京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P030-033   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦27日目]

ャに強い印象を与えたらしい。長兄ドミートリイのほうとは、同腹の兄イヴァンよりもずっと早く、また深く、知り合うことができた。(そのくせ、長兄のほうが遅れて帰って来たのである)。僕は兄イヴァンの性質《ひととなり》を知ることに非常な興味をいだいたが、その帰省以来ふた月の間に、二人はかなりたびたび一ところに落ち合ったにもかかわらず、いまだにどうしても親しみがつかなかった。アリョーシャ自身も口数が少ない上に、何ものか待ち設けているような、何ものか羞じているような工合であるし、兄イヴァンも初めのうちこそ、アリョーシャの気がつくほど長い間、もの珍しそうな視線をじっと弟にそそいでいたが、やがて間もなく、彼のことを考えてみようともしなくなった。アリョーシャもこれに心づいて幾ぶん間が悪かった。彼は兄の冷淡な態度を二人の年齢、ことに教育の相違に帰したが。また別様にとれないでもなかった。ほかでもない、兄のこうした好奇心や同情の欠乏は、ことによったら、何か自分の少しも知らない、別な事情から生じるのではあるまいか? 彼はなぜかこんな気がしてならなかった、――イヴァンは何かほかのことに心を奪われている、何か重大な心内の出来事に気を取られている、何かある困難な目的に向って努力している。それで、兄は自分のことなど考えている暇がないのだ、これが、自分に対する兄の放心したような態度を説明する、唯一の原因に相違ない。
 アリョーシャはまたこんなことをも考えた、――この態度の中には、自分のような愚かな聴法者に対する学識のある無神論者の軽蔑がまじってはいないだろうか? 彼は兄が無神論者であることをよく承知していた。この軽蔑に対して(もしそれがあるとしても)、彼は腹を立てるわけにはいかなかったが、それでも彼は何か自分にもよくわからない、不安に充ちた当惑の念をいだきながら、兄がもう少し自分の傍へ近寄る気持になるのを待っていた。兄ドミートリイは深い深い尊敬を表わしつつイヴァンのことを批評し、何か特別な見方をもって彼の噂をするのであった。アリョーシャは、この頃二人の兄を目立って密接に結び合した、かの重大な事件の詳しいいきさつを、この長兄の口から聞いたのである。ドミートリイのイヴァンに関する感に堪えたような批評が、アリョーシャに一層面白く感じられたわけがまだほかにある。それは兄ドミートリイはイヴァンにくらべると、ほとんど無教育といっていいくらいで、ふたり一緒に並べてみると、性質としても人格としても、これ以上似寄りのないふたりの人は、想像することができないほど、極端なコントラストをなしていたからである。
 ちょうどこの時分、長老の庵室で乱れきった家族一同の会見、というよりむしろ寄り合いが催された。これがアリョーシャに異常な影響を与えたのである。実際この寄り合いの口実は至極あやしいものであった。当時、相続のことなどに関するドミートリイと父フョードルの不和は、うち捨てておかれないほどの程度に達したらしい。何でもフョードルのほうからまず冗談半分に、ひとつ皆でゾシマ長老の庵室へ集ったらどうだ、という案を持ち出したとかいうことである。それは真正面から長老の仲裁を求めるというわけではないけれども、長老の位置や人物が何か和解的な効果を奏さないともかぎらないから、まあ何とか穏かな話がつきそうなものだ、というのであった。今まで一度も長老を訪ねたことも、顔を見たこともないドミートリイは、もちろん、『長老なんか持ち出して、人を脅しつけようという腹なんだな』と思ったが、このごろ父との争いに際して、あまりたびたび穏かならぬ挙動に出たがるのを、自分でも内々心に咎めていたやさきであるから、彼もその相談にのったのである。ついでに言っておくが、彼はイヴァンのように父の家に暮さないで、町はずれに別居していた。
 ところが、たまたま当時この町に逗留していたミウーソフが、無性にフョードルの思いつきを賛成しだした。四五十年代の自由主義者であり、また自由思想家であり、同時に無神論者たる彼は、退屈ざましのためか、それとも気軽な慰みのためか、とにかくこの事件に非常に肩を入れた。彼は急に僧院や『聖者』が見たくなったのである。例の領地の境界や、河の漁猟権や、森林伐木権や、その他いろいろの事柄に関して、僧院相手の訴訟や争論が引きつづき絶えなかったので、彼は親しく僧院長に会って、何とか事件を平和に終局させるわけにいかないものか、よく話しあってみたいという口実の下に、今度の機会を好奇心の満足に利用しようと思ったのである。こうした立派な意志を持っている来訪者は、僧院でも普通の好事者《こうずしゃ》より一そう注意を払って遇するに相違ない。こうした事情を総合してみると、このごろ病気のために普通の訪問さえ拒絶して、もはや少しも庵室を出なくなった長老に対しても、僧院の内部から何とか都合のいいように口をきいてくれるかもしれない、というつもりだったのである。結局、長老は承諾を与えて、日どりまで決められた。
『わしをあの人たちの仲間へ引き入れようと言いだしたのは、一たい誰だろう?』と彼はアリョーシャに向って笑みを含みながら、こう言ったばかりである。
 会合の話を聞いて、アリョーシャはひどく当惑した。もしこれらの相争える平和な人たちの中で、誰かこの会合を真面目に見る人があるとすれば、それはまさしく兄ドミートリイだけである。その余の人はただ軽薄な、長老にとって侮辱的な目的のためにやって来るのだ、――とこんなふうにアリョーシャは考えた。兄イヴァンとミウーソフは、無作法きわまる好奇心からやって来ようし、父はまた何か道化芝居めいた一幕を演ずるのを当てにしているかもしれない。実際、アリョーシャは口数こそきかないけれど、かなり深く父を見抜いていた。繰り返して言うが、この青年は決して皆の考えるほどおめでたい人間ではなかった。彼は重苦しい心持をいだきながら、その日を待っていた。言うまでもなく彼は心の中で、こうした家庭のごたごたが、どうかして納まってくれればいいと、それのみ気づかっていたのである。とはいえ、彼のおもなる不安は長老の身の上であった。彼は長老の名誉が心配でたまらなかった。長老に加えられる侮辱、ことにミウーソフの婉曲で慇懃な冷笑や、博学なイヴァンの人を見下したような口数の少ない皮肉などが恐ろしかった。彼はこんなことを始終こころに描いて見るのであった。一度などは長老に向って、近いうちにやって来るこれらの人たちのことを、何とか警戒しておこうとまで思ったが、しかし考えなおして口をつぐんだ。ただ会合の前日、彼は知人を通して兄ドミートリイに、自分はあなたを愛している、そしてあなたが約束を実行して下さるのを期待している、と伝言した。
 ドミートリイは何も約束した覚えがないので、いろいろ考えたすえ手紙を送って、『陋劣な言行』を見聞きしても、一生懸命に自分を抑制する、そして自分は長老および弟イヴァンを深く尊敬しているけれど、これは何か自分に対して設けられた罠《わな》か、でなければ、ばかばかしい茶番に相違ないと確信している。『しかしとにかく、自分の舌を噛んでも、お前の尊敬してやまぬ長老に対して礼を欠くようなことはしない』という文句でドミートリイは筆を止めていた。しかし、この手紙もさしてアリョーシャの元気を引き立たせはしなかったのである。



第二篇 無作法な会合

   第一 到着

 いいあんばいに美しく晴れ渡った暖い日和にあたった。それは八月の末のことであった。長老との会見は、昼の祈禱式のすぐ後、すなわち十一時半ごろということにきまっていた。しかし、一同は祈祷式に列しないで、ちょうどその終り頃に到着した。彼らは二台の馬車に乗って来た。一対の高価な馬をつけた先頭のハイカラな幌馬車には、ミウーソフが自分の遠い親戚にあたるピョートル・フォミッチ・カルガーノフという非常に若い、はたちばかりの青年と同乗していた。この青年は、大学へ入る心組みでいるが、ミウーソフは(この人の家に彼は何かの事情で当分寝起きすることになっていた)自分と一緒に外国、――チューリッヒかエナヘ行って、そこの大学を卒業するようにと彼を唆かしている。が、カルガーノフはまだどうとも決しかねているのであった。彼は何となくぼんやりした、ともすればすぐ考え込みがちな性質であった。その顔は感じがよく、体格はしっかりしていて、背はかなり高いほうであった。ときどき目が奇妙に動かなくなることがあった。それはすべて放心家の常として、じっと長いあいだ人の顔を見つめることがあるけれど、そのくせちっとも相手を見ていないからである。彼は黙りがちのほうで、動作が少し無器用であった。しかし、ひょっとするとなぜか急に喋りだして、何がおかしいのか突発的に笑いだすことがあった、――もっとも、それは誰かと二人きりさし向いの時にかぎる。けれど、こうした元気は起り初めと同じように、突然ぱったり消えてしまうのだ。彼はいつも立派な、しかも凝った身なりをしていた。もうなにがしかの独立した財産を持っている上に、まだこのさき、ずっと大きな遺産を相続することになっていた。アリョーシャとは親友であった。
 ミウーソフの馬車からだいぶ遅れて、一対の薔薇色がかった灰色の年寄り馬に曳かれた、いたって古いがたがたの大きな辻馬車に乗って、フョードルが息子のイヴァンとともに近づいて来た。ドミートリイは、きのう時刻も日取りも知らせてやったのに遅刻したのである。一行は、馬車を囲い外の宿泊所で乗り捨てて、徒歩で僧院の門をはいった、フョードルを除くあとの三人は、今まで一度も僧院というものを見たことがないらしい。ミウーソフにいたってはもう三十年ばかり、教会へさえ足踏みしないかもしれぬ。彼は取ってつけたような磊落をつきまぜた好奇の色を浮べて、あたりを見廻していた。しかし僧院の中へ入っても、本堂や庫裏の建築のほか(それもごく平凡なものであった)、彼の観察眼に映ずるものは何一つとしてなかった。本堂のほうからは最後に残った人々が、帽子を取って、十字を切りながら出て来た。民衆の中には、よそから来たらしい比較的上流の人――二三の貴婦人と一人の恐ろしく年とった将軍、――もまじっていた。この人たちは宿泊所に泊っているのであった。乞食どもがさっそく一行を取り巻いたが、誰も施しをする者はなかった。ただペトルーシャ・カルガーノフだけが、金入れから十コペイカ玉を取り出したが、どうしたわけか妙にあわててどぎまぎしながら、大急ぎで一人の女房の手に押し込み、『皆で同じに分けるんだよ』と早口に言った。同行のうち誰一人として、これに対して何も言う者はなかったから、少しもきまり悪がることはないはずだのに、彼はそれに気がつくと、なおどぎまぎしてしまった。
 しかし、合点のいかぬことがあった。ほんとうのところを言うと、僧院では一行を待ち受けるばかりでなく、幾分の尊敬さえ払って出迎えるべきはずであった。一人はついこのあいだ千ルーブリ寄進したばかりだし、いま一人は富裕な地主であると同時に最高の教養を有する人で、訴訟の経過のいかんによっては、川の漁猟権に関して僧院内の人をことごとく左右し得る人物である。ところが、いま公式に彼を出迎える者が一人もいない。ミウーソフは堂のまわりにある墓石をぼんやり見廻しながら、こういう『聖地』に葬られる権利のために、この墓はさぞ高いものについたろうと言おうとしたが、ふいと口をつぐんでしまった。それは罪のない自由主義的な皮肉が、もうほとんど憤懣の念に変りかかっていたからである。
「ちょっ、一たいここでは……このわけのわからんところでは、誰にものを訊ねていいかわかりゃしない。これからまず決めてかからなきゃならん。時間はぐんぐんたってしまうばかりだ。」だしぬけに彼はひとりごとかなんぞのように、こう言った。
 このとき突然一行の傍へ、一人のいいかげんな年をした、少少禿げ気味の男が、だぶだぶした夏外套を着て、甘ったるい目つきをしながら寄って来た。彼はちょっと帽子を持ち上げて、甘えた調子でしきりにしゅっしゅっという音を出しながら、誰