京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P110-113   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦47日目]

間てやつは自分の痛いことばかり話したがるものだよ。いいかい、今度こそ本当に用談に取りかかるぜ。」

   第四 熱烈なる心の懺悔―思い出

「おれはあっちにいる頃、ずいぶん放埒をつくしたものだ。さっき親父がおれのことを、良家の令嬢を誘惑するために、一時に何千という金をつかったと言ったが、あれは豚の空想で、決してそんなことはありゃしない。よしあったとしても、『あのこと』のために金がいったわけじゃないよ。金はおれにとってただの付属品だ、心の熱だ、装飾品だ、それで、きょう立派な婦人がおれの恋人になってるかと思うと、明日はもう辻君がその代りになっているというふうだ。ところで、おれは両方とも面白く浮き立たしてやる。金は一握りずつ抛げてやって、楽隊を呼んだりジプシイ女を集めたりして、馬鹿さわぎをやらかすのだ、必要があれば、そんな連中にも金をやる。すると、取るわ取るわ、気ちがいのようになって取る、これはおれも認めなくちゃならない。しかも、みな満足してお礼を言うよ。身分のある奥さんたちもおれを好いてくれた。もっとも、誰でもというわけじゃないが、そんなこともあった、しょっちゅうあった。しかし、おれはいつも露地の奥が好きだった。広場の裏にある、暗い、陰気な曲りくねった裏通りが好きだった、――そこには冒険がある、そこには意外な出来事がある、そこには泥の中に隠れた荒金《あらがね》がある、アリョーシャ、おれが言うのは譬喩だよ、あの町には本当の露地はなかった、ただ精神的なのがあったばかりだ。しかし、お前がおれのような人間だったら、この露地の意味がわかるんだがなあ。とにかく、おれは放埒を愛した、そして放埒の恥辱をも愛した、それから残忍なことも愛した、――これでもおれは南京虫でないだろうか、意地わるい虫けらでないだろうか? すでに定評あり、――カラマーゾフだもの! あるとき町じゅう総出のピクニックがあって、七台の三頭立橇《トロイカ》で押し出した。冬のことだった、橇のくら闇の中で、おれは隣席の娘の手を握り始めて、とうとうこの娘を接吻というところまでおびき出してしまった。それは優しい、しおらしい、無口なおとなしい官吏の娘だったが、とうとうおれに許したのだ。闇の中とていろんなことを許してくれたのだ。可哀そうに、この娘は明日にもおれが出かけて行って、結婚を申し込むものと思ったのさ(実際、おれはおもに花婿として値うちがあったんだからね)。ところが、おれはその後、娘に一口もものを言わなかった。五カ月のあいだ半口もものを言わなかった。よく舞踏会などの時(あの町ではやたらに舞踏ばかりしてるのさ)、その娘の目が広間の隅からじいっとおれのあとを追いながら、しおらしい憤懣の火に燃え立っているのを、よく見受けたものだ。こうした遊戯は、おれが自分の体内で養っている虫けらの卑しい欲情を慰めたのだ。五カ月たって、その娘はある官吏の嫁になって町を去った……おれに対して腹を立てながら、それでもやはり愛情をいだいたままでね……今この夫婦は幸福に暮している。ここで注意してもらいたいのは、おれがこのことを誰にも言わないで、娘の顔に泥を塗るようなことをしなかった、という点だ。おれは汚い欲望をいだいて、卑劣な行為を愛するけれど、決して卑怯な真似はしない。お前赧くなったね、目がぎらぎら光りだしたぞ。お前を相手にこんな汚い話はもうたくさんだ。しかし、いま話したのはあれだけのことだ、ポール・ド・コック式のお愛嬌だ。もっとも、この時分から、例の残忍な虫けらはもう頭を持ちあげて、魂の中へ拡がり始めてはいたがね……いや、実際あの当時の追憶で、一冊のアルバムができるくらいだよ。ああ、神様、あの可愛い娘たちに健康を授けてやって下さいまし。ところで、おれは別れる時に喧嘩をするのが嫌いだった。そして、一度も明るみへ出したこともなければ、相手の顔に泥を塗ったこともない。しかし、もうたくさんだ。だが、お前はおれがこんな馬鹿な聒をするために、わざわざお前をここへ呼んだと思うのかい? どうしてどうして、もっと興味のある話をして聞かせるよ。しかし、おれがお前に対して恥しそうなふうもなく、かえって得意な顔をしてると思って、あきれないでおくれよ。」
「兄さんは僕が報い顔をしたから、そんなことを言うのでしょう。」急にアリョーシャが口をいれた。「僕が報い顔をしたのは、兄さんの話のためでもなければ、兄さんのしたことのためでもありません。つまり、僕も兄さんと同じような人間だからです。」
「お前が? それは少し薬が強すぎるぞ。」
「いいえ、強すぎやしません」とアリョーシャは熱くなって言いだした。見受けたところ、この思想はもうだいぶ前から、彼の心中に巣食っていたらしい。「誰だって同じ階段に立っているのです。ただ僕が一等下の段にいるとすれば、兄さんはどこか上のほう、三十段目くらいの辺に立ってるのです。僕はこういうふうにこの問題を眺めています。しかし、それは五十歩百歩で、つまるところ、同性質のものなんです。一ばん下の段へ踏み込んだものは、いずれ必ず一ばん上まで登って行きますよ。」
「じゃ、初めから、踏み込まないのだね?」
「できるなら、初めから踏み込まないがいいのです。」
「お前はできるかい?」
「駄目なようです。」
「言うな、アリョーシャ、言うな。おれはお前の手が接吻したくなった。つまり、感激のあまりにさ。あのグルーシェンカの悪党は人間学の大家だよ。あの女はいつか必ずお前を擒にして見せるって、おれにそう言ったことがある! いや、言うまい、言うまい、いよいよこれから汚い話をやめて、蠅の糞で汚れた部屋から、おれの悲劇へ移ることにしよう。とはいうものの、これもやはり蠅の糞で汚れた部屋だ、つまり、ありったけの卑劣に充された話なのだ。実のところ、さっき親父が無垢の乙女を誘惑する、とか何とかでたらめを言ったけれど、本当におれの悲劇の中には、そいつがあるんだ。もっとも、実際において成立はしなかったがな、親父にいたってはでたらめにおれを攻撃したので、この秘密は知らないんだ。おれは今まで誰にも話したことがない。今お前に言い初めなのだ。しかし、もちろんイヴァンは別だよ。イヴァンはすっかり知ってる。お前よりかずっと以前に知ってるのだ。が、イヴァンは、――墓だね(無口の人)。」
「イヴァンが墓ですって?」
「ああ。」
 アリョーシャは異常な注意をもって耳を傾けた。
「おれはその大隊で見習士官として勤務してはいたものの、まるで何か流刑囚みたいに、監視を受けてると同じありさまだった。しかし、町の人は恐ろしく優遇してくれた。おれの金づかいが荒かったもんだから、みんなおれを財産家だと思ってたし、おれ自身もそれを信じていた。しかしそれ以外にも、何か町の人の気に入るようなところがあったに違いない。みんな妙に首をひねって見ていたが、可愛がってくれたのも事実だ。ところが、大隊長――中佐のおやじは馬鹿におれを嫌って、よく突っかかりそうにしたけれど、おれにも手があるし、町の人がみんなおれの味方なので、あまり強く突っかかるわけにゆかなかったのさ。もっとも、おれのほうでも悪かった、わざと相当の尊敬をはらわなかったんだからなあ。つまり、鼻っ柱が強かったのさ。この中佐は頑固ではあったが、まったくのところ、あまり悪い人間でないどころか、この上もなく人のいい客ずきな爺さんだった。この人は二度結婚したが、二度とも死なれてしまった。先妻のほうは何か平民の生れだったそうだが、その忘れがたみもやはり素朴だった、おれがその町にいた頃は、もう二十四五の薹の立った娘で、父親と亡くなった母方の伯母と三人で暮していた。この伯母さんは無口で素朴なたちだったが、姪のほうは、中佐の姉娘の方は、はきはきして素朴な人だった。元来おれは過去を追想する時、人のことを悪く言うのが嫌いなたちだが、この娘ほど美しい性質の女をほかに見たことがないよ。その娘はアガーフィヤというんだ。いいかい、アガーフィヤ・イヴァーノヴナというんだ。それに顔もロシヤ趣味で悪いほうじゃなかった、――背の高い、よく肥った、目つきのいい女で、顔こそ少し下品だったかもしらんが、なかなかいい目をしていたよ。二度ほど縁談があっだけれど、断わってしまって、嫁入りしようともしないんだ。そのくせ、いつも快活な気分を失わないでいたよ。
 おれはこの娘と仲よしになっちゃった、――と言っても、『ああしたふうの』仲よしじゃない。どうしてどうして、純潔なもので、いわば親友のような工合だった。実際、おれはよくいろんな婦人と完全に無垢な、親友みたいな交際をしたものだよ。で、その娘を相手に恐ろしい露骨な、それこそあきれ返るようなことを喋り散らしたけれど、娘はただ笑っているじゃないか。それに、大抵の女は露骨な話を好くものだよ、覚えとくがいい。ところが、このアガーフィヤは生娘なので、よけいおれは面白かったわけなのさ。それからまだこういう特色がある。その娘はどうしたってお嬢さんと呼ぶわけにはいかないのだ。なぜって、いつも好きこのんで自分をおとすようにしながら、父親や伯母と一緒に暮して、交際社会でほかの人と肩を並べようとしたことがない。それに仕立のほうで立派な腕を持っていたから、皆からちやほやされて重宝がられていた。実際、腕ききであったが、ただ優しい気立てからしてやることなので、仕事賃など請求したことはない。しかし、やろうと言われれば辞退はしないんだ。中佐のほうにいたっては、なかなかそんなことはない! 中佐はその小さな町では第一流の名士の一人なんだ。ずいぶん手広く交際していたから、町じゅうのものを招待して、晩餐会や舞踏会を催していた。ちょうどおれがこの町へ着いて大隊へ入った時、近いうちに中佐の二番娘がやって来るというので、町しゅうその話で持ちきっていた。それは美人の中での美人で、こんど都のさる貴族的な専門学校を卒業したんだそうだ。これがあのカチェリーナ・イヴァーノヴナ、つまり中佐の後妻にできた娘なのだ。もう故人になっていたこの後妻は、ある名門の将軍家を出た人だけれど、おれの確かに聞いたところでは、少しも持参金を持って来なかったそうだ。とにかく、いい親類を持っているのだから、さきになって何か希望はあるだろうが、現金というものは少しもなかったのだ。しかし、その令嬢が帰って来たとき(ただし永久にというわけでなく、ほんの当分逗留して行くつもりだったのだ)、町じゅうはまるで面目を一新したような工合だった。第一流の貴婦人たち、――将軍夫人が二人に大佐夫人が一人、それに猫も杓子もその後について奔走しだした。どうかして令嬢を娯しませようというので、四方から引っ張り凧だ。令嬢はたちまち舞踏会やピクニックの女王となってしまった。何か家庭女教師の扶助だとかいって、活人画の催しまであった。おれは黙って遊んでいた。ちょうどおれはその時分、町じゅうが湧き立つほど乱暴なことをやっつけたんだ。何でも一度その令嬢がおれをじろっと見たことがある。それはある中隊長のところだったっけ。しかし、おれはそばへ寄らなかった。お前さんなどと近づきにならなくたっていいよ、という腹なんだね。おれが令嬢のそばへ寄ったのは、それからだいぶ後のある夜会の席だった。ちょっと話しかけてみたんだけれど、ろくろく目もくれないで、人を小馬鹿にしたように口を結んでるじゃないか。よし待ってろ、仇を討ってやるぞ! とおれは腹の中で思ったよ。おれはそのころ大抵の場合おそろしい無作法者だった。それは自分でも感じていた。しかし、そんなことよりも、『カーチェンカ(カチェリーナの侮蔑的称呼)』は決して無邪気な女学生というタイプでなく、しっかりした気性の、ほこりの強い心底から徳の高い、知恵も、教育もある淑女だが、おれにはそいつが両方ともない、とこんなことをしみじみ感じたのさ。
 お前は、おれが結婚でも申し込んだと思うかい? 決して、そんなことはない。ただ、仇が討ちたかったのだ。おれはこんな好漢《いいおとこ》なのに、あいつはそれ認めてくれない、という腹なのさ。しかし、当分の間は遊興と馬鹿さわぎで持ちきっていた。で、とうとう中佐はおれに三日間、謹慎を命じたくらいだ。ちょうどこの時分、親父が六千ルーブリの金を送ってくれた。それはおれが正式の絶縁状を送って、もう今後びた一文請求しないから、綺麗さっぱりと勘定をすましてくれ、と言ってやった結果なんだ。当時、おれは何にも知らなかったのだ。おれはここへ来るまで、いや、つい五六日前まで、というよりむしろ今日の日まで、親父との金銭関係がどんなになってるか、少しも知らなかったんだよ。しかし、こんなことはどうだってかまやしない、あと廻しだ。ところが、六千ルーブリを受け取ってから間もなく、おれは突然ある友達からもらった手紙で、自分にとってこの上もない興味のある事実を知った。ほかでもない、おれたちの長官たる中佐が公務怠慢の疑いで、不興を蒙ったということだ。つまり、反対派のやつらが陥穽を設けたんだよ。で、直接師団長がやって来て、こっぴどく油を搾ったそうだ。それからしばらくたって、退役願いを出せという命令が出た。まあ、こんなことをくだくだしく話すのはやめようが、実際この人には敵があったのだ。とにかく、当の中佐とその一門に対する町の人気が、急に冷めちまって、まるで潮が退いたような工合なのさ。この時だ、おれのいたずらが始まったのは。折ふしアガーフィヤ、――いつも親交をつづけている姉娘に出会ったので、こう言ってやった。
『あなたのお父さんは、官金を四千五百ルーブリなくしました