京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P261-267   (『ドストエーフスキイ全集』第13巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))

第十二篇 誤れる裁判

   第一 運命の日

 筆者《わたし》の書いた事件の翌日午前十時、当町の地方裁判所が開廷され、ドミートリイ・カラマーゾフの公判が始まった。
 前もってしっかり念をおしておく。法廷で起った出来事を、残らず諸君に物語ることは、とうてい不可能である。十分くわしく物語ることはおろか、適当の順序をおうて伝える[#「おうて伝える」はママ]ことさえできない。もし何もかも洩れなく思い起して、それ相当の説明を加えたら、一冊の書物、――しかも非常に大部な書物ができあがりそうなほどであるから。だから、筆者が自分で興味をもった点と、特別に思い出したところだけ諸君に物語るからといって、筆者を怨んでもらっては困る。筆者は、第二義的なことを肝腎な事件と思い込んだり、また非常に目立って大切な点を、すっかり抜かしたりしないものでもない……しかし、もうこんな言いわけはしないほうがよさそうである。筆者はできるだけのことをしよう。また読者諸君も、筆者ができるだけのことしかしなかったのを、諒とされることと思う。
 で、法廷へ入るにさきだって、まず第一に、当日とくに筆者《わたし》を驚かしたことを語ろう。もっとも、驚いたのは筆者一人ではない。後で聞いてみると、誰も彼もみんなびっくりしたそうである。ほかでもない、この事件が多くの人の興味を惹き起したことも、みんなが裁判の開始を熱心に待ち焦れていたことも、この事件が当地で最近二カ月いろいろと噂されたり、予想されたり、絶叫されたり、空想されたりしたことも、一同に知れ渡っていた。また、この事件が、ロシヤじゅうの評判になったことも、みんなに知れ渡っていたが、しかしこれがただに当地のみならず到るところで、老若男女の別なく、人々をあれほどまでに熱狂させ、興奮させ、戦慄させようとは、当日になるまで思いがけなかった。この日は当地をさして、県庁所在の町からばかりでなく、ロシヤの他の町々からも、またモスクワやペテルブルグからさえも、ぞくぞくと傍聴人が押し寄せて来た。法律家も来れば、貴婦人も来るし、幾たりか知名の士さえもやって来た。傍聴券は一枚のこらず出てしまった。男子連の中で特別地位のある知名の人々は、法官席のすぐうしろに特別の席を設備された。そこには安楽椅子がずらりと並んで、さまざまな名士に占領された。そんなことは当地でこれまでかつてなかったところである。ことに多かったのは婦人、――当地はじめ他県の婦人で、傍聴者ぜんたいの半数を越していたように思う。各地から来た法律家だけでも非常な多数にのぼり、もはやどこへも入れる場所がなくなったくらいである。なにしろ、傍聴券は人人の請求哀願によって、もうとっくに残らず出きってしまったからである。筆者は法廷の高壇のうしろの片隅に、急場の間に合せに特別な仕切りができて、そこへ他県から来た法律家連が押し込まれたのを見たが、椅子という椅子は場所を広くするために、残らずその仕切り内から片づけられたので、彼らはじっと立っていなければならなかったが、それでもみんな幸福に感じていた。で、そこにぎっしり押し込まれた聴衆は、肩と肩とを擦りあわせながら、『事件』が終るまで立ち通していた。
 婦人たち、とくによそから来た婦人たちの中には、ひどくめかしこんで、法廷の廻廊に陣取っているものもあったが、大半はめかすことさえ忘れていた。彼らの顔には、ヒステリイじみた、貪るような、ほとんど病的な好奇心が読まれた。この法廷に集った群衆の特質について、ぜひ一言しておかなければならぬことは、ほとんど全部の婦人、少くとも大多数の婦人がミーチャの味方で、彼の無罪を主張していたことである(これはその後、多くの人の観察によって実証された)。そのおもな理由は、ミーチャが女性の心の征服者であるように思われていたためであろう。実際、二人の女の競争者が出廷することは、よく知られていた。そのなかの一人、すなわちカチェリーナは、ことに一同の興味を惹いた。彼女については、ずいぶん突拍子もない噂がいろいろと言いふらされていた。ミーチャが罪を犯したにもかかわらず、彼女が男に対して情熱を捧げているということに関して、驚くべき逸話が伝えられていた。ことに彼女の傲慢なことや(彼女は当地に住みながら、ほとんど誰をも訪問したことがなかった)、『貴族社会に縁辺』をもっていることなどが語り伝えられた。世間では彼女が政府に願って、徒刑の場所までミーチャについて行き、どこか地下の坑内で結婚の許可を得ようと思っている、などと噂していた。カチェリーナの競争者たるグルーシェンカが法廷に現われるのも、人々はそれに劣らぬ興奮を感じながら待ちかまえた。二人の恋がたき、――誇りの高い貴族の令嬢と、『遊びめ[#「遊びめ」はママ]』とが法廷で出遇うのを、みんな悩ましいばかりの好奇心をいだいて待っていた。もっとも、グルーシェンカはカチェリーナよりも、当地の婦人たちの間によけい知られていた。彼らは、『フョードルとその不運な息子を破滅させた』グルーシェンカを、前から見知っていたので、みんなほとんど異口同音に、『よくもこんな思いきって平凡な、少しも美しくないロシヤ式の平民の女に』、親子そろって、あれほどうつつを抜かすことができたものだ、と驚いていた。要するに、噂はまちまちであった。ことに当地ではミーチャのために、容易ならぬ争いを起した家庭もあることを、筆者《わたし》はよく知っている。多くの婦人たちは、この恐ろしい事件に対する見解の相違から、自分の夫と激しく言い争った。だから、自然の数として、これらの婦人たちの夫は、いずれも被告に対して同情をもたないのみか、かえって憎悪の念すらいだいて、法廷へ出たのである。要するに、男子側が婦人側と反対に、みな被告に反感をいだいていたのは確実で、いかつい渋面や、毒をふくんだ顔さえ多数に見受けられた。もっとも、ミーチャが当地にいる間、彼らの多くを個人的に侮辱したことも事実である。むろん、傍聴者の中には、ほとんど愉快そうな顔つきをして、ミーチャの運命に一こう無頓着なものもあったが、これとても、眼前の事件に冷淡なのではなかった。誰も彼もこの事件の結末に興味をもっていて、男子の大部分は断々乎として、ミーチャが天罰を受けることを望んでいた。しかし、法律家だけは別で、彼らの興味は事件の道徳的方面よりも、いわゆる現代的、法律方面に向けられていた。
 ことに世間を騒がしだのは、有名なフェチュコーヴィッチの乗り込みであった。彼の才能は到るところに知られていた。彼が地方に現われて、刑事上の大事件を弁護したのは、これが初めてではなかった。彼が弁護をした事件は、いつもロシヤ全土に喧伝され、永く記憶されるのであった。当地の検事や裁判長についても、さまざまな逸話が伝えられていた。検事のイッポリート・キリーロヴィッチが、フェチュコーヴィッチに会うのを恐れてびくびくしているとか、彼ら二人は法律家生活の第一歩からの旧い敵同士であるとか、自信の強いイッポリートは、自分の才能を本当に認められないために、またペテルブルグ時代から、いつも誰かに侮辱されてでもいるように感じていたので、あのカラマーゾフ家の事件にやっきとなり、これによって頽勢を挽回しようと空想していたが、ただフェチュコーヴィッチだけを恐れているのだとか、そういうような噂がしきりに行われた。けれども、この推断はいささか正鵠を失していた。わが検事は、危険を見て意気沮喪するような男ではない。むしろ反対に、危険の増大とともに自負心もますますさかんになって、勢いを増すというふうの男であった。とにかく、当地の検事が非常な熱情家で、病的に感受性が強かったことは、認めなければならない。彼はある事件に自分の全心を打ち込むと、その事件の解決いかんによって、自分の全運命と自分の全価値が、きまりでもするかのように行動した。法曹界では、いくらかこれを嘲笑するものもあった。彼はこうした性質によって、たとえ到るところに名声を馳せるというわけにゆかないまでも、こうした田舎裁判所におけるつましい地位の割には、かなり広く知られていたからである。ことに世間では、彼の心理研究癖を笑っていた。が、筆者《わたし》の考えでは、これらはみんな間違っていると思う。わが検事は、多くの人々が考えているより、よほど深く真面目な性格をもっていたようである。ただ、彼は一たいに病身なために、その経歴の第一歩から生涯を通じて、ついに自分の地位を築き得なかったのである。
 当地の裁判長については、ただこの人が実際的に職務をわきまえた、きわめて進歩的見解を有している、教養を身につけた、人道的な人物であることを言い得るのみである。この人も相当に自負心が強かったが、自己の栄達についてはあまりあせらなかった。彼の生活のおもなる目的は、時代の先覚者となることであった。それに、彼はいい縁故と財産とをもっていた。これもあとでわかったことだが、彼もカラマーゾフ事件に対しては、かなり熱のある見方をしていた。が、それもごく一般的な意味あいであった。彼の興味をそそったのは、この社会現象と、その分類と、わが国の社会組織の産物として、およびロシヤ的特性の説明としてこの現象を取り扱うこと、などであった。事件の個人的性質や、その悲劇的意義や、被告を初めすべての関係者などに対しては、かなり無関心な抽象的な態度をとっていた。もっとも、これはそうあるべきことかもしれぬ。
 法廷は裁判官の出席まえから、傍聴人でぎっしりになっていた。当地の裁判所は、町でも最も立派な、広くて高い、声のよく通る建物であった。一段たかいところに居ならんだ裁判官たちの右側には、陪審員のために一脚のテーブルと、二列の安楽椅子が設けられていた。左側には被告と弁護士の席があった。法廷の中央、裁判官の席に近いところには、『証拠物件』をのせたテーブルがおかれた。その上には、フョードルの血まみれになった白い絹の部屋着と、兇行に用いたものと推察される運命的な銅の杵と、袖に血の滲んだミーチャのシャツと、あのとき血のついたハンカチを入れたために、うしろかくしのまわりに血痕の付着したフロックと、血のためにこちこちになって、今ではすっかり黄いろくなっているハンカチと、ミーチャがペルホーチンの家で、自殺するつもりで弾を塡めておいたが、モークロエでトリーフォンのためにこっそり盗まれたピストルと、グルーシェンカのために三千ルーブリの金を入れておいた名宛てのある封筒と、その封筒を縛ってあったばら色の細いリボンと、そのほか、とうてい思い出せないほどさまざまな品物がのっていた。少し離れて法廷の奥まったところに、一般の傍聴者の席があったが、なお手摺りの前にも幾つかの安楽椅子があった。それは申し立てをした後に、法廷に残らなければならない証人用のものであった。十時が打つと、三人の裁判官、――すなわち裁判長と、陪席判事と、名誉治安判事が現われた。むろん、すぐに検事も出廷した。裁判長は小柄な、肉づきのいい、中背よりも少し低いかと思われるくらいな、痔疾らしい顔つきの五十歳ばかりの老人で、短く刈られた黒い髪には、いくぶん白髪がまじっていた。彼は赤い綬をつけていたが、どんな勲章であったか、記憶しない。筆者《わたし》の見たところでは、いや、筆者だけではない、みなの目に映じたところでは、検事はひどく真っ蒼な、ほとんど緑色といってもいいくらいな顔いろをしていた。なぜか一晩のうちに急に痩せ細ったものらしい。筆者が三日ばかりまえ彼に会った時は、ふだんと少しも変りがなかったからである。
 裁判官はまず第一に廷丁に向って、『陪審員はみんな列席されたか?………』と訊いた。しかし、筆者は、こんな工合につづけて行くことは、しょせんできないと思う。はっきり聞えなかったところもあるし、意味の取れなかった言葉もあるし、また忘れてしまった点もあるからである。が、何よりおもな理由は、さきにも言ったとおり、もし一つ一つの言葉や出来事を残らず書き連ねたら、まったく文字どおりに時間と紙とがたりなくなるからである。ただ筆者の知っているのは、双方、すなわち弁護士側と検事側の陪審員が、あまり大勢いなかったということだけである。しかし、十二人の陪審員の顔ぶれは憶えている。つまり、四人の当地の役人と、二人の商人と、土地の六人の百姓と町人とであった。筆者は当地の人々、ことに婦人たちが、裁判の始まる前に、いくらか驚き加減で、『こういう微妙な複雑な心理的事件が、あんな役人や、おまけにあんな百姓たちの決定にまかされるのでしょうか? あんな役人や、ましてあんな百姓たちに、この事件がわかるのでしょうか?』と訊いたのを憶えている。実際、陪審員の数に入ったこの四人の役人は、下級な老朽官吏で、――そのなかの一人はいくらか若かったが、――町の社交界でもほとんど知られていない、少額の俸給に甘んじている連中であった。彼らは、どこへも連れだすことのできないような年とった細君と、おそらく跣で飛び廻っていかねまじい大勢の子供をかかえて、暇な時にどこかでカルタでもして楽しむのが関の山、書物など一冊も読んだことがないに相違ない。二人の商人は、いかにも堂々たる様子をしていたけれど、なぜか妙に黙り込んで、堅くなっていた。そのうち一人は顎鬚を剃り落して、ドイツ人のような身なりをしていたが、もう一人のほうは白髪まじりの顎鬚を生やし、頸には赤い綬のついた何かのメダルをかけていた。町人と百姓については、いまさら何も言うがものはない。このスコトプリゴーニエフスクの町人は百姓も同然で、実際、畑の土を掘っているのであった。なかの二人は、やはりドイツ風の服を着ていたので、そのせいか、かえってほかの四人よりも、よけいにむさくるしく汚らしく見えた。だから実際、筆者《わたし》も彼らを見たときに、『こんな人間どもが、こういう事件について、はたして何を理解することができるだろう?』と考えたが、まったく誰でもそう思わずにいられなかったろう。しかし、それでも彼らはいかつい渋面をしていて、一種異様な、圧迫するような、ほとんど威嚇するような印象を与えた。
 とうとう裁判長は、休職九等官フョードル・パーヴロヴィッチ・カラマーゾフ殺害事件について、審理を開始する旨を宣言した。そのとき彼がどういう言葉を用いたか、筆者も正確には憶えていない。廷丁は被告を連れて来るように命じられた。やがてミーチャが現われた。法廷内は水を打ったようにしんとして、蠅の飛ぶ羽音さえ聞えそうであった。ほかの人たちはどうだったか知らないが、筆者《わたし》はミーチャの様子を見て、非常にいやな気持がした。第一、彼は仕立ておろしの真新しいフロックを着て、恐ろしく洒落た恰好をしていた。何でも後日聞いたところによると、彼はわざとこの日のために、自分の寸法書をもっているモスクワの以前の仕立屋に、そのフロックを注文したのだそうである。彼は新しい黒い仔羊皮の手袋をはめ、洒落たシャツを着こんでいた。じっと自分のまんまえを見つめながら、例の大股でつかつかと歩みを運び、悠然と落ちつきはらった様子で自席に腰をおろした。同時に、有名な弁護士のフェチュコーヴィッチも姿を現わした。と、法廷の中には一種おしつけたようなどよめきが起った。彼は背の高い痩せぎすの男で、細長い脚と、ことのほか細長くて蒼白い指と、綺麗に剃刀をあてた顔と、つつましやかに梳られたごく短い髪と、ときどき嘲笑か微笑かわからないような笑みにゆがむ薄い唇をもっていた。年は四十前後でもあろうか。もし一種特別な目さえなかったら、彼の顔は気持のいいほうであった。目それ自身は小さくて無表情であったが、その距離がいちじるしく接近していて、細い鼻梁骨が、わずかにその間を隔てているのみであった。一口に言えば、彼の顔つきは誰が見ても、びっくりするほど鳥に髣髴たる表情をおびていた。彼は燕尾服を着て、白いネクタイをしめていた。裁判長はまず第一にミーチャに向って、姓名や身分を訊いたと記憶している。ミーチャはきっぱり返答したが、なぜか途方もない大声だったので、裁判長は頭を振って、びっくりしたようにミーチャを見た。次に、審問のために呼び出された人々、つまり証人および鑑定人の名簿が読み上げられた。その名簿は長いものであった。証人のうち四人は出廷しなかった。すなわち、以前予審の時は申し立てをしたが、今はパリにいるミウーソフと、病気のために欠席したホフラコーヴァ夫人、および地主のマクシーモフと、それからふいに死んだスメルジャコフである。スメルジャコフの自殺については、警察のほうから証明がさし出されたが、この報告は法廷ぜんたいに激しい動揺と、囁きとを喚び起した。むろん、傍聴者の多くは、スメルジャコフ自殺という突発的挿話を知らなかったけれど、何よりもミーチャのとっぴな振舞いに驚かされた。ミーチャはスメルジャコフの変死を聞くと、いきなり自席から、法廷全部に響き渡るような大声で叫んだ。
「犬には犬のような死にざまが相当してる!」
 筆者《わたし》は、弁護士が飛んで行って彼を抑えたことや、裁判長が彼に向って、今度こういう気ままなことをすると、厳重な手段に訴えるぞと、嚇したことなどを憶えている。ミーチャはしきりに頷きながら、しかも一こう後悔する様子もなく、幾度もちぎれちぎれな小さい声で、弁護士に繰り返した。
「もうしません、もうしません! つい口から出たんで! もうしません!」
 むろん、この短い一挿話は、陪審員や傍聴者に、被告にとって不利な印象を与えた。彼はその性格を暴露して、自分で自分を紹介してしまったのである。彼がこういう印象を与えたあとで、書記の口から告発書が読み上げられた。
 それはごく簡潔なものであったが、同時に周匝《しゅうそう》なものであった。何の某はなぜ拘引せられ、なぜ裁判に付せられなければならなかったか云々、というおもな理由を述べてあるだけにすぎなかったが、それにもかかわらず、告発書は筆者に強い印象を与えた。書記は明晰な響きのいい声で、わかりよく読み上げた。今やこの悲劇全体が宿命的な、容赦のない光に照らされて、新しく一同の前に浮彫のごとく集約されて現われたのである。筆者《わたし》はこの告発書が読み上げられたすぐあとで、裁判長が高い、胸に徹するような声で、ミーチャに訊いたのを記憶している。
「被告は自分の罪を認めるか?」
 ミーチャはいきなり席を立った。
「私は、自分の乱酒、淫蕩については、みずから罪を認めます。」彼はまた突拍子もない、ほとんどわれを忘れたような声でこう叫んだ。「怠惰と放縦については、自分に罪があることを認めます。運命に打ち倒された私はその瞬間、永久に潔白な人間になることを望んだのです! しかし、爺さんの、――私の敵である親父の死については、――断じて罪はありません! また親父の金を盗んだことについても、決して、決して罪はありません。そうです、罪なんかあるはずがないんです。ドミートリイ・カラマーゾフは卑劣漢です、しかし盗賊じゃありません!」
 彼はこう叫んで、自分の席へ腰をおろした。明らかに、彼は全身をがたがた慄わしていた。裁判長はさらに被告に向って、ただ質問だけに答えたらいいので、余事を語ったり、夢中で叫んだりしないようにと、ごく手短かにさとすような語調で言い聞かせた。次に裁判長は審問に着手を命じた。証人一同は宣誓のために出廷を命ぜられた。筆者はこのとき証人全部を見た。被告の兄弟だけは、宣誓せずに証言することを許された。僧侶と裁判長の訓誨がすむと、証人たちは引きさがって、できるだけ離れ離れに腰をかけさせられた。やがて証人ひとりひとりの取り調べが始まった。

   第二 危険なる証人

 筆者《わたし》は検事側の証人と弁護士側の証人が、裁判長によって区別されていたかどうか、またどういう順序で彼らが呼び出されたか、そういうことは少しも知らない。いずれ区別されてもいだろうし、順底もあったことだろう。ただ筆者の知っているのは、検事側の証人がさきに呼び出されたことだけである。繰り返して言うが、筆者はこれらの審問を、残らず順序を追うて書くつもりはない。それに、筆者の記述は一面、よけいなものになるかもしれない。なぜなら、検事の論告と弁護士の弁論が始まった時、その討論においてすべての申し立ての径路と意味とが、ある一点に帰結され、しかも明瞭に性質づけられて現われたからである。この二つの有名な弁論を、筆者は少くともところどころだけは詳しく書き取っておいたので、その時機がきたら読者に伝えることとしよう。またその弁論に入る前に、とつぜん法廷内で勃発して、疑いもなく裁判の結末に恐ろしい運命的な影響を与えた、思いがけない異常な挿話をも記そうと思っている。で、ここにはただ公判の初めから、この『事件』のある特質が、すべての人々によって、明確に認められたことだけを述べるにとどめよう。それはほかでもない、被告を有罪とする力のほうが、弁護士側のもっている材料よりもはるかに優勢であった。この恐ろしい法廷にさまざまな事実が集中しはじめ、一切の恐怖と血潮とが次第に暴露しだした瞬間に、誰もがいちはやくこれを悟ったのである。一同はすでに最初の第一歩から、この事件が全然あらそう余地のない、疑惑の介在を許さないもので、実質上、弁論などはぜんぜん不必要であるが、ただ形式として行うにすぎない、犯人は有罪である、明らかに有罪である、ということがわかっているらしかった。筆者《わたし》の考えるところでは、興味ある被告の無罪をあれほど熱心に希望していた婦人たちさえ、同時に一人残らず彼の有罪を信じきっていたらしい。のみならず、もし彼の犯罪が完全に認められなかったら、婦人連はかえって失望したに相違ないと思う。というのは、それでは被告が無罪を宣告された時、大団円の効果が十分でなくなるからである。まったく不思議にも、婦人たちはすべて、ほとんど最後の瞬間まで、被告の無罪放免を信じきっていた。『彼は確かに罪を犯した。けれども、当節流行の人道主義と、新しい思想と新しい感情とによって、無罪を宣告されるだろう』と彼らは思っていた。みながあんなにやきもきしながらここへ馳せ集ったのは、つまりそれがためなのである。