらえだ。そんなことは、今の問題じゃありません。あの金は私のものです、私のものです、いや、私の盗んだ金です……私のではありません、つまり、盗んだ金です、私が盗んだ金です、それは千五百ルーブリありました。それを私は体から離さずに持っていたのです、絶えず肌身はなさずに……」
「しかし、あなたはどこからその金を取って来たのです?」
「頸からです、みなさん、頭から取ったんです、これ、この私の頸から……あの金はここにあったのです。私の頸にあったのです。きれの中に縫いこんで、頸にかけていたのです。もうとっくから、もう一カ月も前から、私は恥と汚辱を忍んで、あの金を頸にかけていたのです!」
「しかし、あなたは誰の金を……着服したのです?」
「あなたは『盗んだのか?』と言いたかったでしょう。もう率直に言って下さい。実際、私はあの金を盗んだのも同然だと思っています。が、もしお望みとあれば、実際『着服した』のです。しかし、私の考えでは、盗んだのですと言ったほうがよさそうです。ところが、昨夜はもうすっかり盗んでしまいました。」
「昨夜? しかし、あなたはたった今、あれを手に入れたのは一カ月前だと言われたじゃありませんか!」
「でも、親父のところから盗み出したのじゃありません、親父の金じゃないです。心配しないで下さい、親父のところから盗ったのではなくって、あのひとのものです。どうか口を入れないで、すっかり話させて下さい。まったく私は苦しいんだから。じつは一カ月前、私の許嫁であったカチェリーナ・イヴァーノヴナ・ヴェルホーフツェヴァが私を呼んだのです……あなた方はあの婦人をご存じですか?」
「知っていますとも、むろんです。」
「ご存じだろうと思いました。あのひとは実に潔白な婦人なのです。潔白な人間の中でもかくべつ潔白な婦人ですが、もうとうから私を憎んでいます。そうです、とうからです、とうからです……しかし、憎むのはもっともです、もっともなんです!」
「カチェリーナ・イヴァーノヴナが?」と予審判事はびっくりして問い返した。
 検事も同様おそろしく目を見据えた。
「ああ、あのひとの名をみだりに呼ばないで下さい! 私があのひとを引き合いに出したのは、卑劣な行為です。しかし、私はあのひとが私を憎んでいることを知りました……とっくに、そもそもの初まりから、あっちにいる時、私の下宿へ来た時から……いや、もう言いますまい、あなた方はこんなことを知る値うちがありません、これはまるで必要のないことです……ただお話ししなければならんのは、一カ月前にあのひとが私を呼び寄せて、三千ルーブリの金を渡し、それをモスクワにいる自分の姉と、それからもう一人の親戚の女に送ってくれと言ったことです。(まるで自分では送れないかなんぞのように?)ところが、私は……それがちょうど私の一生に一転期を画する時と、私が初めてほかの「女」を恋した時なのです。それはあの女です、今の女です、いま下にいるグルーシェンカです……その時、私はあれをこのモークロエヘ引っ張って来て、ここで二日間にあのいまいましい三千ルーブリの半分、つまり千五百ルーブリを撒きちらし、残りの半分を残しておいていたのです。この千五百ルーブリを私は守り袋の代りに頸へかけて、始終もち歩いていましたが、昨日とうとう封を切って使ったのです。ニコライ・パルフェノヴィッチ、今あなたの手にある八百ルーブリは、そのつりです、昨日の千五百ルーブリのつりです。」
「失礼ですが、あなたがあの時、一カ月前に、ここで使ったのは三千ルーブリで、千五百ルーブリじゃないでしょう、それは誰でも知っています。一たいどういうわけなんです?」
「誰がそんなことを知ってるんです? 誰が一たい勘定したのです? 私が一たい誰に勘定させました?」
「冗談じゃありませんよ。あの時ちょうど三千ルーブリ使ったとみんなに言ったのは、あなた自身じゃありませんか。」
「そうです、言いました、町じゅうのものに言いました。町じゅうのものもそう言いました。みんなそう思っていました。このモークロエでも、やはりみんな三千ルーブリと思っていました。しかし、それでもやはり、私の使ったのは三千ルーブリじゃなくって、千五百ルーブリです。そして残りの千五百ルーブリは、袋の中に縫い込んだのです。こういうわけなんですよ、みなさん、昨日の金の出所はこういうところにあったんですよ……」
「それはほとんど奇蹟だ……」とニコライは呂律の廻らない調子で言った。
「じゃ、失礼ですが、一つお訊ねしましょう、」とうとう検事がこう言いだした。「あなたは以前このことを……つまり、その千五百ルーブリ残っているということを、その当時、一カ月まえ誰かに言いましたか?」
「誰にも言いません。」
「それは不思議ですね。一たいあなたはまるっきり誰にも言わなかったのですか?」
「まるっきり、誰にも言いません、断じて誰にも言いません。」
「しかし、なぜそんなに黙っていたのです? どういうわけであなたはそんなことを、そんなに秘密あつかいにしていたのです? もっと正確に説明しますと、あなたは結局、われわれに自分の秘密を打ち明けたじゃありませんか。その秘密は、あなたの言葉によると、非常に『恥ずべき』ものだそうですが、そのじつ(むろん、相対的の話ですよ)、この行為は、すなわち人の金を三千ルーブリ着服した、それもただ一時着服したという行為は、私の見解から言うと、少くとも、ただひどく無分別な行為というにすぎません。のみならず、あなたの性格を考慮に入れるときは、決してそれほど恥ずべき行為ではありません……むろん、非難すべき行為である、ということには私も同意しますが、非難すべき行為というだけで、それほど恥ずべき行為じゃありません……つまり、私のとくに言おうとするところは、あなたが使ったあの三千ルーブリの金が、ヴェルホーフツェヴァ嬢から出ていることは、もうこの一月の間に多くのものが察していましたから、あなたの申し立てのないうちに、私もその物語を聞いていた、とこういう点なのです……例えば、ミハイル・マカーロヴィッチなどもやはり聞いておられます。ですから、しまいにはもうほとんど物語ではなくなって、町じゅうの噂話になったくらいです。それに、あなた自身(もし私の思い違いでないとすれば)このことを、つまりこの金がヴェルホーフツェヴァ嬢から出たということを、誰かに打ち明けた形跡がありますよ……ですから、あなたが今まで、つまりこの瞬間まで、あなたのいわゆる『取りのけておかれた』この千五百ルーブリを、非常な秘密として扱っていられたのみならず、その秘密に一種の恐怖さえ結びつけておられるのは、実に驚くのほかありません[#「驚くのほかありません」はママ]……そんな秘密の告白が、あなたにこれほどの苦痛を与え得るとは、どうしても本当にできません……なぜと言って、あなたは今、これを白状するよりも、いっそ懲役に行ったほうがいい、とまで絶叫したじゃありませんか……」
 検事は口をつぐんだ。彼はひどく興奮していた。彼はほとんど憎悪に近い自分の不満を隠そうともせず、語句の修飾などには心もとめず、連絡もなしに、ほとんどたどたどしい言葉づかいで、胸にたまっていることを残らず言ってしまったのである。
「しかし、恥辱は千五百ルーブリにあるのじゃなくって、その千五百ルーブリを、三千ルーブリから別にした点にあるのです。」ミーチャはきっぱりとこう言った。
「けれど、それがどうしたのです?」と検事はいらだたしそうに、にたりとした。「すでにあなたが非難すべき方法で(しかし、お望みとあれば、恥ずべき方法と言いましょう)、恥ずべき方法で着服した三千ルーブリから、自分の考えで半分だけ別にしたということに、どうして恥ずべき点があるのです? 重大な問題は、あなたが三千ルーブリを着服されたことであって、その処置のいかんではありません。ついでだから訊きますが、あなたはなぜあんなふうな処置をしたのです[#「あんなふうな処置をしたのです」はママ]。つまり、あの半分を別にしたのです? 何のために、どういう目的であなたはそんなことをしたのです? それを説明していただけませんか。」
「ああ、みなさん、その目的に、すべてがふくまれてるんです!」とミーチャは叫んだ。「卑劣な動機から別にしたのです、つまり、打算です。なぜならこの場合、打算は卑劣と同じですからね……しかも、まる一カ月この卑劣な行為がつづいていたのです!」
「わかりませんね。」
「驚きますなあ。しかし、も一ど説明しましょう。あるいは実際わからないかもしれませんからね。それはこうなんです。私は、自分の潔白を見込んで委託された三千ルーブリを着服して、使ってしまいました、すっかり使いはたしました。そして、翌朝、あのひとのところへ行って、『カーチャ、悪いことをした、わしはお前の三千ルーブリを使ってしまったのだ』と言ったらどうでしょう、いいことでしょうか? いや、よくはありません、――不正なことです、浅はかなことです、獣です、獣同然になるまで自分を押えることのできない人間です、そうじゃありませんか、そうじゃありませんか? しかし、それにしても、盗人じゃありますまい? 本当の盗人じゃない、本当の盗人じゃないでしょう、そうじゃありませんか! 使いはしたけれど、盗みはしませんからね! ところが、ここに第二の方法、もっとうまい方法があります、よく聞いて下さい。でないと、また変なことを言いだすかもしれませんから、――何だか頭がぐらぐらするんです。そこかでもない、ここで三千ルーブリの中から千五百ルーブリ、つまり半分だけ使うんです。そして、翌る日あのひとのところへ行って、あとの半分をさし出しながら、『さあ、カーチャ、このわしから、ならず者から、無分別な横着者から、この半金を受け取っておくれ。わしは半分つかってしまったんだ。いずれこの半分も使ってしまうだろうから、君子は危きに近よらずだ!』とこう言うのです。どうです。こういう場合は? 獣とでも、横着者とでも、何とでも言って下さい。しかし、泥棒じゃありません、腹の底までの泥棒じゃありません。なぜと言って、もし泥棒なら半分のつりを返しに持って行かないで、自分のものにしてしまうでしょう。ところが、私は半分もって行ったから、あとの半分、つまり使いはたした金も持って来るだろう、一生涯その金を求めて働いて、できたら持って来て返すだろうと、そうあのひとは思います。こういうわけで、私は横着者ではありますが、決して泥棒じゃありません、泥棒じゃありません、何と言われてもかまいませんが、ただ、泥棒というわけにはゆきません!」
「まあ、かりにいくらか相違はあるとしても」と検事は冷やかに、にたりと笑った。「それでも、あなたがそこに、それほど根本的な相違を認められるのは、奇妙ですね。」
「いや、それほど根本的な相違を認めますとも。卑劣漢には誰でもなることができます、あるいは誰でもみんな卑劣漢かもしれません。しかし、泥棒には誰でもなるというわけにゆきません、ただ図抜けた卑劣漢だけです。しかし、私はこんな微妙な相違を、うまく説明することができません……が、とにかく、泥棒は卑劣漢よりもっと卑劣です。これが私の信念なんです。いいですか、私はまる一カ月間、その金を持ち歩いていました、明日にもそれを思いきって返すことができます。そうなれば、私はもう卑劣漢じゃありません。ところが、決行できなかったんです。毎日決心しながら、――毎日『決行しろ、早く決行しろ、この卑劣漢』と言って、自分で自分をうしろから突くようにしながら、もうまる一カ月のあいだ、決行ができなかったのです。どうでしょう、いいことでしょうか、あなた方のご意見では、これがいいことでしょうか?」
「まあ、かりにあまりよくないことだとしても、とにかく、その心持は十分理解することができます。それについては私も異存ありません」と検事は控え目に答えた。「ですが、とにかく、そういう微妙な相違に関する議論は、すっかり抜きにして、またもとの用件に戻ってはどうでしょう。その用件というのは、ほかでもありません、なぜあなたは最初あの三千ルーブリを別にしたのです、つまり、なぜ半分使って半分かくしておいたのです? さっきお訊ねしたけれど、まだ説明してもらいませんでしたね。一たいなぜ隠したのです。一たいあの残った千五百ルーブリを何に使うつもりだったのです? ドミートリイ・フョードロヴィッチ、私はあくまでそれを聞きたいのです。」
「ああ、本当にそうだ!」とミーチャは自分の額を叩いてこう叫んだ。「赦して下さい。私はあなた方を苦しめるだけで、要点を説明しなかったっけ。でなかったら、あなた方もすぐに悟ってしまわれたでしょうになあ。なぜと言って、目的の中に、この目的の中に汚辱があるからです! ねえ、考えてごらんなさい、あの老人が、亡くなった親父が、しょっちゅうアグラフェーナをぐらつかせていました。それが私の嫉妬の種なんです。あの女はおれにしようか、あいつにしようか、と迷っているんだろう、こうその当時考えたもんです。しかし、またこんな考えも毎日浮んできました、もし急にあれが肚を決めたらどうしよう? おれを苦しめるのにも飽きがきて、『わたしはあなたを愛しているのよ。あの人じゃないわ、さあ、わたしを世界の果てへ連れてってちょうだい。』などとだしぬけに言いだしたらどうしよう、とこう思ったわけです。私は二十コペイカ玉をたった二枚きりきゃ持ってないんですからね、どうして連れ出すことができましょう。その時はどうにも仕方がない、――もう破滅だ。その時わたしはあの女を知らなかったもんですから、理解していなかったもんですから、あれはきっと金がほしいにちがいないから、おれの貧乏に愛想をつかすだろうと考えました。そこで私は横着にも、三千ルーブリの中から半分だけ別にして、それを平然として針で縫い込んだのです。あてにするところがあって、縫い込んだのです。まだ遊興に出かけない前に縫い込んだのです。それから、縫い込んだあとで、残りの半分を持って遊興に出かけたんです。いや、実に陋劣だ! さあ、これでおわかりになったでしょう?」
 検事は大声に笑った。予審判事もやはり笑いだした。
「私の考えでは、あなたが自己を抑制して残らず使ってしまわなかったということは、かえって賢いやり方でもあり、また道徳的にも結構なことだと思いますね」と言って、ニコライはひひと笑った。「なぜと言って、べつにどうということはないんですものね。」
「ところが、盗んだということがあります。そうですよ! ああ、私はあなた方の無理解がそら恐ろしくなります! 私は、袋に縫い込んだ千五百ルーブリの金を懐中しているあいだ、しじゅう、毎日、毎時、自分に向って、『貴様は泥棒だぞ、貴様は盗んだんだぞ!』と言いつづけていました。それがために、私はこの一カ月というもの、乱暴なことばかりしたんです、それがために料理屋でも喧嘩をしました、それがために親父も殴りました。つまり、自分は泥棒だという気がしたからです! 私は弟のアリョーシャにさえ、この千五百ルーブリのことを打ち明ける勇気もなければ、決心もつかなかったのです。それほど私は自分を卑劣漢で、詐欺師だと感じていました。しかし、お断わりしておきますが、私は金を肌につけて持って歩きながらも、それと同時に、毎日、毎時、自分で自分に向って、『待てよ、ドミートリイ、お前はまだ盗人じゃないかもしれんぞ』とこう言いつづけました。なぜでしょう? ほかでもありません、自分は明日にもカーチャのところへ行って、この千五百ルーブリを返すことができると思ったからです。ところが、きのうフェーニャのところから、ペルホーチンの家へ行く途中、はじめてこの袋を頸から引きちぎろうと決心しました。その時までは、どうしても決心がつかなかったんですが、いよいよ引きちぎったその瞬間、もう一生涯とり返しのつかない、弁解の余地のない立派な泥棒になったのです、泥棒でしかも破廉恥な人間になったのです。なぜでしょう? それは私が袋を引きちぎると同時に、カーチャのところへ行って、『わしは卑劣漢だが、泥棒ではないよ』と言おうと思った自分の空想をも、袋と一緒に引きちぎってしまったからです! もうわかったでしょう、え、おわかりでしょう?」
「なぜあなたは、ゆうべにかぎって、そんな決心をなすったのです?」とニコライは口を入れた。
「なぜですって? おかしなお訊ねですね。なぜと言って、私は朝の五時、夜の引き明けにここで死のうと、自分で自分に宣告したからです。『卑劣漢だろうが、高潔な人間だろうが、死ぬのに変りがあるものか!』と考えたからです。ところが、そうじゃなかった、どうでもよくないことがわかったのです! あなた方は本当になさらんかもしれませんが、ゆうべ何よりも私を苦しめたのは、私が年よりの下男を殺したため、シベリヤへ行かなくちゃならない(しかも、それは自分の恋がかなって、ふたたび天国が眼前にひらけた時ですからねえ!)というような危惧の念ではありません。むろん、これも苦しめるには苦しめました。が、それほどじゃなかったです。『自分はとうとうあのいまいましい金を胸から引きちぎって、すっかりそれを撒き散らしてしまったから、もう今では立派な盗人になりはてたんだ!』という、このいまわしい意識ほど烈しくはありませんでした。おお、みなさん、本当に心底から繰り返して言いますが、私はあの一晩にいろいろなことを知りましたよ! 人間は卑劣漢として生きてゆけないばかりか、卑劣漢として死ぬこともできないものだ、それを私は悟りました……そうです、みなさん、死ぬのも潔白に死ななけりゃなりません!………」
 ミーチャは真っ蒼になっていた。彼は極端に熱していたが、その顔には疲労と苦痛の色が現われていた。
「あなたの心持は次第にわかってきました、ドミートリイ・フョードロヴィッチ」と検事はもの柔かな、ほとんど同情するような調子で、言葉じりを引いた。「しかし、それはみんな、あなたはどうお考えか知らないが、私の考えでは、神経にすぎないと思いますね……病的な神経、確かにそうですよ。例えばですね、ほとんど一カ月にわたるそんな烈しい苦痛をのがれるために、なぜ依頼者たるその婦人のところへ行って、千五百ルーブリの金を返さなかったのです? そして、あなたの境遇は、あなたご自身のお話によると、非常に恐ろしいものだったんですから、どうしてそのご婦人とよく相談の上で、誰の頭にも自然と浮んでくる方法を、講じてはみなかったのです? つまり、そのご婦人の前に、潔く自分の過失を打ち明けたあとで、自分の出費に要する金を借りることが、どうしてできなかったのです? 寛大な心を持ったそのご婦人は、あなたの困窮を知ったなら、むろんあなたの要求をこばみはしなかったでしょう。ことに証文を入れるとか、あるいはやむを得ない場合には、商人サムソノフやホフラコーヴァ夫人に提供されたような抵当を入れるとかしたら、なお大丈夫だったはずですよ。実際あなたは今でもその抵当を、値うちのあるものと思っていられるんでしょう?」
 ミーチャは急に真っ赤になった。
「じゃ、あなたはそれほどまで私を卑劣漢と思っていられるんですか! まさかそんなことを真面目でおっしゃるんじゃありますまい!」彼は検事の目をひたと見つめながら、いかにも相手の言葉が信じられないといったような、不満らしい調子でこう言った。
「めっそうもない、真面目ですと……どうしてあなたは真面目でないなどとお思いですか?」今度は検事のほうがびっくりした。