京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P046-049   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦31日目]

自分のほうへ押し寄せる女房たちを祝福し始めた。と一人の『|憑かれた女《クリクーシカ》』が両手を取って突き出された。彼女は長老を見るか見ないかに、何やら愚かしい叫び声を立ててしゃっくりをしながら、子供の驚風のように全身をがたがた顫わせ始めた。長老はその頭の上から袈裟を被せて、簡単な祈禱をしてやった。すると、病人はたちまち静かになって、落ちついてしまった。今はどうか知らないが、筆者《わたし》の子供の時代には村うちや僧院で、よくこんな『|憑かれた女《クリクーシカ》』を見たり、噂を聞いたりしたものである。こういう病人を教会へつれて来ると、堂内一杯に響き渡るほどけたたましく叫んだり、犬の吠えるような声を出したりする。しかし、聖餐が出てから、そのそばへ連れられて行くと、『憑き物のわざ』はすぐやんで、病人もしばらくのあいだ落ちつくのであった。これらの事実は子供の筆者《わたし》を驚かし、かつおびやかした。しかし、その当時、地主の誰彼や、ことに町の学校の先生などに根掘り葉掘りして訊いてみたら、あれは仕事がしたくないからあんな真似をするので、相当の厳格な手段をとったら、いつでも根絶やしのできることだと説明して、それを裏書きするような話をいろいろ引いて聞かせた。ところが、後になって専門の医者から、それは決して芝居ではなく、わがロシヤに特有の観がある恐ろしい婦人病であると聞いて二度びっくりした。これはわが国農村婦人の惨憺たる運命を説明する病気で、なんら医薬の助けを借りず不規則に重い産をすました後、あまり早く過激な労働につくために生じたものであるが、そのほか、弱い女性の一般の例にならって、たえ得られない悲しみとか、男の折檻とかいうようなものも、原因となるとのことであった。
 病人を聖餐のそばへ連れて行くやいなや、今まで荒れ狂ったり、もがいたりしていたものが、急に洽ってしまうという奇妙な事実も、『あれはただの芝居だ、ことによったら売僧《まいず》どもの手品かもしれぬ』と人は言うけれど、おそらくきわめて自然に生じるのであろう。つまり病人を聖餐のそばへ連れて行く女たちもまた病人自身も、こうして聖餐のそばへ寄って、頭を屈めたとき、病人に取り憑いている悪霊が、どうしても踏みこたえることができないものと、一定の真理かなんぞのように信じきっている。それゆえ、必然的な治療の奇蹟を期待する心と、その奇蹟の出現を信じきっている心とが、聖餐の前に屈んだ瞬間、神経的な精神病患者の肉体組織に、非常な激動を惹き起すのであろう(いな、惹き起すべきはずである)。かようにして、奇蹟は僅かの間ながら実現するのであった。長老が病人を袈裟で蔽うたとき、ちょうどこれと同じことが生じたのである。
 長老のそば近く押しかけている女たちは、その瞬間の印象に呼びさまされた歓喜と感動の涙にくれた。中にはその法衣《ころも》の端でも接吻しようと押し寄せるものもあれば、何やら経文を唱えるものもあった。長老は一同を祝福して、二三のものと言葉を交した。『|憑かれた女《クリクーシカ》』は彼もよく知っていた。これはあまり遠くない、僧院から六露里ほどの村から連れられて来たので、以前もちょいちょい来たことがある。
「ああ、あれは遠方の人じゃ!」決して年とっているのではないが、恐ろしく痩せほうけて、日に焼けたというより真っ黒な顔をした女を指さして、彼はこう言った。この女は跪いてじっと目を据えたまま、長老を見つめていた。その目の中には何となく狂奮の色があった。
「遠方でござります、方丈さま、遠方でござります、ここから三百露里もござります。遠方でござります、方丈さま、遠方でござります。」首をふらふらと右左に振るような気持で、掌に片頬をのせたまま、歌でも歌うように女は言った。その口調はまるでお経を唱えるような工合であった。
 民衆の中には忍耐強い無言の悲しみがある。それは自己の中にひそんで、じっと押し黙っている悲しみである。ところが、また張り裂けてしまった悲しみがある。それは一たん涙とともに流れ出てから、もう永久に経文でも唱えるような愚痴の形をとるものである。こんなのはとくに女のほうに多い。しかし、これとても決して無言の悲しみより忍びやすくはない。愚痴は自分の心をさらに毒し、一そう掻きむしることによって、ようやく悲しみをまぎらすばかりである。こうした悲しみは、慰藉を望まないで、救いがたい絶望の情を餌食にするものである。愚痴はただひっきりなしに傷口を突っついていたいという要求にすぎない。
「おおかた町方《まちかた》の人に違いなかろうな?」好奇の目で女を見つめながら、長老は語をついだ。
「町の者でござります、方丈さま、町の者でござります、もとは百姓の生れでござりましたが、今は町の者でござります、町で暮しておりまする。お前さまを一目見とうてまいりました。お噂を聞いたのでござります、幼い男の子の葬いをして巡礼に出ましたが、三ところのお寺へお詣りしたら、わたくしに教えて申されますに、『ナスターシャ、こうこういうところへ行ってみい。』つまりお前さまのことでござります、方丈さま、お前さまのことでござります。この町へまいってから、昨日は宿屋に泊りましたが、今日はこうしてお前さまのところへまいりました。」
「何を泣いておるのじゃな?」
「息子が可哀そうなのでござります、方丈さま、三つになる男の子でござりました。三つにたった三月たりないだけでござりました。息子のことを思うて、息子のことを思うて苦しんでおるのでござります。それもたった一人残った子でござりました。はじめニキートカとの中に、子供が四人ありましたが、どうもわたくしどもでは子供が育ちません。どうも方丈さま、育たないのでござります。上を三人亡うしたときは、それほど可哀そうとも思わなんだのでござりますが、こんど乙子《おとご》を亡《の》うした時ばかりは、どうも忘れることができません。まるでこう目の前に立ってどかないのでござります。もうすっかりわたくしの胸ん中を干乾しにしてしまいました。あの子の小さなシャツを見ても、着物を見ても、靴を見ても、おいおい泣くのでござります。あの子のあとに残ったものを一つ一つ拡げてみては、おいおい泣くのでござります。そこでニキートカに、――わたくしのつれあいに、『お願いだから巡礼に出しておくれ』と申しました。つれあいは馬車屋でござりますが、さして暮しには困りませぬ。方丈さま、さして暮しには困りませぬ。自分で馬車を追いまして、馬も車もみんな自分のものでござりまする。けれども、今となってこのような身上も何の役に立ちましょう! わたくしがいなくなったら、あの人は、うちのニキートカは、無茶なことをしているに違いありません。それは確かな話でござります。以前もそうでござりました。わたくしがちょっと目を放すと、すぐもう気を弛めるのでござります。でも今はあの人のことなぞちっとも思いはいたしません。もう家を出て三月になりますが、わたくしはすっかり忘れてしまいました。何もかも忘れてしもうて、思い出すのもいやでござります。それに、今あの人と一緒になったところで何としましょう。わたくしはもうあの人と縁を切ってしまいました。誰もかれもすっかり縁を切ってしまいました。自分の家や道具なんぞ見とうござりませぬ、何にも見とうござりませぬ!」
「なあ、おかみさん」と長老は言いだした。「ある昔のえらい聖人《しょうにん》さまが、お前と同じように寺へ来て泣いておる母親に目をおつけなされた。それはやっぱり神様のお召しになった一人子のことを思うて泣いていたのじゃ。聖人《しょうにん》さまの言わるるには、「一たいお前は神様の前へ出た幼い子供が、わかまま者じゃということを知らぬのか? 幼い子供ほど神様の王国《みくに》でわがままなのはないくらいじゃ。子供らは神様に向いて、あなたはわたしたちに命を恵んで下されたけれど、ちらと世の中を覗いたばかりで、。もう取り上げておしまいなされました、などと駄々をこねて、すぐに天使の位を授けて下されとねだるのじゃ。それゆえ、お前も泣かずに悦ぶがよい。お前の子供はいま神様のおそばで、天使の中に入っているのじやぞ」と、こう昔の聖人さまが泣いておる母親に諭された。その方はえらい聖人じゃによって、間違うたことなぞ言われるはずがない。お前の子供も今きっと神様のご座所の前に立って、悦んでうかれながらお前のことを神様に祈っておるじゃろう。よいかな、それじゃによって、お前も泣かずに悦ばねばならんのじゃ。」
 女は片手に頬をもたせながら、伏目になって聞いていたが、やがて深い溜息をついた。
「それと同じことを言うて、ニキートカもわたくしを慰めてくれました。お前さまの申されたとそっくりそのままでござります。『お前は馬鹿なやつじゃ、何を泣くことがあるか、うちの子も今きっと神様のところで、天使たちと一緒に歌を歌うておるに相違ない』とつれあいは申しまするが、そのくせ、自分でも泣いておるのでござります。見るとやっぱりわたくしと同じように、泣いておるのでござります。わたくしはそう申しました、『ニキートカ、それはわしも知っている、あの子は神様のところでのうて、ほかにおるはずがない。けれど今ここに、わしらのそばに一緒におらん、前のようにここに坐っておらんではないか!」とそう言うてやりました。わたくしはほんの一遍きりでも、あれが見とうござります。ほんの一遍あれが見たいのでござねます。そばへ寄って声をかけないでもかまいませぬ。以前のように、あれがおもでで遊び疲れて帰って来て、あの可愛い声で、『母ちゃん、どこ?』と呼ぶところを、どこか隅のほうに隠れておって、せめてちらりとでも見たり聞いたりしとうござります。あの小さな足で部屋を歩くのが聞きとうござります。あの小さな足でことことと歩くのが、たった一遍……以前、ようわたくしのところへ駆けて来て、おらんだり笑うたりしましたが、わたくしはたった一度あの子の足音が聞きたい、。どうしてか聞きたいのでござります! けれども方丈さま、もうあれはおりませぬ、あれの声を聞く時はもうござりませぬ! これ、ここにあれの帯がござりますが、あれはもうおりませぬ。もうあれを見るとはできませぬ、あれの声を聞くことは……」
 女はふところから緑飾りをした小さなわが子の帯を取り出しせながら慟哭し始めた。ふいに滝のようにほとばしり出る涙は、指の聞から流れるのであった。
「ああそれは」と長老が言った。「それは昔の『ラケルわが子らを思い嘆きて慰むことを得ず、何となれば子らは有らざればなり』とあるのと同じことじゃ。これがお前たち母親のためにおかれた地上の隔てなのじゃ。ああ、慰められぬがよい、慰められることはいらぬ、慰められずに泣くがよい。ただな、泣くたびごとに怠りなく、お前の子供は神様のお使わしめの一人となって、天国からお前を見おろしながら、お前の涙を見て悦んで、それをば神様に指さしておるということを、忘れぬように思い出すのじゃぞ。お前の母親としての大きな嘆きはまだまだつづくが、しまいにはそれが静かな悦びとなって、その苦い涙も静かな感動の涙、罪障を払い心を浄める涙となるであろう。お前の子供に回向をしてやろうが、名前は何というのじゃな?」
「アレクセイでござります、方丈さま。」
「可愛い名前じゃ。神の使いアレクセイ(三五〇―四一一年、ローマの人、結婚の日父母の家を出て隠遁生活をし、十七年の後、他人の様を粧って生家に帰り善行を積んだ人)にあやかったのじゃな?」
「神の使いでござります、方丈さま、神の使いでござります、神の使いアレクセイでござります!」
「何という聖い子じゃ! 回向をしてやる、回向をしてやる! それからお前の悲しみも祈禱の中で告げてやろうし、つれあいの息災も祈ってやろう。しかしな、かみさん、お前つれあいを捨てておくのは罪なことじゃ、これから帰って面倒を見てやりなさい。お前がてて親を捨てたのを子供が天国から見たならば、二人のことをつらがって泣くじゃろう。どうしてお前は子供の仕合せに傷をつけるのじゃ? なぜというて、子供は生きておる、おお、生きておるとも、魂は永久に生きるものじゃ。家にこそおらね、見え隠れにお前がた夫婦のそばについておるのじゃ。それに、お前が自分の家を憎む、なぞと言うたら、どうしてその家の中へ入って来られるものか! お前がた二人が、父と母が一つところにおらぬとしたら、子供は一たいどっちへ行ったらよいと思う? 今お前は子供の夢を見て苦しんでおるが、つれあいと一緒になったら、子供がお前に穏かな夢を送ってくれるじゃろう。さあ、かみさん、帰りなさい、今日の日にも帰りなさい。」
「帰りまする、方丈さま、お前さまのお言葉に従うて帰りまする。お前さまはわたくしの心を見抜いて下されました。ああ、ニキートカ、お前はわしを待ちかねていさっしゃろうなあ、ニキートカ、さぞ待ちかねていさっしゃろうなあ」と女房はまたお経でも唱えるように言いだした。
 けれど、長老はもう別な老婆の方へ向いていた。彼女は巡礼風でなく町の入らしい身なりをしていたが、何か用事があって相談に来たということは、その目つきから知られるのであった。彼女は遠方から来たのでなく、この町に住んでいる下士のやもめであると名のった。息子のヴァーゼンカというのが、どこかの陸軍被服廠に勤務していたが、その後シベリヤのイルクーツクへ行って、二度そこから手紙をよこしたきり、もうまる一年だよりをしない。老婆は訊き合せもしてみたが、正直なところ、どこで訊き合せたらいいかわからないのであった。
「ところが、先だって、スチェパニーダ・ベドリャーギナという金持の店屋のおかみさんが、ねえ、ブローホロヴナ、いっそ