京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P066-069   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦36日目]

だまだ遠いように思われることも、神の定めによればもう実現の間際にあって、つい戸の外に控えておるかもしれませんじゃ、おお、これこそ、まことにしかあらせたまえ、アーメン、アーメン!」 
「アーメン、アーメン!」とパイーシイはうやうやしくおごそかに調子を合せた。
「奇妙だ、実に奇妙だ!」とミウーソフが言ったが、その声は熱しているというよりも、むしろ腹の底で何か不平を隠しているというふうであった。
「何がそのように奇妙に思われますかな?」用心ぶかい調子でヨシフが訊ねた。
「本当にこれは一たい何事です!」ミウーソフは、突然堰でも切れたように叫んだ。「地上の国家を排斥して、教会が国家の位置に登るなんて! それは法王権論《ウルトラモンタニズム》どころじゃなくて、超法王権論《アルキウルトラモンタニズム》だ! こんなことは法王グリゴーリイ七世だって夢にも見なかったでしょうよ!」
「あなたはまるで反対に解釈しておいでです!」とパイーシイはいかつい声で言った。「教会が国家になるのではありません、このことをご合点下さい。それはローマとその空想です、それは悪魔の第三の誘惑です! それとは正反対に、国家がかえって教会に同化するのです。国家が教会の高さにまで昇って行って、地球の表面いたるところ教会となってしまうのであります。これは法王権論《ウルトラモンタニズム》ともローマとも、あなたの解釈とも正反対です。そして、これこそ地上におけるロシヤ正教の偉大なる使命なのです。東のかたよりこの国が輝き渡るのであります。」
 ミウーソフはしかつめらしく押し黙っていた。その姿には、なみなみならぬ威厳が現われていた。高いところから見おろすような、へり下った微笑がその口辺に浮んだ。アリョーシャは烈しく胸をおどらしながら、始終の様子に注意していた。この会話が極度に彼を興奮さしたのである。ふとラキーチンのほうを見やると、彼は依然として戸のそばにじっと立ったまま、目こそ伏せているけれど、注意ぶかく耳をすましながら観察している。しかしその頬におどっているくれないによって、彼もアリョーシャに劣らず興奮していることが察しられた。アリョーシャはそのわけを知っていた。
「失礼ですが、一つ、ちょっとした逸話をお話しさせていただきます。」突然、ミウーソフが格別もったいぶった様子で意味ありげに言いだした。「あれは十二月革命のすぐあとでしたから、もう幾年か前のことです。僕は当時パリである一人の非常に権勢のある政治家のところへ、交際上の礼儀のために訪問をしましたが、そこできわめて興味ある人物に出会いました。この人物はただの探偵というより、大勢の探偵隊を指揮している人でした。ですから、やはり一種の権勢家なんですね。ちょっとした機会を掴まえて、僕は好奇心に駆られるままにこの人と話を始めました。ところで、この人はべつに知己として面会を許されたわけでなく、ある報告を持って来た属官という資格でしたから、その長官の僕に対する応接ぶりを見て、いくぶん打ち明けた態度をとってくれました。しかし、それもむろんある程度までで、打ち明けたというよりむしろ慇懃な態度だったのです。実際、フランス人は慇懃な態度をとるすべを知っていますからね。それに、僕が外国人だったからでもありましょう。けれど、僕はその人のいうことがよくわかりました。いろんな話の中に、当時官憲から追究されていた社会主義の革命家のことが話題に上ったのです。その話の主要な点は抜きにして、ただこの人が何の気なしに口をすべらした、非常に興味のある警句をご紹介しましょう。この人の言うことに、『われわれはすべて無政府主義者だの、無神論者だの、革命家だのというような社会主義めいた連中は、あまり大して恐ろしくないです。われわれはこの連中に注目していますから、やり口もわかりきっていますよ。ところが、その中にごく少数ではありますが、若干毛色の変ったやつがいます。これは神を信ずるキリスト教徒で、それと同時に社会主義なのです。こういう連中をわれわれは何よりも恐れます。実際これは恐ろしい連中なんですよ! 社会主義キリスト教徒は、社会主義無神論者よりも恐ろしいのです。』この言葉はすでに当時の僕を驚かしましたが、今こうしてお話を聞いてるうちに、なぜかふいとこれを思い出しましたよ……」
「で、つまり、それをわたくしたちに適用されるのですな、わたくしたちを社会主義者だとおっしゃるのですな?」とパイーシーはいきなり単刀直入に訊いた。
 しかし、ミウーソフが何と答えようかと考えている間に、とつぜん戸が開いて、だいぶ遅刻したドミートリイが入って来た。実のところ、一同はいつの間にか彼を待だなくなっていたので、このふいの出現は最初の瞬間、驚愕の念すら惹起したものである。

   第六 どうしてこんな男が生きてるんだ!

 ドミートリイは今年二十八、気持のいい顔だちをした、中背の青年であったが、年よりはずっと老けて見える。筋肉の発達した体つきで、異常な腕力を持っていることが察しられたが、それでも顔には何となく病的なところがうかがわれた。痩せた顔は頬がこけて、何かしら不健康らしい黄がかった色つやをしている。少し飛び出した大きな暗色の目は、一見したところ、何やらじっと執拗に見つめているようであるが、よく見ると、そわそわして落ちつきがない。興奮していらだたしげに話している時でさえ、その目は内部の気持に従わないで、何かまるで別な、時とすると、その場の状況に全然そぐわない表情を呈することがあった。
『あの男は一たい何を考えてるのか、わけがわからない』とは彼と話をした人の批評である。またある人は彼が何かもの思わしげな、気むずかしそうな目つきをしているなと思ううちに、突然思いがけなく笑いだされて、面くらうことがあった。つまり、そんな気むずかしそうな目つきをしていると同時に、陽気なふざけた考えが彼の心中にひそんでいることが、証明されるわけである。もっとも、彼の顔つきがいくぶん病的に見えるのは、今のところ無理からぬ話である。彼がこのごろ恐ろしく不安な遊蕩生活に耽溺していることも、また曖昧な金のことで父親と喧嘩をして、非常にいらいらした気分になっていることも、一同の者はよく知り抜いているからであった。このことについては町じゅうでいろいろな噂が立っていた。もっとも、彼は生れつきの癇癪持ちで、『常軌を逸した突発的な性情』を持っていた。これは、町の判事セミョーン・カチャーリニコフが、ある集会で彼を評した言葉である。
 彼はフロックコートのボタンをきちんとかけ、黒の手袋をはめ、シルハットを手に持って、申し分のない洒落たいでたちで入って来た。つい近頃退職した軍人のよくするように鼻髭だけ蓄えて、頤鬚は今のところ剃り落している。暗色の髪は短く刈り込んで、ちょっと前の方へまつわらしてあった。彼は軍隊式に勢いよく大股に歩いた。一瞬間、彼は閾の上に立ちどまって、一わたり一同を見廻すと、いきなりつかつかと長老を目ざして進んだ、この人がここのあるじだと見分けをつけたのである。彼は長老に向って、深く腰を屈め祝福を乞うた。長老は立ちあがって祝福してやった。ドミートリイはうやうやしくその手を接吻すると、恐ろしく興奮した、というよりいらいらした調子で口をきった。
「どうも長らくお待たせして相すみません、ご寛容をねがいます。父の使いでまいりました下男のスメルジャコフに、時間のことを念を押して訊ねましたところ、きっぱりした調子で、一時だと、二度まで答えましたので……ところが今はじめて……」
「心配なさることはありません」と長老は遮った。「かまいません、ちょっと遅刻されただけで、大したことはありませんじゃ……」
「実に恐縮のいたりです。あなたのお優しいお心として、そうあろうとは存じていましたが。」
 こうぶち切るように言って、ドミートリイはいま一ど会釈をした。それから急に父のほうを向いて、同じようなうやうやしい低い会釈をした。思うに、彼は前からこの会釈のことをいろいろと考えた挙句、この方法で自分の敬意と善良な意志を示すのが義務だと決したのであろう。フョードルはふいを打たれてちょっとまでついたが、すぐに自己一流の逃げ路を案出した。ドミートリイの会釈に対して、彼は椅子から立ちあがりさま、同じような低い会釈をもって報いた。その顔は急にものものしくしかつめらしくなったが、それがまた、かえって非常にどくどくしい陰を添えるのであった。それからドミートリイは無言のまま、部屋の中の一同に会釈を一つして、例の勢いのいい歩き振りで大股に窓のほうへ近寄り、パイーシイの傍にたった一つ残っていた椅子に腰をおろし、すっかり体を乗り出すようにして、自分が遮った会話のつづきを聞く身構えをした。
 ドミートリイの出席は僅かに二分かそこいらしかかからなかったので、会話はすぐにつづけられねばならぬはずであった。ところが、パイーシイの執拗な、ほとんどいらいらした質問に対して、ミウーソフはもはや返事をする必要を認めなかった。
「どうかこの話はやめにさしていただきたいもんですね」と彼は世間馴れた無造作な調子で言った。「それになかなか厄介な問題ですからね。ご覧なさい。イヴァン君があなたを見てにやにやしておられるから、きっとこの問題に関しても何か面白い説があるんでしょう。この人に訊いてご覧なさい。」
「なに、ちょっとした感想のほか何も変ったことはないですよ」とイヴァンはすぐ答えた。「一般にヨーロッパの自由主義、――ばかりでなく、ロシヤの自由主義ディレッタンティズムまでが、ずいぶん以前から、社会主義の結果とキリスト教の結果とをしばしば混同しています。こうした奇怪千万な論断は、もちろん、彼らの特性を暴露するものでありますが、しかしお話によると、社会主義キリスト教を混同するのは、単に自由主義者ディレッタントばかりでなく、多くの場合、憲兵もその仲間に入るようです。もっとも外国の憲兵にかぎることはもちろんですが……ミウーソフさん、あなたのパリの逸話は非常に興味がありますよ。」
「全体として、この問題はもうやめていただきたいですね」とミウーソフは言った。「その代り、僕は当のイヴァン君に関するきわめて興味に富んだ特性的な逸話を、もう一つお話ししましょう。つい五日ばかり前のことでした。当地の婦人が集ったある席で、イヴァン君は堂々たる態度で次のような議論を吐かれたのです。すなわち、地球上には人間同士の愛をしいるようなものは決してない。人類を愛すべしという法則は、ぜんぜん存在していない。もしこれまで地上に愛があったとすれば、それは人が自分の不死を信じていたからだ、というのであります。その際、イヴァン君はちょっと括弧の中に挾んだような形で、こういうことをつけたされました。つまり、この申に自然の法則が全部ふくまれているので、人類から不死の信仰を滅したならば、人類の愛がただちに枯死してしまうのみならず、この世の生活をつづけて行くために必要な、あらゆる生命力をなくしてしまう。そればかりか、その時は非道徳的なものは少しもなくなって、すべてのことが許される、人肉嗜食《アンスロポファジイ》さえ許されるようになるとのことです。おまけに、そればかりでなく、今日のわれわれのように、神も不死も信じない各個人にとって、自然の道徳律が宗教的なものとぜんぜん正反対になり、悪行と言い得るほどの利己主義が許されるのみならず、かえってそういう状態において避けることのできない、最も合理的な、高尚な行為として認められざるを得ない、という断定をもって論を結ばれたのであります。皆さん、この愛すべき奇矯な逆説家イヴァン君の唱道され、かつ唱道せんとしていられるその他のすべての議論は、かようなパラドックスから推して想像するにかたくないではありませんか。」
「失礼ですが」と突然ドミートリイが叫んだ。「聞き違えのないように伺っておきましょう。『無神論者の立場から見ると、悪行は単に許されるばかりでなく、かえって最も必要な、最も賢い行為と認められる!』とこういうのですか?」
「確かにそうです」とパイーシイが言った。
「覚えておきましょう。」
 こう言うとすぐ、ドミートリイは黙り込んでしまった。それは話に口を入れた時と同じように突然であった。一同は好奇のまなこを彼に注いだ。
「あなたは本当に人間が霊魂不滅の信仰を失ったら、そのような結果が生じるものと確信しておいでかな?」だしぬけに長老がイヴァンに問いかけた。
「ええ、僕はそう断言しました。もし不死がなければ善行もありません。」
「もしそう信じておられるなら、あなたは仕合せな人か、それともまた恐ろしく不仕合せな人かどっちかじゃ!」
「なぜ不仕合せなのです?」イヴァンは薄笑いをした。
「なぜというに、あなたはどうやら自分の霊魂の不滅も、自分で教会や教会問題について書かれたことも、どちらも信じていられぬらしいからな。」
「あるいはおっしゃるとおりかもしれません!………しかしそれでも、僕はまるっきりふざけたわけじゃないので……」とイヴァンはふいに奇妙な調子で白状したが、その顔はさっと赧くなった。