京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『ドストエーフスキイ全集6 罪と罰』(1969年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP097-P120

ったか?」
 ラヴィーザ・イヴァーノヴナは、気ぜわしない愛嬌《あいきょう》をふりまき、四方八方へ小腰をかがめながら、戸口まであとずさりして行った。ところが、ドアのところで、あけっ放しのすがすがしい顔に、ふさふさとしたみごとな亜麻色のほおひげをはやした、ひとりのりっぱな警察官に、しりをぶっつけた。それは署長のニコジーム・フォミッチその人たった。ルイザ・イヴァーノヴナはあわてて床につくほど低く会釈《えしゃく》し、小またにちょこちょこと飛びあがるようにしながら、事務所からかけだして行った。
「またぞろ大轟音、雷鳴、いなずま、たつまき、颶風《ぐふう》というわけですな!」とあいそのいい親しげな調子で、ニコジーム・フォミッチは副署長に向かってこういった。「またかんしゃくを起こして、自分で心臓を悪くしたんですな! 階段のところまで聞こえましたよ」
「いや、なに!」とおうように、無造作な調子で副署長はいった。(「なに」とさえはっきりいわず「や、なあん!」といったようなふうに聞こえた)そして、何かの書類を持って、ほかのテーブルへ移りながら、一歩ごとに気どったかっこうで肩をゆすって行った。一足まえへ出すと、肩がいっしょに ついて出るので。「これです、ごらんください――この著述家先生、いや、違った。大学生、といって、もとの大学生がですね、金を払わん代りに手形をむやみと出して、部屋はあけんというわけで、当人にたいしてのべつ訴えがくるんですよ。それでいて、わたしが先生の前でたばこを吸ったからといって、ご憤慨あそばすんですよ! 自分は、ひ、卑劣《ひれつ》きわまるまねをしながら、どうです、やつを見てやってください、あのとおり、すてきなかっこうをしているじゃありませんか!」
「貧は不善にあらずさ、きみ。いやどうもしかたがないて!きみは[#「いて!きみは」はママ]有名な火薬なんだから、侮辱《ぶじょく》を忍ぶことはできなかったでしょうよ。しかし、きみもきっと何かこの人に腹を立てて、がまんがしきれなかったんでしょう」とニコジーム・フォミッチは、あいそよくラスコーリニコフのほうへふり向きながら、言葉をつづけた。「しかし、それはまちがいですよ、きみ――この人はじ―つ―に高潔な男です。それはわたしが誓います。ただ火薬なんです! かんしゃくもちなんです!ぱっと[#「です!ぱっと」爆発して、ぐらぐらとわき立って、燃えてしまうと――それでおしまいなんです! それで何もかもすんでしまって、けっきょく、黄金のごとき心だけが残るんです! この人は連隊時代にも、『火薬中尉』とあだ名されていたんですからなあ……」
「しかもその連隊ときたら!」と副署長は署長にうまくくすぐられたので大|恐悦《きょうえつ》のくせに、まだふくれつらをしながら叫んだ。
 ラスコーリニコフはとつぜんみんなに、何かうんと愉快なことをいってやりたくなった。
「いや、とんでもない、署長」ふいに彼はニコジーム・フォミッチのほうへふり向きながら、恐ろしくくだけた調子でいいだした。「ぼくの身にもなってみてください……もし何かぼくのほうに失礼なことがあったら、ぼくはあの人に謝罪してもいいと思ってくるらいです。ぼくは貧しい病身な学生です。貧乏にへしつけられた(彼はまったく「へしつけられた」といったのである)男です。ぼくはもとの大学生です。つまり学資がないからです。でも、金は来ます……ぼくには母と妹が××県におりまして……それが送金してくれるはずです。そしたらぼく……返済します。うちの主婦《かみ》さんはいい人なんですが、ぼくが出げいこの口をなくして、四月ごし払いをしないので、かんかんにおこってしまって、食事もよこしてくれないようになりました……それから、手形がどうとかいうんですが、ぼくにはさっぱりわけがわかりません! いま主婦《かみ》さんはこの借用証書でぼくに請求してるんです。しかし、今のところ、どうして払えましょう、ご賢察を願います……!」
「だが、そんな話はこっちの知ったことじゃない……」とまた事務官が注意しようとした……
「ちょっと、ちょっと、それはそうですが、ぼくにも釈明さしてください」とラスコーリニコフはまた言葉じりをおさえて、事務官ではなく、依然としてニコジーム・フォミッチを相手にしながらそういったが、同時に、副署長にも話しかけるようにしようと、一生けんめいに努力するのであった。ところが、こちらは書類をかきまわして、お前などには注意も向けてやらないぞとばかり、軽蔑の態度を見せていた。「まあ、ぼくにもこんどは事情を述べさせてください。ぼくはあの女のところに、もうかれこれ三年も暮らしているんです。国を出てここへ着くとすぐにずっと。そして以前……以前……いや、ぼくのほうでもすっかり白状してしまったってかまわないでしょう。ぼくは最初から、主婦《かみ》さんの娘と結婚しようと約束したんです。もっとも、それはぜんぜん自由な口約束だったんですが……その娘は……もっとも、ぼくはその娘が気に入ってたくらいなんです……もっとも、ほれていたわけじゃありませんが……一口にいえば、若かったんですね。いや、つまり、ぼくがいいたいのはこうなんです。主婦《かみ》さんはそのために、当時多額に信用貸しをしてくれたので、ぼくも多少その、気楽な暮らしをしていました……ぼくはじつに軽はずみだったんです……」
「われわれはそんな立ち入ったうち明け話を、きみから要求してるんじゃない。それに暇もない」と副署長はいけぞんざいな調子で、いたけだかにさえぎろうとしたが、ラスコーリニコフは、熱くなってそれをおさえた。もっとも、急に口をきくのが、たまらないほど苦しくなったのだけれど……
「いや、失礼ですが、失礼ですが、多少なりと完全に釈明《しゃくめい》さしてください……どういう事情でこうなったか……ぼくのほうでも……もっとも……こんなことをしゃべるのはよけいなことでしょう、そりゃおっしゃるとおりですが――しかし、ともあれ、その娘は一年前にチフスで死んでしまったけれど、ぼくはやはり下宿人として残っていました。今の住まいへ移ったときに、主婦《かみ》さんはこういいました……しかも、へだてのない態度でいったのです……わたしはあなたを十分信用しています、云々《うんぬん》……だが今まであなたに貸してあげた百十五ルーブリにたいして、借用証書を一本いれてもらえますまいか、とこうなんです。まあ、聞いてください――主婦《かみ》さんはまったくこういったのです――あなたが証書を入れてさえくだされば、今後またいくらでも立て替えてあげます。それから自分のほうとしては、けっして――これは主婦《かみ》さんの言葉そのままです――あなたが自分で払うまで、この証書にものをいわすようなことはしませんって……それをどうです、いまぼくが家庭教師の口をなくして、食うものもなくているときに、こんな告訴をするなんて……これでぼく、なんといったらいいんです?」
「そんな感傷的な事情なんか、きみ、われわれには関係のないことですよ」と副署長は横柄《おうへい》にさえぎった。「きみは答弁を書いて、宣誓をしなくちゃならん。きみがだれかに、おほれあそばしたとか、そんな愁嘆話《しゅうたんばなし》なんか、われわれになんの関係もありゃしない」
「いや、どうもきみは……ちときつすぎるよ……」とニコジーム・フォミッチはテーブルについて、同じく書類のサインを始めながら、こうつぶやいた。なんとなくきまりがわるくなったのである。
「さあ、書きなさい」と事務官はラスコーリニコフにいった。
「何を書くんです?」と彼はなんだか、かくべつぞんざいに問いかえした。
「わたしがいま口授します」
 ラスコーリニコフは、今のうち明け話をしてから、事務官が自分にたいして前よりむとんじゃくに、横柄になったような気がした――けれど、ふしぎなことには――彼自身もとつぜん、だれがなんと思おうと同じことだ、という気持ちになった。この変化はじつに一瞬の間に、一せつなに生じたことである。もし彼がちょっとでも、ものを考える気になったら、つい一分前に、どうして彼らとあんな話をしたうえ、自分の感情まで押し売りする気になったかと、むろん驚きあきれたにちがいない。それに、いったいどこからあんな感情がわいてきたのだろう? ところが、今はその反対に、もしこの部屋が急に警察官でなく、最も親しい友人でいっぱいになったとしても、彼は自分の親友のために、何ひとつ人間的な言葉を考えつくこともできなかったろう。それほど彼の心は急にがらんとしてしまったのである。悩ましい無限の孤独感と暗い逃避の念が、とつぜん意識的に彼の心に現われてきた。彼の心をかくも急に転向させたのは、副署長を相手にしたうち明け話の陋劣《ろうれつ》さでもなければ、また彼にたいする警部の勝利の下劣さでもない。ああ、いま彼にとって自分の卑劣さや、およそこういった連中の自尊心や、警部やドイツ女たちや、告訴や、警察や、そんなものになんのかかわりがあろう! 彼はよしこの瞬間、火あぶりを宣告されたにしろ、びくともしなかったに相違ない。おそらく宣告さえも注意して聞かなかったろう。彼の内部には何かしらまったく覚えのない、新しい、思いがけない、かつてためしのないあるものが成就《じょうじゅ》したのである。彼はそれを了解したというよりも、感覚の持ちうるありたけの力で感じたのである――さっきのような、感傷的な、長たらしい、ぐちまじりのうち明け話はもちろんのこと、どんな話であろうと、もはやこれ以上区警察署で、この連中に話しかけてはいけないのだということを、はっきり感じたのである。これがたとい、みんな警察官でなく兄弟姉妹であるにしても、今後|生涯《しょうがい》のいかなる場合においても、彼らに話しかける必要はないのだ。彼はこの瞬間までかつて一度も、こうした奇怪な恐ろしい感じを経験したことがなかった。そして、彼にとって何より苦しかったのは、これが意識とか観念とかいうよりも、むしろ感触だった一事である。それは、今までの生活で経験したあらゆる感触の中で最も端的な、最も悩ましい感触だった。
 事務官は、こういう場合の答弁にありふれた書式を、彼に口授し始めた。つまり、即刻返済しかねるから、いついつまでには(あるいはそのうちいつか)支払う、当市からは離れない、所有品を売却したり、人に贈与《ぞうよ》したりしない、等々である。
「おや、あなたは字が書けないんですね、ペンが手から落ちそうですよ」と事務官は、ふしぎそうにラスコーリニコフに見いりながら、こう注意した。「病気なんですか?」
「そうです……頭がぐらぐらして……さあ、先をいってください!」
「いや、それだけです。署名なさい」
 事務官は紙を取り上げて、ほかの仕事にかかった。
 ラスコーリニコフはペンを返したが、立ちあがって出て行こうともせず、両ひじをテーブルの上について、両手で頭をひっつかんだ。まるで脳天へくぎでも打ち込まれているような感じだった。奇怪な想念が、とつじょとして彼の頭にわいた。ほかでもない。これからすぐ立ちあがって、ニコジーム・フォミッチのそばへ行き、昨日の事も細大もらさずくわしく話したうえ、それから家へいっしょに案内して行って、すみっこの穴に隠してある品々を見せてやりたくなったのである。この衝動はきわめて強烈なもので、彼はそれを実行するために、ほんとうに腰を持ち上げたほどである。
『しかし、たとい一分間でも、よく考えたほうがいいのじゃなかろうか?』こういう考えが彼の頭にひらめいた。『いやなんにも考えないで、ひと思いに肩の荷をおろしたほうがいい!』けれどふいに、彼はくぎづけにされたように立ちどまった。ニコジーム・フォミッチが何やら熱くなって副署長に話している、その言葉が彼の耳にまではいってきたのである。
「そんなことはあるはずがない、ふたりとも放免になるさ!第一[#「るさ!第一」はママ]、何もかも矛盾《むじゅん》してるじゃないか。考えてみたまえ――もしこれが彼らの仕業なら、なんのために庭番を呼ぶ必要があるのだ? 自分で自分を告発するためとでもいうのかね?ある[#「かね?ある」はママ]いは瞞着《まんちゃく》手段なのか? いやそれはあまりたくらみすぎるよ! また最後にこういうことがいえる――大学生のペストリャコフは、ふたりの庭番と町人の女房に、門をはいって行くところを見られたんだぜ。この男は三人の友だちといっしょに来て、門のところで別れたんだが、まだ友だちのいる前で庭番に住まいをたずねたということだ。ねえ、もしそんな計画をいだいて来たものなら、まさか住まいをたずねもしなかろうじゃないか? またコッホのほうだが、これはばあさんのところへ行く前に、階下《した》の銀細工屋に三十分もすわり込んで、かっきり八時十五分前に、そこからばあさんのところへ昇って行ったんだ。そこで考えてみたまえ……」
「しかし、失礼ですが、どうして彼らのいうことにあんな矛盾が生じたんでしょう? はじめは自分たちがたたいたとき、ドアはしまっていたと、自分で断言してるでしょう。それが、わずか三分たって、庭番といっしょに来たときには、ドアがあいていたなんて?」
「そこのところにいわくがあるのさ。犯人はきっと中にいて、せんをさしていたんだ。だから、もしコッホがばかなまねさえしなけりゃ――自分で庭番を呼びに行ったりしなかったら、きっとその場でつかまってしまったに相違ない。つまりやつ[#「やつ」に傍点]はそのわずかなすきに、うまく階段をおりて、どうかして皆のそばをすりぬけたのだ。コッホのやつ両手で十字を切りながら、『もしわたしがそこに残っていたら、やつはいきなり飛び出して来て、きっとわたしをおので殺してしまったにちがいありません』といってやがる。ロシヤ式の感謝|祈禱《きとう》でもやりかねない勢いだぜ――は、は……」
「だが、だれも犯人を見たものはないじゃありませんか?」
「どうして見られるもんですかね? あの家はノアのはこぶねですからな」自席から耳を傾けていた事務官が、こう口をはさんだ。
「事件は明瞭《めいりょう》だ、すこぶる明瞭だ!」とニコジーム・フォミッチは熱心にくりかえした。
「いや、きわめて不明瞭ですよ」と、副署長はくぎをさした。
 ラスコーリニコフは帽子をとって、ドアのほうへ歩きだした。が、彼は戸口まで行きつかなかった……
 気がつくと、彼はいすに腰をかけて、右のほうからひとりの男にささえられているのに気がついた。左のほうにはもうひとりの男が、黄いろい液をみたした黄いろいコッフを持って立っていた。ニコジーム・フォミッチは彼の前に突っ立って、じっと彼を見つめている。彼はいすから立ちあがった。
「これはどうしたことです、病気なんですかね?」かなりきっとした口調《くちょう》で、ニコジーム・フォミッチはたずねた。
「この人は署名するときにも、やっとのことでペンを動かしていたほどですからね」と事務官は自席に着いて、また書類にとりかかりながらいった。
「もう前から病気なのかね?」と副署長も同じように書類をくりながら、自席からどなった。
 もちろん彼も、ラスコーリニコフが気絶している間は、やはり病人を観察していたのだが、正気にかえると、すぐそばを離れたのである。
「昨日から……」とラスコーリニコフはつぶやくように答えた。
「きのう外出しましたか?」
「しました」
「病気なのに?」
「病気なのに」
「何時ごろ?」
「晩の七時すぎです」
「そしてどこへ、失礼ながら?」
「通りへ」
「簡単明瞭だね」
 ラスコーリニコフは布《ぬの》のような真青《まっさお》な顔をして、その黒い燃えるようなひとみを副署長の視線から放さず、ちぎれちぎれな声でするどく答えた。
「この人は立ってるのもやっとなんだよ、それをきみは……」とニコジーム・フォミッチはいった。
「いや、ベ―つ―に」と副署長は何かこう[#「こう」に傍点]とくべつな語調でいった。
 ニコジーム・フォミッチは、まだ何かつけ加えようと思ったが、やはりじっと穴のあくほど彼を見つめている事務官を見ると、口をつぐんでしまった。みな急に黙りこくった。何やら変なぐあいだった。
「いや、よろしい」と副署長は結んだ。「もうお引き止めはせんですよ」
 ラリコーリニコフは外へ出た。あとで急に、がやがやと勢いこんだ会話が始まったのを、彼は聞きわけることができた。なかでも、ニコジーム・フォミッチの疑問を帯びた声が、一ばんよくひびいていた……彼は通りへ出ると、すっかりわれにかえった。
『捜索、捜索、すぐ家宅捜索だ!』と、彼は帰りを急ぎながら、心の中でくりかえした。『あの強盗めら! 疑ってやがるぞ』さきほどの恐怖がまたしても彼の全身を、足の先から頭のてっぺんまで、わしづかみにしてしまった。

      2

「だが、もう家宅捜索をやられてしまってたら? ちょうど家へ帰ってみて、やつらが来ていたら?」
 が、もう自分の部屋《へや》だ。何事もない、だれもいない。だれひとりのぞいて行ったものもない。ナスターシヤさえも手をつけていなかった。それにしても、まあなんということだ?どう[#「とだ?どう」はママ]してさきほどあの品々を、そっくりこの穴にうっちゃって行けたのだろう? 彼は片すみへ飛んで行って、片手を壁紙の下へさし込むと、例の品々をひっぱり出して、それをポケットヘねじ込み始めた。全部で八品あった――耳輪かなにか、そんな物のはいった小ばこが二つ――彼はろくすっぽ見もしなかった――それから小さなかもしか皮のケースが四つと、ただ新聞にくるんだだけの鎖が一本と、ほかにまだなにやら新聞紙にくるんだものがあった。どうやら勲章らしい!………
 彼はこれをすっかりほうぼうのポケットヘ入れた。外套のポケットと、残ったズボンの右ポケットへ、なるべく目立たないようにと苦心しながら納めてしまった。財布もやはりいっしょに取り出した。それから部屋を出たが、こんどはすっかりあけっぴろげにしておいた。
 彼は早いしっかりした足どりで歩いた。全身が打ちひしがれたようになっているのをおぼえたが、意識はちゃんとしていた。彼は追跡を恐れた。三十分後、いや、十五分後に、彼にたいする尾行《びこう》命令が出はしないかと恐れた。したがって、どんなことがあろうとも、それまでに証拠を湮滅《いんめつ》しなければならない。そして、まだいくらかでも気力と判断力の残っているうちに、うまく処理しなければならない――だが、どこへ行ったものだろう?
 それはもうずっと前から決めていたことである。『何もかも堀《ほり》の中へ投げ込んで、証拠を消してしまうんだ。そうすれば万事かたがついてしまう』彼はもうゆうべ熱にうかされながら、幾度か起きあがって出かけようともがいた瞬間に(彼はそれを覚えている)こんなふうに決心したのである。『早く、少しも早くみんな捨ててしまうんだ』けれど捨ててしまうということも、案外なかなかむずかしいとわかった。
 彼はエカチェリーナ運河の河岸《かし》通りを、もう三十分か、あるいはそれ以上もぶらぶらして、幾度か水ぎわへおりる口を見つけて、下をのぞいて見た。ところが、目算を実行するのは、考えも及ばないことだった。あるところでは筏《いかだ》がおり口のすぐそばにあって、その上で洗たくの女たちが肌着類を洗っていたり、あるところではボートがもやってあったりして、どこもかしこも人がうようよしていた。それに、河岸通りからでも、どこからでも見とおしなので、男がわざわざ水ぎわへおりて行って、そこにしばらく立ちどまり、なにやら水の中へほうり込むのに気がついたら、変に思うに相違ない。そのうえ、もしケースが沈まないで、流れ出したらどうする?また[#「する?また」はママ]そうなるにちがいない。すれば、だれの目にだってとまるわけだ。それでなくてさえ、みんな出あいがしらにじろじろ見たり、ふりかえったりするではないか。まるで彼ひとりだけに用でもあるかのようなぐあいだ。『なぜこうなんだろう? それとも、おれにそんな気がするだけなのかしら』と彼は考えた。
 とうとうしまいに、いっそネヴァ河へ行ったほうがよくないかという考えが頭に浮かんだ。あすこなら人通りも少ないし、ここほど目に立たないから、いずれにしても好都合だ、それに一ばんうまいのは、この辺からだいぶ離れていることだ。すると、彼は急にわれながら驚いた――いったいなんのために、こんな危険な場所を、憂愁と不安に悩まされながら、三十分もうろつきまわって、これしきのことをもっと早く思いつけなかったのだろう? こんな無鉄砲な仕事にまるまる三十分もつぶしたのは、要するに、夢の中で熱に浮かされながら決めたことだからである! 彼は恐ろしくぼんやりして、忘れっぽくなっていた。そして、自分でもそれを知っていた。もう断然いそがなければならない!
 彼はV通りをネヴァ河さして歩きだした。けれど途中でふと別な考えがわいてきた! 『なぜネヴァへ行くんだ? なぜ水の中へほうり込むんだ? いっそどこかずっと遠いところ、たとえば島のほうへでも行って、どこかその辺のさびしい場所で――森の中か藪《やぶ》のかげにでもこんな物をすっかり埋めてしまい、立木を目じるしにしておいたほうがよくはないだろうか?』彼はこの瞬間、はっきりした健全な判断力がないのを自覚してはいたものの、この考えは違っていないような気がした。
 とはいえ、島へも行かないですむまわり合わせになっていた。まるで別なふうになってしまったのである。V通りから広場へ出ながら、彼はふと左手にあたって、窓一つない殺風景な壁に取りかこまれた裏庭へはいる口を見つけた。右側には、門をはいるとすぐ庭の奥へかけて、隣の四階家の荒壁がつづいていた。左側には、その荒壁に平行して、同じく門からすぐ板塀《いたべい》になっており、二十歩ばかりも奥へはいると、そこで初めて左へ折れていた。それはまったくがらんとした、外界から隔離された空地で、なにか建築材料などの置き場になっていた。ずっと先の奥のほうには、一見して何かの工事の一部らしい、低いすすけた石造の物置の一角が板塀のかげからのぞいていた。そこはたしか馬車製造所か、鉄工所か、何かそんなふうなものに相違ない。門の入口からそこら一面は石炭のくずで真黒になっていた。『こここそいっさいの物をほうり込んで逃げ出すのにくっきょうなところだ!』という想念がふいに彼の頭に浮かんだ。裏庭には人かげもなかったので、彼はちょろりと門内へすべり込んだ。とすぐ気がついた。門のそばの板塀に沿って樋《とい》が取り付けてある(それは職工や、組合労働者や、つじ馬車屋などのたくさん住んでいる、こんなふうの家によく設けてある種類のものだ)。樋の上の板塀にはこうした場所につきものの落書きがチョークで書いてあった。『ここに立ち止まること無用』(小便無用の意)してみると、ここへはいって立ち止まっていても、なんの嫌疑《けんぎ》もありえないから、むしろ好都合である。『ここでどこかその辺へみんなひとまとめに捨ててしまって、そのまま逃げ出してやれ!』
 いま一度あたりを見まわしてから、彼はもう片手をポケットヘ突っ込んだ。そのとたんに、外側の壁のすぐそばで、やっと一アルシン(七一・一二センチ)ばかりしかない門と樋の間に、大きな割り放しの石が目についた。およそ一プード半(二四・五キログラム)も目方のありそうなもので、通りに面した石壁のすぐわきにあった。この塀《へい》の向こうは往来の歩道で、この辺にいつもかなり多い通行人の、あちこちする足音が聞こえていた。しかし、門外からはだれも彼を見つけることはできないはずである。ただだれか往来からはいって来るときは別問題で、それも大きにありそうなことだ。したがって、急がなければならない。
 彼は石のほうへ身をかがめて、その上の端にしっかり両手を掛け、ありたけの力をしぼって、石をひっくり返した。石の下にはちょっとしたくぼみができていた。彼はすぐポケットから一切がっさい取り出して、その中へほうり込み始めた。財布は一ばん上になったが、それでもくぼみにはまだ余地があった。それから、彼はまた石に手をかけ、ひところがしでもとの側《がわ》へ向けた。石はかっきり元の位置に落ちついた。ただほんの心もち高く思われるくらいのものである。けれど彼は土をかきよせて、まわりを足で踏みつけた。もうなんにも目立たくなった。
 さて彼はそこを出て、広場のほうへ足を向けた。と、またもや、さきほど警察で経験したと同じような、強い堪えがたいほどの喜びが、ほんの一瞬間、彼の全幅を領した。『もうこれでしまつはついた! この石の下をさがそうなんて考えが、いったいだれの頭に浮かぶものか? あの石は家を建てたときのそもそもから、あすこにころがってるんで、これから先も同じくらいの間は、あのままころがっているだろう。よしまた見つけたところで――だれがおれに嫌疑《けんぎ》をかけるものか? もういよいよかたづいた! 証拠がないんじゃないか!』こう考えて、彼は思わず笑い出した。そうだ、彼は後後までも覚えていたが、それは神経的な、はてしのない小刻みな、人には聞こえないほどの笑いかただった。そして広場を通り抜ける間も、ずっと笑いつづけていたのである。が、おととい例の少女に出会ったKブルヴァールヘさしかかったとき、その笑いはぴたり止まった。別な想念が彼の頭に忍び込んできた。あの時かの少女が立ち去ったあとで、彼が腰をかけて、さまざまに思いめぐらしたベンチのそばを通り過ぎるのが、とつぜん恐ろしくいまわしいことに思われたのである。そして、例の二十コペイカくれてやったひげの巡査にもう一ど出会うのも、やはり苦しくてたまらないだろうと思われてきた。『くそ、あんなやつ、勝手にしやがれ!』
 彼はそわそわしたいじわるい目つきで、あたりを見まわしながら歩いた。彼のすべての思考力は、今ある重大な一点の周囲をどうどうめぐりしていた――そしてじっさいそれが非常に重大な点であることを、自分でも感じていた。今という今こそ、彼はこの重大な点に面《めん》とつき合わせた――しかも、それはこの二か月以来はじめてのことだとさえいえる。
『ええ、こんなことみんなどうとでも!』ふいに彼は、はかりがたい憤怒《ふんぬ》の発作《ほっさ》にかられながら考えた。『ふん、始まったことは始まったことにちがいない、あんなばばあや新生活なんか、くくらえだ! ああ、じつになんという愚劣なことか!………おれは今日どれだけうそをついたり、卑劣なまねをしたもんだろう! さっきも、あの胸くそのわるくなるような警部|風情《ふぜい》の鼻息をうかがったり、ごきげんを取ったりしたが、なんという陋劣《ふぜい》なざまだ! もっとも、それだってやはりくだらないことだ! あんなやつらはみんな、つばでもひっかけてやればいいんだ! それから、おれが鼻息をうかがったとか、ごきげんを取ったとかいうことも、やはりご同様だ! そんなことはまるで見当ちがいさ、まるで見当ちがいさ!………』
 とつじょ、彼は歩みを止めた。まるで思いがけない、新しい、しかも、いたって単純な疑問が、一時に彼を真底からまごつかせ、手痛い驚愕《きょうがく》を感じさせたのである。
『もしじっさい、あのことがふらふらした衝動でなく、意識的に行なわれたものとすれば――しんじつ、きさまに一定の確固《かっこ》たる目的があったものとすれば、なぜ今まで財布の中をのぞきもしないで、自分の手に入れたものを知らずにいるのだ。いったいきさまは、なんのためにかほどの苦痛を一身に引き受けたのだ? なんのためにあんな陋劣《ろうれつ》な、けがらわしい、卑しい行為を意識して断行したのだ? きさまはたった今あの財布をほかの品といっしょに(ほかの品だってやはり調べてみやしなかった)、水の中へほうり込もうとしたじゃないか……これはいったい、なんとしたことか?』
 そうだ、そのとおりだ、何もかもそのとおりだ。もっとも、これは彼も前から心づいていることで、けっして新しい疑問ではない。すでに昨夜それを決めた時から、なんの動揺も反問もなく、あたかもそれが当然のことで、ほかにはなんともしようがないかのように、思いこんでいたのである……そうだ、彼はそれを意識していた、何もかもわかっていた。それはきのう彼が、トランクの上にかがみ込んで、ケースなどを引っぱり出していた瞬間から、ほとんどそう決めていたとさえいえる……まったくそのとおりではないか! 『これはつまり、おれがひどい病気にかかっているせいだ』とうとう彼は気むずかしげに断定した。『おれはわれとわが身を苦しめて、へとへとにさいなみながら、自分で自分のしていることがわからないのだ……きのうも、おとといも、いや、ずっとこの間じゅうから、自分で自分をさいなんでいたのだ……健康さえ回復したら……自分で自分を苦しめるようなこともしなくなるだろう……だが、もしまるで回復しなかったら? ああ、もうこんなことつくづくいやになった!………』彼は立ち止まろうともせず、歩きつづけていた。なんとかして気をまぎらしたいと思ったが、どうしたらいいか、どんなことを始めたらいいか、見当がつかなかった。ただどうもこうもならない一つの感触が、ほとんど一刻ましに強く強く、彼の心をとらえていった。それは目に触れる周囲のすべてにたいする、限りない嫌悪《けんお》の情であった。それはほとんど生理的なものといっていいほどで、執拗《しつよう》な、いじわるい、憎しみにみちたものである。彼は行き会うすべての人がいまわしかった。彼らの顔、歩きぶり、挙動までがいまわしかった。もしだれかが話しかけでもしようものなら、彼はいきなりその男につばでも吐きかけるか、かみつきでもしたかもしれない。
 ヴァシーリエフスキイ島にある小ネヴァ河の河岸通りの、とある橋のたもとへ出たときに、彼はとつぜん立ち止まった。『ああ、ここにあの男が住んでいるんだ、この家に』と、彼は考えた。『これはどうしたんだ、どうやらおれは自分から、ラズーミヒンのとこへやって来たらしいぞ! またあのときと同じようなことになっちゃった……だが、なかなかおもしろいぞ――おれはわざわざ自分でやって来たのか、それともただ歩いているうちにここへ出て来たのか? まあ、どうでもいいや。おれは自分でそういったじゃないか……そうだ、おとといのことだ……あれ[#「あれ」はママ]が、あれがすんだらその翌日、やつのところへ出かけようって。なに、ぐずぐずいうことはない、行ってやれ! まるで今はもう、あの男のところへ寄れないかなんぞのようにさ……』
 彼はラズーミヒンの住まいをさして、五階へ上って行った。
 当人は家にいた。ちょうどそのとき自分の小部屋で、何やら書き物をしていたので、自分でドアをあけてくれた。ふたりは四月《よつき》も会わなかったのである。ラズーミヒンは、ぼろぼろになるまで着古した部屋着をまとって、素足に上ぐつを引っかけ、ひげもあたらなければ顔も洗わず、ぼうぼう頭のままでいた。彼の顔には驚きの表情があらわれた。
「きみどうしたんだい?」はいって来た友を、頭からつま先までじろじろ見まわしながら、彼はこう叫んだ。それからしばらく無言の後、ひゅうと口笛を鳴らした。
「いったい、そんなにまでひどいことになっているのかい?いや、きみ、それはわれわれ仲間の上手《うわて》をいってるぜ」ラスコーリニコフのぼろを見まわしながら、彼はいいたした。「さあ、掛けろよ、どうやら疲れているようだね!」そして、こちらが彼自身のよりもっとひどい、油布張りのトルコ式長いすに、どっかりと身を投げ出したとき、ラズーミヒンはふいと客が病気なのに気づいた。「きみはよっぽどからだが悪いらしいぜ、きみ自身でそれを知ってるかい?」
 彼は友の脈を見ようとした。ラスコーリニコフはその手をもぎ放した。
「よせ」と彼はいった。「ぼくが来たのは……こういうわけさ。ぼくはいま家庭教師の口がまるでないんだ……で、なんとかして……もっとも、家庭教師の口なんかちっともほしかないが……」
「おい、きみ、きみはうわ言をいってるんだぞ!」じっと相手を観察していたラズーミヒンは、そう注意した。
「いいや、うわ言なんかいってやしない……」
 ラスコーリニコフは長いすから立ちあがった。彼は、ラズーミヒンのところへ上って来る途中も、この友だちと顔を突き合わさねばならないということを、考えもしなかったのである。ところが、いま彼は一瞬の間に、この場合、世界じゅうのだれであろうとも、人と顔を突き合わすなどという気分にはまるでなっていないのを、実地の経験でさとったのである。体内にありったけのかんしゃくが、むらむらとこみ上げてきた。彼はラズーミヒンの家のしきいをまたいだということだけで、そうした自分自身にたいする腹立たしさのあまり、ほとんどむせかえりそうな気がした。
「失敬!」と彼は出しぬけにいって、戸口のほうへ歩きだした。
「おい、待てよ、きみ、待てというのに、変人だなあ!」
「いいよ……」こちらはまた手を振り放しながら、こうくりかえした。
「ふん、それくらいなら、きさま、なんのためにやって来やがったんだ! 血迷いでもしたのか! だってそれは……ほとんど侮辱じゃないか。ぼくはこのまま帰しゃしないよ」
「じゃ、聞きたまえ――ぼくがきみんとこへ来たのは、つまりきみ以外にぼくを助けて……始めさしてくれる人を、だれも知らないからなんだ……だってきみは世間のだれよりも一ばん善良で、というより一ばん聡明《そうめい》で、ものを判断する力を持っているからさ……けれど今は、なんにもいらないことがわかった、いいかい、まるっきりなんにもいらないんだ、だれの助けもかかわり合いもいらない……ぼくは自分……ひとりで……いやもうたくさんだ! ぼくにかまわないでくれ!」
「まあ、ちょっと待て、この煙突掃除め! まるで気ちがいだ! ぼくのいうことを聞いてから、あとはなんとでも勝手にしろ。じつはね、家庭教師の口はぼくにもない。それに、そんなものくそくらえだ。ところがさ、トルクーチイ(古物市場)の本屋で、ヘルヴィーモフという男がいる。これがまあ一種の口なんだ。今じゃぼくは、商人の家の家庭教師を五つくらい持って来たって、こいつと取っ換えっこしないよ。この男は怪しげな出版をやっていてね、通俗科学の本なんかも出してるんだ――ところが、それがすてきにはけるじゃないか! 標題だけでも大した値うちもんだからね! ほら、きみはいつもぼくをばかにきめていたが、まったくのところ、きみ、ぼくよりももっとばかがいるぜ! 近ごろじゃやっこさん、人なみに傾向がどうとかってなことをいいだしたんだからなあ。自分じゃなんにもわからないくせにさ。だが、ぼくはもちろん大いに奨励してやってるよ。で、ここにドイツ語の原文が三十二ページと少しあるが――ぼくにいわせりゃ、ばかげきった山師論文さ――手っとり早くいえば、女は人間なりやいなやという問題を研究して、最後にはもちろん堂々たる論法で、人間なりと証明しているのさ。ヘルヴィーモフはこいつを婦人問題の本に仕立てようてんで、ぼくが翻訳を引き受けたわけさ。先生この四十ページばかりのしろ物を、百ページくらいに引き伸ばして、ページ半分も埋まるようなでかでかの標題をつけて、五十コペイカで売り出すんだ。それでりっぱに立ち行くんだぜ! ぼくは翻訳料として十六ページ分六ルーブリもらうから、つまり全部で十五ルーブリ手にはいる勘定だが、もう六ルーブリは前借りしちゃった。これがすむとくじら[#「くじら」に傍点]の本の翻訳を始めるんだ。それから『コンフェッション(告白録)』の第二部の中からも、思いきってくだらないむだ話を選り出しておいたから、これもそのうちに訳すわけだ。だれだったかヘルヴィーモフをつかまえて、ルソーは一種のラジーシチェフ(十八世紀末に現われたロシヤの先駆的思想家、農奴制度に世人の注意を喚起した第一人者)だなんていったからさ。ぼくはもちろん、反対なんかしない。あんなやつ、どうだって勝手にしやがれだ!そこ[#「れだ!そこ」はママ]で、きみも『女は人間なりや』の後半の十六ページを訳してみないか? やる気があったら、今すぐテキストを持って行きたまえ、ペンも紙も持って行くがいい、――みんなおあてがいのものだからね――そして、三ルーブリも持ってっていいよ。ぼくは前半の分も、後半の分も、すっかり前借りしちゃったから、三ルーブリは当然きみのものになるわけさ。後半分をすますと、また三ルーブリ受け取れるぜ。ああ、それからね、これはぼくがきみに何か恩でもかけてるなんて、そんなことを考えないでくれよ。それどころか、ぼくはきみがはいって来るが早いか、こいつはぼくにとって、ありがたい人になるなと、心の中で決めたんだよ。第一に、ぼくは正字法が得意でないし、第二には、ドイツ語のほうだって全然へなちょこだから、まあどっちといえば、自分で創作するほうが多くなるんだ。もっともそのほうがかえってよくなるもんだから、それを慰めにしてはいるがね。しかし、ことによったら、よくならないで、悪くなってるかもしれん。そんなことはだれにもわかりっこなしさ……きみ、引き受けるかどうする?」
 ラスコーリニコフは無言のまま、ドイツ語の論文を取り上げ、三ルーブリを手にすると、ひと言も口をきかないで、ぷいと出てしまった。ラズーミヒンはあっけにとられて、その後ろを見送っていた。が、一丁目のところまで来ると、ラスコーリニコフは急に踵《きびす》をかえし、またラズーミヒンのところへ上って行った。そして、ドイツ語のテキストと三ルーブリをテーブルの上へ置くと、またもやひと言も口をきかずに、さっさと出てしまった。
「きみはいったい脳炎でもやってるのかい?」とうとうラズーミヒンは、かんかんにおこりだして、どなりつけた。「なんだってそんな道化芝居を打って見せるんだ! ぼくでさえ面くらわされるじゃないか……それくらいなら、なぜやって来たんだ、畜生!」
「いらない……翻訳なんか……」と、ラスコーリニコフはもう階段をおりながら、こうつぶやいた。
「じゃ、いったいきさまは何がいるんだい?」とラズーミヒンは上からどなった。
 こちらは黙々と階段をおりつづけた。
「おおい! きみはいったいどこにいるんだ!」
 答えはない。
「ちぇっ、そんなら勝手にしやがれ!………」
 しかしラスコーリニコフはもう通りへ出ていた。ニコラエフスキイ橋の上で、きわめて不愉快な一事件のために、彼はもう一度はっきりわれにかえった。ほかでもない、あるほろ馬車の御者が、三度も四度もどなりつけたにかかわらず、彼が危うく馬の首の下へはいって来そうになったので、むちでぴしっと背中をどやしつけたのである。むちの打撃は、彼の心に激しい憤怒《ふんぬ》を呼びおこした。彼は欄干《らんかん》のほうへ飛びのいて(なぜ歩道でなく、車道になっている橋のまん中を歩いていたのか、それはまるでわからない)、憎々しげに歯をくいしばって、きりきりと鳴らした。あたりにはいうまでもなく、どっと笑い声が起こった。
「いい気味だ!」
「どっかのやくざ野郎よ」
「わかりきってらあな、酔っぱらいのまねをして、車の下に敷かれてよ、さあどうしてくれる、ってやつなんさ」
「それが商売なんでさ、お前さん、それが商売なんでさ……」
 けれどそのとき、彼はまだ依然として欄干のそばに立ったまま、背中をさすりながら、しだいに遠ざかって行く馬車の後ろを、無意味な毒々しい目つきで見送っていたが、ふとだれかが手に金をつかませるのに気がついた。見るとそれは頭巾《ずきん》をかぶって山羊《やぎ》皮のくつをはいたもう年ぱいの商家の女房で、そばには帽子をかぶって緑色のパラソルを持った女の子がいた。たぶん娘なのであろう。『取っておくんなさいよ、お前さん、クリストさまのためにね』彼は受け取った。ふたりはそのまま通りすぎた。金は二十コペイカ銀貨だった。身なりと全体の様子で、ふたりは彼をまったくの乞食《こじき》、街頭における本物の袖乞《そでご》いと思いこんだらしい。大枚二十コペイカ奮発したのも、あのむちが女に憐れみの情をおこさせたからにちがいない。
 彼は二十コペイカ銀貨をてのひらに握りしめて、十歩ばかり歩いてから、宮殿の見えるネヴァ河の流れへ顔を向けた。空には一片の雲もなく、水はほとんどコバルト色をしていた。それはネヴァ河としてめずらしいことだった。寺院のドーム(円屋根)はこの橋の上からながめるほど、すなわち礼拝堂まで二十歩ばかりへだてた辺からながめるほど、あざやかな輪郭を見せるところはない。それがいま燦爛《さんらん》たる輝きを放ちながら、澄んだ空気をすかして、その装飾の一つ一つまではっきりと見せていた。むちの痛みはうすらぎ、ラスコーリニコフは打たれたことなどけろりと忘れてしまった。ただ一つ不安な、まだよくはっきりしない想念が、いま彼の心を完全に領したのである。彼はじっと立ったまま、長いあいだひとみをすえて、はるかかなたを見つめていた。ここは彼にとってかくべつなじみの深い場所だった。彼が大学に通っている時分、たいていいつも――といって、おもに帰り途だったがいかれこれ百度ぐらい、ちょうどこの場所に立ち止まって、真《しん》に壮麗なこのパノラマにじっと見入った。そして、そのたびにある一つの漠とした、解釈のできない印象に驚愕《きょうがく》を感じたものである。いつもこの壮麗なパノラマが、なんともいえぬうそ寒さを吹きつけて来るのだった。彼にとっては、このはなやかな画面が、口もなければ耳もないような、一種の鬼気《きき》にみちているのであった……彼はそのつど、われながら、この執拗《しつよう》ななぞめかしい印象に一驚を喫した。そして、自分で自分が信頼できないままに、その解釈を将来へ残しておいた。ところが、いま彼は急にこうした古い疑問と疑惑の念を、くっきりとあざやかに思いおこした。そして、今それを思い出したのも、偶然ではないような気がした。自分が以前と同じこの場所に立ち止まったという、ただその一事だけでも、奇怪なありうべがらざることに思われた。まるで、以前と同じように思索したり、ついさきごろまで興味を持っていたのと同じ題目や光景に、興味を持つことができるものと、心から考えたかのように……彼はほとんどおかしいくらいな気もしたが、同時に痛いほど胸が締めつけられるのであった。どこか深いこの下の水底に、彼の足もとに、こうした過去いっさいが――以前の思想も、以前の問題も、以前のテーマも、以前の印象も、目の前にあるパノラマ全体も、彼自身も、何もかもが見え隠れに現われたように感じられた……彼は自分がどこか高いところへ飛んで行って、凡百《ぼんびゃく》のものがみるみるうちに消えて行くような気がした……彼は思わず無意識に手をちょっと動かしたはずみに、ふとこぶしの中に握りしめていた二十コペイカをてのひらに感じた。彼はこぶしを開いて、じっと銀貨を見つめていたが、大きく手をひと振りして、水の中へ投げ込んでしまった。それから踵《きびす》を転じて、帰途についた。彼はこの瞬間、ナイフかなにかで、自分というものをいっさいの人と物から、ぶっつり切り放したような思いがした。
 彼はもう夕方になって家へたどりついた。してみると、みんなで六時間も歩きまわったわけである。どこをどう歩いて帰って来たのか――彼はさっぱり覚えがなかった。服をぬぐと、へとへとに追い使われた馬のように、全身をわなわなふるわせながら、長いすの上へ横になって、外套を引っかぶると、たちまちなんにもわからなくなった。
 たそがれの色がすっかり濃くなったころ、彼は恐ろしい叫び声でわれにかえった。たいへん、いったいなんとした叫び声だろう! こんな不自然な物音や、こんな咆哮《ほうこう》や、悲鳴や、歯がみや、哀泣や、乱打や、罵詈雑言《ばりぞうごん》は、今までついぞ一度も聞いたことも見たこともない。こんな獣のような暴行ざた、こんな激しい憤怒《ふんぬ》の発作《ほっさ》は、想像することさえできなかった。彼は恐ろしさに身を起こして、ひっきりなしに肝を消したり、悩みもだえたりしながら、べッドの上にすわっていた。しかし、つかみ合いの音や、悲鳴や、罵詈の声は、ますますはげしくなっていく。やがて、驚き入ったことに、彼はふとこの家の主婦の声を聞きわけた。彼女はうなったり、かなきり声で叫んだり、何やらしきりにかき口説《くど》いている。あわててせきこんで、言葉をぬかしたりしながら、祈るような調子でしゃべっているので、何をいってるのやら聞き分けられなかったが――それはもちろん、階段で情け容赦なくぶたれているのだから、ぶつのをよしてくれと祈っているに相違ない。ぶっている男の声は、憎悪と憤怒のために聞くも恐ろしいほどで、ただしゃがれた音を出すばかりだったが、それでもやはりせきこんで、のどをつまらせながら、何かしら早口にわけのわからぬことをしゃべっていた。と、ふいにラスコーリニコフは、木の葉のようにわななき始めた――彼はその声に気がついたのである。それは副署長の声であった。イリヤー・ペトローヴィチがここに来ていて、主婦をぶっているのだ! 足げにしたり、頭を段々へぶっつけたりしている――それは明瞭《めいりょう》だ。物音や、悲鳴や、打擲《ちょうちゃく》の音でわかる!ぜんたいこれは何事だ、世界がひっくりかえりでもしたのか? どの階にも、どの階段にも、群集の集まって来るのが聞こえる。人声や叫びが聞こえてくる。階段を上って来る、くつをごとごと鳴らす、ドアをばたんばたんいわせる、方々からかけ集まって来る。『しかし、ぜんたいなんのためだ、なんのためにあんなことをするのだ? どうしてあんなことができるのだろう?』もう真剣に自分は気ちがいになったと考えながら、彼はこうくりかえした。しかしそんなはずはない、あんまりまざまざと聞こえすぎる……してみると、もしそうだとすると、ここへもすぐやって来るに相違ない。『だって……確かにこれはあのことから……昨日のことから起こったんだもの……さあたいへんだ!』彼はドアにかぎをかけようとしたけれど、手が上がらなかった……それにまたむだなことだ! 氷のような恐怖は彼の魂を包み、彼を悩ましぬいたあげく、彼のからだを化石同然にしてしまった……けれどもやがて、まるまる十分間からつづいたこの騒動も、ようやくだんだん静まっていった。主婦はため息をついたり、うなったりしているし、副署長はまだやはりおどしたり、ののしったりしていたが……やがて、いよいよ彼も鳴りを静めたらしい。ああ、もう彼の声も聞こえない。『ほんとうに行ってしまったんだろうか! ありかたい!』そうだ、げんに主婦も相変わらずうなったり、泣いたりしながら、引きとって行く……さあ、とうとう居間のドアがぱたんとしまった……見物の群集も、階段を引き上げて、それぞれの住まいへ散って行く――ため息をついたり、いい争ったり、叫びかわしたりしていたが、その声はわめき声に近いほど高くなるかと思うと、ささやくように低くなるのであった。てっきり、うようよ集まったに相違ない。ほとんど建物じゅうの人がかけつけたものらしい。『だが、どうも、これは実際ありうべきことだろうか! それにどうして、どうしてあいつがここへやって来たのだ!』
 ラスコーリニコフはぐったりと長いすの上に倒れたが、もう目をふさぐことはできなかった。かつて経験したこともないような、かぎりない恐怖の堪えがたい感じと名状しがたい苦痛の中に、三十分ばかりぶっ倒れていた。ふいにあざやかな光線が彼の部屋をぱっと照らした――ナスターシヤがろうそくとスープの皿を持って、はいって来たのである。彼女は注意深く彼を見まわして、眠っていないのを見定めると、ろうそくをテーブルの上に置き、持って来た物をならべ始めた――パンと、塩と、皿と、さじだ。
「おおかた、きのうから何も食べなかったんだろうね。一日ほっつき歩いてさ、しかも瘧でからだじゅうふるわしてるんだからね」
「ナスターシヤ……どうして主婦《かみ》さんはぶたれたんだい?」
 彼女は穴のあくほど彼を見つめた。
「だれが主婦《かみ》さんをぶったの?」
「今しがた……三十分ばかり前に、イリヤー・ペトローヴィチが。警察の副署長が、階段の上で……なぜあの男があんなにお主婦《かみ》をぶちのめしたんだい! そして……なんのために来たんだい?」
 ナスターシヤは黙って眉をしかめながら、じろじろ彼を見まわした。いつまでも見つめているのであった。彼はこの長い凝視《ぎょうし》のために、不愉快でたまらなくなった、それどころか、恐ろしくさえなった。
「ナスターシヤ、なんだって黙ってるんだい?」とうとう彼は弱々しい声で、おずおずといった。
「それは血だよ」やがて彼女は小さな声で、ひとりごとのように答えた。
「血!………なんの血だ!………」彼はさっと青くなって、壁のほうへじりじりさがりながら、こうつぶやいた。
 ナスターシヤは無言のまま彼をながめつづけた。
「だれも主婦《かみ》さんをぶちゃしないよ」と彼女はまたもやいかつい、きっぱりとした調子でいいきった。
 彼はほとんど息もしないで、彼女を見つめていた。
「おれはこの耳で聞いたんだ……おれは寝てやしなかった……腰かけていたんだ」と彼は前よりさらにおずおずといった。「おれは長いこと耳をすましていたよ……副署長がやって来て……みんながかけ出して、階段のほうへ集まったじゃないか。どの住まいからも……」
「だれも来やしないよ。それはあんたのからだの中で、血があばれているせいだよ。血の出どころがなくなって、鬱《うつ》して濃くなってくると、いろんなものが見えたり聞こえたりするのだよ……ご飯はどう、食べるかね!」
 彼は返事をしなかった。ナスターシヤは彼のまくらもとにたたずんだまま、じいっとその顔を見つめながら、出て行こうともしなかった。
「飲むものをくれ……ナスターシユシュカ」
 彼女は下へおりて行ったが、二分ばかりたって、安物の陶器《せと》の水飲みに、水を入れて引っ返した。が、彼はその先どうなったか、もう覚えていなかった。ただ覚えているのは、冷たい水を一口のんで、水飲みから胸へ水をこぼしたことだけである。それから、人事不省《じんじふせい》になってしまったのである。

      3

 とはいえ病気の間じゅう、まったく人事不省だったわけでもない。それは夢魔と半意識の入りまじった、熱病的な状態だった。彼は後になっていろいろなことを思いおこした。どうかすると、まわりに大ぜいの人が集まって、彼をつかまえてどこかへ連れて行こうとする。そして、彼のことを騒々しく議論したり、争ったりしているような気がした。かと思うと、こんどは急にみんな外へ出てしまって、彼ひとり部屋の中にいる。人々は彼を恐れて、時たま、ほんのちょっぴりドアをあけて様子をうかがい、彼をおどすまねをしたり、自分たち同士でなにやらうち合わせをしたり、笑ったり、からかったりしている。ナスターシヤがしょっちゅうそばにいたのも、彼はよく覚えている。それから、もうひとりの男も見わけることができた。なんだか知り合いらしくもあるが、はたしてだれなのか――どうしても想像がつかないので、彼はそれがじれったくて、泣いたくらいである。どうかすると、もうひと月もふせっているような気もしたが、また時には、やはり同じ日がつづいているようにも思われた。しかしあの事[#「あの事」に傍点]は――あの事件[#「あの事件」に傍点]はとんと忘れてしまっていた。その代り、何かしら忘れてならないことを忘れている、ということを、絶えず思いおこすのであった――そして、思い出してはもだえ苦しみ、うめき声を立て、もの狂おしい憤りか、さもなくば身も世もあらぬほど堪えがたい恐怖にとらわれる。そのような時、彼は飛びあがってかけ出そうとしたが、いつもだれかが力ずくで引きとめる。で、彼はまたしても力がぬけ、人事不省におちいるのであった。やがてようやくまったく正気にかえった。
 それは午前十時ごろのことだった。朝のこの時刻になると晴れた日ならば、太陽はいつも長いしまをなして、部屋の右手の壁をすべり抜け、戸口の片すみを照らした。べッドのそばにはナスターシヤと、いまひとり一面識もない男が、もの珍しそうに彼を見まわしながら立っていた。それはカフタン(長外套)を着、あごひげをたくわえた若者で、見たところ配達人らしかった。なかばひらいた戸口からは、主婦《しゅふ》が顔をのぞけていた。ラスコーリニコフは身を起こした。
「これはだれだい、ナスターシヤ?」と彼は若者を指さしながらたずねた。
「ああら、気がついたよ!」と彼女はいった。
「気がついたね」配達人も応じた。
 戸口からのぞいていた主婦は、彼が気のついたのを察すると、すぐにドアをしめて姿を隠した。彼女はいつも引っ込み思案のたちで、こみいった話や掛け合いがつらくてたまらないほうだった。彼女は年ごろ四十かっこう、黒い目に黒い眉《まゆ》をした、ふとってあぶらぎった女で、肥満とものぐさのために人がよかった。そして、きりょうもなかなか踏めるほうだったが、度はずれにはにかみやなのであった。
「きみは……だれです?」こんどは当の配達人に向かって、彼はまた問いかけた。
 けれど、この時ふたたびドアがさっとあけ放されて、背が高いので少しかがむようにしながら、ラズーミヒンがはいって来た。
「まるで船室だ」とはいって来ながら彼は叫んだ。「いつもおでこをぶっつけちまうんだ。これでもやはり住まいと称してるんだからなあ! きみ、気がついたってね! 今パーシェンカ(主婦の名)から聞いたよ」
「たったいま気がついたんだよ」とナスターシヤがいった。
「たったいま気がつかれたんで」と配達人も、微笑を浮かべながら相づちを打った。
「ところで、そういうきみはどなたでいらっしゃるんですね?」とつぜん彼のほうへ向き直りながら、ラズーミヒンはたずねた。「ぼくはごらんのとおり、ヴラズーミヒンです。皆さんはラズーミヒンとおっしゃるが、じつはそうじゃなくて、ヴラズーミヒン、大学生で、士族のせがれです。そして、この男はぼくの友人です。さてところで、きみはいったいどなたですね?」
「わたしは配達人組合の事務所にいるもんですが、商人のシェラパーエフの使いでこちらへ伺ったんで、用がありましてね」
「どうぞこのいすにお掛けください」テーブルの反対側から、ほかのいすに腰をおろしながら、ラズーミヒンはいった。「でもきみ、気がついてくれてよかったなあ」と彼はラスコーリニコフのほうへ向きながら言葉をつづける。「もうこれで四日というもの、ほとんど飲まず食わずなんだからなあ、じっさい、お茶をさじで飲ませたんだぜ。ぼくはここヘゾシーモフを二度も引っぱって来たよ。ゾシーモフを覚えてるかい? 先生、綿密にきみを診察したが、すぐになんでもない、何かちょっと脳にさわったんだろう、とこういったよ。ごくつまらない神経症だそうだ。まかないのほうが悪くって、ビールとわさびが足りなかったもんだから、それで病気も出たわけだが、なにだいじょうぶ、いまに自然となおるそうだよ。ゾシーモフのやつ、なかなかえらいぜ! 堂々たる治療ぶりを見せるようになったよ。いや、しかしもうお話のじゃまはいたしません」と彼はふたたび配達人のほうへふり向いた。「どういうご用ですか、ひとつ説明を願えませんでしょうかね? 注意しておくがね、ロージャ、このおかたの事務所から使いがみえたのは、もうこれで二度目なんだぜ。もっとも、先《せん》はこの男じゃなくて、別なのだったよ。ぼくはその男と話していたんだ。あれはどなたでしたかね、あなたの前にみえたのは?」
「あれはきっと、おとついのことでございました、確かにそうです。アレクセイ・セミョーヌイチがお伺いしたので。やはりわたしどもの事務所に勤めていますんで」
「ですが、あの人はきみより多少ものわかりのいいほうじゃないでしょうか、いかがお考えですな?」
「さよう、確かにずっとしっかりしております」
「これは感心な心がけだ。さあ、話のつづきを願います」
「じつは、アファナーシイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシン、たぶんたびたびお聞き及びのことと思いますが、あのかたの手を通して、あなたのおふくろさまの振り出しなさった為替が、わたしどもの事務所へまいっておりますので」と男は直接ラスコーリニコフに向かっていいだした。
「で、あなたが物のわきまえがつくようになられたら、三十五ルーブリお渡しするはずになっておりますので。つまり、おふくろさまが為替を振り出しなさったことにつきまして、セミョーン・セミョーヌイチがアファナーシイ・イヴァーヌイチの手から、前々どおりの方法で通知を受け取られたのでございます。ご承知でいらっしゃいますか?」
「そう……覚えてる……ヴァフルーシン……」とラスコーリニコフは考え深そうにいった。
「どうです、この男は、商人のヴァフルーシンを知っていますよ!」とラズーミヒンは叫んだ。「これがどうして正気でないんだ? もっとも今になって気がついたが、きみもやはりものわかりのいい人間だ。いや、どうも! 賢い人の話というものは、聞いてても気持ちがいいですよ」
「つまりそのかたなんで、ヴァフルーシンさん、アファナーシイ・イヴァーヌイチなんでございます。この人があなたのおふくろさまのご依頼で、前にも一度同じようなあんばい式で、こちらへ送金なさいましたが、こんどもお断りなさらないで、一両日前あちらからセミョーン・セミョーヌイチのとにろへ、三十五ルーブリの金をあなたに渡してくれ、匆々頓首《そうそうとんしゅ》と、こういう通知があったのでございます」
「いや『匆々頓首』は一ばんの傑作だ。『あなたのおふくろさま』云々も悪くなかった。ところで、きみのご意見はどんなもんでしょう。この人はすっかり正気に返ってるでしょうか。それとも返っていないでしょうか――え?」
「わたしなんか、どうでもかまいませんよ。ただ受取りさえきちんとしてればけっこうなんで」
「どうにかこうにか書くだろう! きみのほうじゃ、なんですかね、帳簿にでもなってる?」
「帳簿なんで。このとおり」
「こっちへもらいましょう。さあ、ロージャ、起きろよ。ぼくがささえてるから。やっこさんに『ラスコーリニコフ』と一|筆《ぴつ》ふるってやれよ。ペンを持ちたまえ。だって、きみ、今のわれわれにゃ金は蜜以上だからね」
「いらない」とペンを押しのけながら、ラスコーリニコフはいった。
「いらないとは、そりゃまたどうしたことだ?」
「署名なんかしないよ」
「ちぇっ、こん畜生、受取りを書かないでどうするんだ?」
「いらない……金なんか……」
「えっ、金がいらないって! おい、きみ、そりゃでたらめだよ、ぼくが証人だ!――どうかご心配なく、こりゃあ先生、ただちょっくら……まだ夢の国をうろついてるもんだから。もっとも、この先生はうつつでも、ときどきこういうことがあるんでね……ねえ、きみは分別のあるほうだから、ひとつふたりがかりで、この男を指導してやろうじゃありませんか。といって何もぞうさはない、この男の手を持って動かしてやる。すると、この男が署名したわけですよ。さあ、とっかかろうじゃありませんか……」
「ですが、わたしはまた出直してまいりましょう」
「いやいや、そんなご心配にゃ及びませんよ。きみは分別のある人だから……さ、ロージャ、あんまりお客さんを引っぱっとくもんじゃないよ……見たまえ、待っておられるじゃないか」こういって、彼はまじめにラスコーリニコフの手を持ってやる身構えをした。
「いいよ、自分でする……」というなり、ラスコーリニコフはペンを取って、帳簿に署名した。
 組合の男は金を置いて、出て行った。
「しめた! ところで、こんどは何か食べたくないか?」
「食べたい」とラスコーリニコフは答えた。
「きみんとこにスープあるかい?」
「きのうのだよ」さっきからずっとこの場に立っていたナスターシヤが、そう答えた。
「じゃがいもと挽割米《ひきわりまい》のはいったのか?」
「じゃがいもと挽割のはいったのよ」
「ちゃんとそらで知ってらあ。じゃ、スープをよこせよ。そして、お茶も持って来てくれ」
「もって来るよ」
 ラスコーリニコフは深い驚きと鈍い無気味な恐怖をいだきながら、しじゅうの様子をながめていた。彼はいっさい沈黙を守って、このさき何があるか待つことに心をきめた。
『どうもおれは熱に浮かされているのじゃないらしい』と彼は考えた。『どうもこれは、ほんとうのことらしい……』
 二分ばかりたつと、ナスターシヤがスープを持って引っ返した。そして、すぐに茶も来ると告げた。スープにはさじが二本と皿《さら》が二枚、ほかに付属食器が全部――塩入れ、こしょうびん、牛肉用のからし入れなどがついている。こんなにきちんとそろったことは、たえて久しくないことである。テーブルークロスも洗いてた[#「洗いてた」はママ]だった。
「なあ、ナスターシヤ、お主婦《かみ》さんがビールを二本ばかりよこしてくれると、悪くないんだがな。一杯やりたいんでね」
「まあ、この長脛《ながすね》ったら!」とナスターシヤはつぶやいて、命《めい》をはたすために出て行った。
 ラスコーリニコフはけうとい緊張した目つきで、凝視をつづけていた。その間に、ラズーミヒンは長いすに席を移して、彼とならんで腰をおろし、当人はひとりで起きることもできたのに、熊《くま》よろしく無骨《ぶこつ》なかっこうで、左手に彼の頭をかかえ、右手にスープのさじを持ち、病人が口を焼かないように、あらかじめ幾度も吹いてから彼の口へ持って行ってやった。けれど、スープはわずかに暖かいというだけであった。ラスコーリニコフはむさぼるように一さじ飲むと、つづいて二さじ、三さじと飲み干した。けれども幾さじか口ヘ運んだ後、ラズーミヒンはふいに手を止めて、これ以上はゾシーモフに相談してからでなければ、といった。
 ナスターシヤがビールを二本もってはいって来た。
「お茶はいらないかい?」
「ほしいよ」
「ナスターシヤ、お茶も早く頼むぜ。お茶のほうは、医科先生に相談しなくてもかまわんだろうからな。だが、いよいよビールが来た!」と彼は自分のいすに席を移して、スープと牛肉を手もとへ引きよせると、まるで三日も食わなかったような勢いで、さもうまそうに食い始めた。
「ぼくはね、きみ、ロージャ、このごろ毎日きみんところで、こういう食事をしてるんだぜ」牛肉をいっぱいつめ込んだ口のゆるす範囲内で、彼はむにゃむにゃといった。「これはみんなパーシェンカ、きみんとこのお主婦《かみ》がまかなってくれたんだよ。あの女、一生けんめいにぼくにちやほやしてくれるのさ。むろん、ぼくはかくべつ主張もしないが、拒絶もしないんだ。さあ、ナスターシヤがお茶を持って来た。どう。も機敏な女だなあ! ナスチェンカ、ビールはどうだね」
「ええ、ふざけるでないよ!」
「じゃ、お茶は?」
「お茶はもらってもいいけど」
「つぎたまえ。いや、待てよ。おれが自分でついでやろう。テーブルの前にかけたまえ」
 彼はさっそく手順をつけて一杯ついだ後、また別の茶わんに一杯つぐと、朝飯をおっぽり出して、また長いすに帰った。彼は前と同じように、左手で病人を抱いて、少し持ち上げるようにし、またぞろ一生けんめいにひっきりなしに吹きながら、茶さじから茶を飲ませ始めた。まるでこのさじを吹くという手順のうちに、健康回復上もっとも重大な要点が含まれている、とでもいうようなようすであった。ラスコーリニコフはだれの手を借りなくとも、長いすの上に身を起こしてじっとすわっているだけの力は十分あるし、さじや茶わんを持つくらい手の自由がきくのみか、歩くことさえできるかもしれないと感じてはいたけれど、じっとおし黙って逆《さか》らおうとしなかった。一種ふしぎな、ほとんど野獣めくほど狡猾《こうかつ》な本能から、しばらくある時期まで自分の力を隠してじっと息をひそめ、必要に応じてはあまりはっきり意識のないさまを装いながら、その間に周囲の情勢がどうなっているか、聞き耳を立ててさぐり出してやろうという考えが、とつぜん彼の頭にわいたのである。とはいえ、内心の嫌悪《けんお》感をおさえることはできなかった。十さじばかりも茶をすすると、彼はふいに頭を振り放して、気まぐれな様子でさじを突きもどすと、またまくらの上へ身を倒した。彼の頭の下には、今では本物のまくらが置いてあった――さっぱりとしたカヴァのかかった羽根まくらである。彼はこれにもやはり気がついて、考慮に入れておいた。
「パーシェンカに今日さっそく木いちごのジャムをよこしてもらおう。この男の飲むものを作ってやらなくちゃ」ラズーミヒンは自分の席へもどって、またスープやビールにとっかかりながらいいだした。
「お主婦《かみ》さんがなんでお前さんなんかに、木いちごを取ってくれるもんかね?」五本の指をひろげた上に受け皿をのせ、『口にふくんだ砂糖で』茶をこして飲みながら、ナスターシヤはこういった。
「木いちごはな、お前、店へ行って取って来てくれるよ。ロージヤ、じつはこんど、きみの知らない間に、大した事件があったんだよ。きみがあんな騙《かた》り同然のやり口で、居所もいわずにぼくのところから逃げ出したとき、ぼくはいまいましくって、いまいましくってたまらなかったので、きみをさがし出して制裁してやろうと決心したのさ。そして、すぐその日から着手して、歩いたわ歩いたわ、尋ねたわ尋ねたわ!今のこの住まいをぼくは忘れてたのさ。もっとも最初から知らなかったんだから覚えてないのがあたりまえよ。だがね、君の前の住まいを覚えていた――ピャーチ・ウグロフ(五辻)でハルラーモフの家と、それだけ記憶に残っている。で、ぼくはこのハルラーモフの家をさんざん捜しまわったね――ところが、あとでわかったんだが、ハルラーモフの家じゃなくって、ブッフの家だったのさ――どうも音《おん》というやつはまちがいやすいもんでね! とうとうぼくはかんしゃくをおこしちゃった。かんしゃくをおこしてさ、あくる日また、むだでもなんでもかまわん気で、警察の住所係へ出かけたんだ。ところが、まあどうだ、一分か二分の間にきみの名を見つけてくれたんだ。君の名は警察にちゃんと書きとめてあるぜ」
「書きとめてある?」
「そうともさ。ところが、コベリョーフ将軍という人は、ぼくもそばで見ていたが、どうしても捜し出せなかったんだからな。いや、話せばずいぶん長いことだがね。ぼくはここへ乗り込むとすぐさま、きみに関係した事件をすっかり聞かされちゃったよ。すっかりだぜ、きみ、ぼくはもうなんでも知ってるよ、この女も知ってるよ。ぼくはニコジーム・フォミッチとも知り合いになれば、イリヤー・ペトローヴィチにも紹介してもらった。それから、庭番とも、ザミョートフ氏――ほら、あのアレクサンドル・グリゴーリッチ、つまり、ここの警察の事務官とも、それから最後にパーシェンカとも知り合いになった――これなんかはまったくぼくの功労にたいする月桂冠《げっけいかん》だね。げんにこの女も知ってるが……」
「うんと砂糖をきかせたもんだからね」と狡猾《こうかつ》そうににやにや笑いながら、ナスターシヤがつぶやいた。
「じゃ、お茶に入れてめしあがったら、ナスターシヤ・ニキーフォロヴナ」
「まあ、このおす犬め!」だしぬけにナターシヤはこう叫びながら、ぷっと吹き出した。「だって、わたしはニキーフォロヴナじゃなくて、ペトローヴナよ」とまたふいに笑いやめて彼女はつけたした。
「いや、おことば玩味《がんみ》いたしますでございます。そこで、きみ、むだは抜きにして、ぼくは初め、この土地におけるすべての偏見を根絶するために、いたるところへ電流を流そうかと思ったんだ。ところが、パーシェンカの説が勝ったもんだから。ぼくはね、きみ、あの女があれほど……味を持っていようとは……さらに思いがけなかったよ、え? きみはどう思う?」
 ラスコーリニコフは不安らしい視線を、一刻も相手から放さなかったが、じっと押し黙っていた。そして、今もじっと彼を見守《みまも》りつづけていた。
「むしろ非常にといっていいくらいさ」ラズーミヒンは彼の沈黙にねっから困るふうもなく、相手から受け取った返事に相づちを打つような調子でしゃべりつづけた。「むしろきわめてけっこうだよ、あらゆる点において」
「まあ、なんて野郎だろう!」とナスターシヤがまたしても叫んだ。見たところこの会話は、言葉につくしがたい幸福感を彼女に与えるらしい。
「ただ困るのは、きみが最初のそもそもから、この事件をうまくあしらう腕を持っていなかったことだ。あの女にはああいうやりかたじゃいけなかったのさ。まったくあの女は、なんというか、意想外千万な性格の所有者なんだからね! まあ、性格のことなんかあとでいい……ただきみはどういうわけで、たとえばさ、あの女がきみに食事もよこさないなんて、そんな生意気なことをするようにしむけたんだい? またたとえばだ、あの手形はなんだい? いったいきみは気でもちがったのかい、手形に署名するなんて! それからまた、娘のナタリヤ・エゴーロヴナが生きてた時分に、約束のできていた縁談さ……ぼくは何もかも知ってるぜ! いや、もっとも、これはデリケートな胸の琴線に関することで、この方面についてはぼくはろば同然らしい。ぼくはあやまるよ。だがついでに一つばかげた話だが、きみはなんと思う?じっ[#「思う?じっ」はママ]さいプラスコーヴィヤ・パーヴロヴナ(主婦)は、ちょっと見ほどばかじゃないだろう、え?」
「うん」とラスコーリニコフはそっぽをながめながらも、この話をもう少しつづけさせるほうが有利だとさとったので、言葉を歯の間から押し出すようにいった。
「そうじゃないか?」と、返事をしてもらったのがいかにもうれしそうに、ラズーミヒンは叫んだ。「だが、まったく利口というほうじゃないだろう、え? じつに、じつに、意想外な性格だ! ぼくは正直なところ、いささかまごつかされてるんだよ……あいつ確か四十になるだろう。ところが、自分じゃ三十六といってるんだ。もっとも、そういうだけの資格は十分あるね。しかし、誓っていうが、ぼくあの女についてはむしろ知的に、ただ形而上学《けいじじょうがく》のみで判断してるんだ。今われわれの間にはきみの代数学も手を下しようのない、どえらいエムブレーム(表徴)が生じてるんだからね! 何がなんだかわけがわからないのさ! いや! こんなことはみんなくだらん話だ。ただあの女はきみがもう大学生でもなくなり、家庭教師の口にもあぶれ、衣類までもなくしてしまったうえにさ、娘が死んでしまったので、もうきみを親類あつかいする必要もないと気がついて、急にどきっとしたわけだ。またきみはきみで、部屋に引っ込んだきり、以前とはすっかり変わってしまった。そこであの女は、きみをここから追い出そうという了見をおこしたのさ。もう以前からこの計画をいだいていたのだが、手形が惜しくなってきたし、そのうえきみ自身も、おふくろが払ってくれるなんていったから……」
「それはぼくが卑劣なためにいったことなんだ……ぼくの母はほとんど自分で袖乞《そでご》いしないばかりの有様なんだもの……ぼくはこの下宿に置いてもらって……食わしてもらいたさに、うそをついたんだ」とラスコーリニコフは大きな声で、はっきりといった。
「そうだ、きみはきみ、利口なやりくちだったのさ。ただ問題は、七等官チェバーロフ氏という事件屋が、そこへひょっこり登場したことだ。この男がいなかったら、パーシェンカはおそらく、なんにも考えつきはしなかったろう。まったく恐ろしいはにかみやだからね。ところが、事件屋はけっしてはにかみやじゃないから。まず第一ばんに、はたしてこの手形を生かす見込みがあるやいなや、という問題を提起した。ところでその答えは、確かにあると出た。なぜって見たまえ、きみには母親というものがあって、たとい自分は食わないでも、かわいいロージェンカだけは、百二十五ルーブリという年金の中から工面《くめん》して、救わずにはおかないし、また兄のためには身を売ってもかまわないというような、妹があるじゃないか。先生、ここに計算の土合をすえたわけだ……きみ、なにをもぞもぞするんだい? ぼくはね、きみ、今こそきみの内幕を知りぬいてるんだよ。きみがパーシェンカとまだ親類づきあいをしていたころに、うち明け話をしたのがたたったのさ。もっとも、いまぼくはきみを愛すればこそいうんだがね……ねえ、つまりそこのとこなんだよ――正直で感じやすい人間は、なにげなしにうち明け話をするが、事件屋はそれを聞いて食い物にする。そして最後には骨までしゃぶってしまうのさ。そこであの女は、金を払ってもらった体《てい》にして、チェバーロフに手形を譲渡したんだ。するとこっちは、正式の手続で金を請求したのさ。きまりなんかわるがりゃせんからね。ぼくはこのいきさつを知るやいなや、ただちょっと、良心にたいする義務をはたすくらいのつもりで、この男にもやはり電流を通じてやろうと思った。ところが、ちょうどそのころ、ぼくとパーシェンカとの間に一種のハーモニイが生じたので、ぼくはきみが必ず払うからと保証して、この事件を大きくならない前に、きれいに中止しろ、とあの女に命じたんだ。おい、きみ、ぼくはきみのことを保証したんだぜ、いいかい? そこで、チェバーロフを呼んで、十ルーブリほっぺたへたたきつけてさ、手形を取りもどしたわけだ。さあ、このとおりつつしんできみに捧呈する――もう口約束だけで信用しとくよ――さ、受け取ってくれ。ぼくがちゃんと、しかるべく端を破いといたからね」
 ラズーミヒンは借用証書をテーブルの上へのせた。ラスコーリニコフはちらとそれを見やったが、ひと言も口をきかないで、壁のほうへくるりと向いてしまった。これにはさすがのラズーミヒンもむっとしたほどである。
「なるほどそうか」一分ばかりして彼はいった。「ぼくはまたばかな役まわりを勤めちゃったんだ。罪のないおしゃべりできみの気をまぎらして、慰めてやろうと思ったんだけど、ただかん[#「かい」に傍点]の虫を起こさせたばかりらしい」
「ぼくは熱に浮かされているとき、きみの顔の見分けがつかなかったかね?」同様に一分間ばかり黙っていた後、ラスコ